怪異探偵と高層マンション

時雨澪

第1話

「シズク。怪異探偵のあなたに一つ情報があるわよ」

 怪異探偵。これは私が勝手に名乗っているだけだが、なかなか良いとは思わないかい?

 この世には上手く常人の目から隠れているだけで、たくさんの不可解な事象が存在している。私はそれらを怪異と呼んでいる。怪異は人、物、事象などまで多種多様だ。そして非科学的で非常識的な振る舞いを見せる。私はそんな怪異をコレクションしているのだ。それはただ私の趣味というわけではなく、今後その怪異が悪さをしないようにするためでもある。一つの怪異の為に調査や張り込み、場合によっては手荒いこともする。ほら、なんだか探偵っぽいだろう?

「ミカ、それは本当? 是非教えてほしい」

 さっきまでソファに寝転がってぼーっとしていた私は、ノックもせずに事務所に入ってきたミカを特に咎める気力も起こらなかった。とりあえず怪異の情報と言われれば、気になるのは内容だ。

「とあるマンションの一室にあるらしいんだけど――」


 ***


 とある高層マンションの最上階で、私とミカは圧倒されていた。

 走り回れるほどの広いリビング。普段使いしにくそうな横に長い透明なテーブル。そして使い切れないほどの背もたれが縦に長い椅子。ふわふわすぎる絨毯。いらないと言いたくなる数の照明。

 そして高層階じゃなかったらプライバシーに問題が出そうなほどの壁一面の窓ガラス。私とミカはその窓の前でただ立ち尽くしていた。

「シズク様、ミカ様。結構良いお部屋だと思うのですがいかがでしょうか。広いですし、窓からは街が一望できますよ。他にも――」

 スーツを着た恰幅の良い不動産屋の男性が、後ろから人当たりの良い声で何やらあれこれ説明してくれている。しかし、正直そんなのどうでも良くなる。あまりの豪華さに脳が現実を直視するのを拒んでいるようだった。ただ、二人で横に並んで、大きな窓から街を見下ろしている。

「ミカ、本当にこの部屋で合っているのか? 正直私からしたら数ランク上の世界だ。なんだか居心地が悪い。帰りたい。こんな所に怪異が潜んでいるようには思えないのだが」

 私は背の高いミカに、不動産屋には聞こえないよう、背伸びをして小さな声で聞いた。

「私はあくまで情報提供があったからそれをシズクに伝えただけよ。絶対に怪異が潜んでいる保証はどこにもないわよ」

 ミカも私に聞こえるギリギリの声量で返してくる。そして更にこう続けた。

「大体、それを探すのが『怪異探偵』のお仕事でしょ? ほら、あくまで私は助手なんだから。内見の依頼まではしてあげたんだから感謝してよね。あとは探すだけ。シズク、あなたの仕事よ」

「はいはい、わかってるよ。どうしてこうなったんだろう」

 本当に帰りたい。こんな所にある怪異なんて悪さしないでしょ。放っておいても何も起こさなさそうだけどね。

「どうでしょうかこのお部屋。素晴らしいとは思いませんか!」

 不動産屋はとにかく部屋を褒め称える。そんなに売りたいのか。なんかテンション上がってるし。そもそも今日はこの人が担当ってことなのかな。気づいたら居たんだけど。

「とにかく部屋すべてを見て回らないと……」

「確かにシズク様のおっしゃる通りです! わたくしにご案内させてください。きっと満足しますので」

 私の言葉に不動産屋はすぐに食らいついてくる。ちょっと怖い。

 不動産屋は「こちらへどうぞ」と、私達を手招く。なんというか、常に中腰だ。腰が低いという言葉が字面のまま当てはまりそう。

「ほら、ボーっとしてないで行くわよ」

「あっ、うん」

 ミカに手を引かれ、不動産屋の後に続く。マンションのはずなのに廊下がとても長い。

「まずはこちらになります」

 ふと男が止まってドアを開けた。ミカと一緒に中に入ってみると、そこには何も無い。さっきのリビングと違い、縦に細長い部屋だ。窓もなく、薄暗い。ただ、いくつかの板が仕切りのように設置されている。地味だ。

「ここは……何に使うんだい?」

「ウォークインクローゼットかしら」

「はい、ミカ様のおっしゃる通りです。お嬢様お二人の服をしまうにはピッタリかと」

「なるほど」

 ここを埋める程の服は持っていないが……。いや、普通に生きていたら埋まらなさそう。

「ここは何も無いわね」

 ミカが何気なく呟いた。それは、私に対して怪異がこんな所にあるわけ無いという意味で呟いたのだろう。しかし、不動産屋の男は少し眉を動かし、さらに別の部屋に案内しようとした。

「ここはクローゼットですからね。そんなことより、次にいきましょう」

 男はスタスタと歩いていく。部屋を買うつもりはさらさら無いが、こちらは一応内見に来た客なんだけど。普通に置いていくつもりじゃん。

 急いで廊下に出ると、男がリビングに戻っていくところだけ見えた。

 私達もそれを追いかける。

 リビングに戻ると、男は笑顔で我々を出迎えている。なんなんだこの人は。

「次はこちらでございます」

 不動産が手で示した方を見ると、ただのキッチンだった。何の変哲もないただのキッチン。

「お二人ともそんな不満そうな顔をしないでください。今からこのキッチンの凄さをお伝えしますから」

 男は焦ったようにキッチンの前に立つ。

「まずはアイランドキッチンですね。開放感があります」

 見ればわかる。

 男はすぐさまキッチンの向こう側に位置を変えた。キッチンを挟んで向かい合うような状態になる。

「わたくしの後ろにあるこの大きな冷蔵庫は海外から特注で取り寄せたものになっております。もちろんどの冷蔵庫よりも大容量ですよ。さらに扉部分はウォーターサーバーになっていて、扉を開けなくとも水が出せるようになっているだけでなく、お湯も出すことができるんですよ」

 男は冷蔵庫の前で笑顔を崩さずに実演する。確かにすごい。ちょっと心が揺らぎそうになった。

「お次にこのキッチンシンクですね。これまた特注なんですよ。異なる幅と向きになるように設置された十個の蛇口とこれらを完璧に使いこなす三十個のボタンであらゆるシーンに対応します」

 そんなにいらない……。男は色々なボタンを押して実演する。ボタンが押される度、少し耳に残る高い電子音が鳴って蛇口から水が出たり止まったりする。男がたまに「あれっ?」と言っているのが少し気になるが。使いこなせないんじゃ意味ないよ。

「シズク、どう思う?」

 ずっと私の横で棒立ちしていたミカが少し嫌そうな顔で聞いてきた。飽きたのかな。確かにもう帰りたいけど。

「ん? ミカはこの部屋を買いたくなったのかい?」

「違うわよ――」

 会話を目ざとく聞いていた不動産屋の男は、私達の会話を遮るように口を開いた。

「あれ、もう一押しと言ったところですかね? 私にお任せください。もう一つ紹介したいものがあるんです」

 そう言って男はリビングから離れる。相変わらずスタスタ歩く。置いていかれそうになる。というかどうしてマンションの一室で人に置いていかれそうになるんだ。広すぎるのが悪い。

 男についていくと、さっきとは違う部屋のドアの前で男は立ち止まった。

「ようこそ。こちらが当部屋自慢のバスルームになります」

 男はそう言ってドアを開ける。

「わぁ……」

 入ってびっくり。とにかく広い。何人で住ませるつもりなんだ。

 確かにバスルームなのだろう。しかし、あまりに広い。服を脱ぐためにこんなスペースいらないよ。それに脱衣所部分とお風呂の部分を分ける壁が何故かガラスになっている。

「このバスルームはですね、国内有数のデザイナーに手掛けていただいたすごいバスルームなんです!」

 不動産屋さん。テンション上がっているところ申し訳ないけど、絶対にそのデザイナーは良くないよ。ガラスって……。

 ガラスから奥のほうが見えるが、浴槽もとても大きい。掃除大変そう。あれ、よく見たら露天風呂みたいになっている? 屋根は有るけど壁の上半分の方が一部無くなっている。

 これがお金持ちの趣向ということなのか。私にはよくわからない。

「ねぇ、これは?」

 脱衣所側の壁、ミカが指差す方に木目調のドアがあった。

「これはサウナですね。こうやって開けていただいて……スイッチはこちらです」

 そういって男は何故かスーツ姿のままサウナに入っていく。

「ここに座っていただければ……ほら、良いでしょう」

 別に必要もないのに実演もしてくれる。

 すこしサウナを楽しんでいそうな男を私達はサウナの外から見ていた。

「ずっと入っていると暑くなってきましたね。スーツでも脱ぎましょうか」

 やっぱり楽しんでるじゃん。

 男は突然そう言うと、真っ黒なスーツを脱ぎ始めた。

「はぁ……」

 見てられないな。特に怪異もないし。帰るか。情報は……間違いだったのだろう。

 そうしてサウナに背中を向けた瞬間だった。

 バタッ!

 後ろから何か倒れる音がした。

 振り返ると、何故かさっきの不動産屋の男が倒れている。

「これは……」

「すまない、ちょうど私が目を話した隙に。ミカ、何があったんだい」

 ミカに聞いてみるが、ミカもキョトンとしている。

「いや、突然倒れだして……」

「ということは普通に命の危険かもしれないな。脱水かもしれない。この人には申し訳ないが、引きずってさっきの冷蔵庫のところまで連れて行こう。水さえ飲ませればどうにかなるかもしれない」


 ***


 男をリビングの床に寝かせてしばらく様子を見ていたが、ようやく落ち着いた

「とりあえず息はしているし、大丈夫なんじゃない?」

「そうかい? なら良かった」

 ミカが雑に言う。正直倒れた人間が生きているかどうかなんて私にはわからない。生きているっぽいならそれでいい。

 私とミカは、横に長いテーブルの一番端で向かい合うように座った。

「それで、この男が倒れた原因なんだけど」

 ミカが言う。

「怪異かい?」

「ええ」

 ミカはそう答えると、さっきの脱ぎ捨てられたスーツをテーブルの上に置いた。

「ここに刺繍された名前が見える? 佐々木勇気って」

「ああ。これがどうしたんだい」

「この名前の人。私調べたから知ってる。五年前にこのマンションの、まさにこの部屋で病死しているの」

「なるほど」

 怪異は人の死に結びつきやすい。あくまで今まで見てきた中での傾向だが。

「この佐々木って人はどうやら寂しがりやだったらしいわ。おそらく死ぬ間際もこの広い部屋で一人だったんでしょうね」

「だから賑いを求めて、誰でもいいから部屋に入ってほしかった?」

「ええ。おそらくこのスーツは人を操るタイプの怪異でしょう。私達がもし部屋を買ったら、さっきみたいにスーツを脱いで、スーツだけずっとこの部屋に居るつもりだったんじゃないかしら」

「じゃあ着ない限り危険性は無いね」

「うん。シズクのコレクションにするの?」

「もちろん」

「変わった人ね」

「早く慣れてくれ。さあ、次の怪異を探しに行くよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪異探偵と高層マンション 時雨澪 @shimotsuki0723

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ