裏切り者たち

HK15

裏切り者たち

 月も夜もない暗い夜だった。冷たい雨が真っ暗な空からひたすらに降りしきっていた。街灯が生白い光を投げかける通りには人っ子一人見えない。

 雨がフォード・モデルTの布張りの屋根を叩く音を聞きながらジャックはフロントガラスの向こうににじむ小さなレストランの窓の灯を見つめていた。

 もう小一時間ほどずっとこうして待っていた。

 不意にレストランの扉が開いた。ジャックは鋭く目を光らせた。

 レストランの中からネズミのような顔つきの小柄な男が出てくるのが見えた。

 ジャックの口元に薄い笑みが浮かんだ。

 何度も写真で見た顔であった。

 ペニーに違いない。

 ペニーはきょろきょろ周囲を見回し、それからレストランの近くに停めてあった小さなオースチンに乗り込んだ。

 ペニーの車が走り出してからしばらくしてジャックは後をつけ始めた。


 ジャックはこれまで荒っぽい仕事を多くやってきたが殺しをやったことは一度もなかった。しかし組織で出世するためにはいつか誰かを殺らなければならないとわかっていた。ジャックは出世のためならいくらでも手を汚す覚悟だった。

 そのチャンスは急に訪れた。馴染みの女のもとで一夜を過ごしねぐらに帰ってきたジャックのところに組織の遣いがやってきたのだ。

 ボスがお呼びです、と遣いは言った。

 急いでやってきたジャックにボスは低い声で言った。お前に大事な仕事を任せたいのだ。

 ジャックは尋ねた。どんな仕事でしょうか。

 ボスは言った。ネズミを一匹始末してもらいたい。

 ボスは言った。組織の一員にペニーという男がいるが、そいつが敵対組織と通じているらしいのだ。汚れた金と引き換えに、ペニーは組織の情報を敵に引き渡し、それどころか麻薬の横流しまでしていたらしい。

 ボスは険しい声で言った。裏切り者は生かしておけぬ。

 それからジャックを鋭い目で見つめながら言った。お前は人一倍よく働く。だからこそこの仕事を任せるのだ。殺しははじめてだろうがお前なら首尾よくやれるはずだ。もしこの仕事をうまくこなしたなら必ず幹部に取り立ててやる……。


 冷たい雨が降りしきる中を二台の車はひたすら走り続けていた。

 ペニーは郊外へ向かっているようであった。走るにつれて街の灯は徐々に少なくなっていき、あたりはますます暗く、そして静かになっていった。

 やがて二台の車はひっそりと人気のない小高い丘に差し掛かった。あたりにはもう人家の影も見えない。

 ジャックは不意にいやな予感を覚えた。これは罠なのではないか。もしやペニーは全てに気がついていて、殺し屋を返り討ちにするべく誘い込もうとしているのではないか。自分はのこのこと死地に連れ込まれたのではないか。

 そのときペニーの車が急に停車した。

 ジャックはあわてて車のブレーキを踏んだ。

 その途端だった。路肩の茂みの中から猛烈な銃撃が浴びせかけられたのは……。

 ジャックは素早く身をかがめて銃撃を避けた。銃弾は次々に飛んできた。フォードの窓ガラスはたちまち粉々に砕け、その破片がジャックの上に降り注いだ。

 銃撃はいつ果てるともなく続いた。

 銃声が雨音をかき消した。

 古びたフォードの車体はズタズタに撃ちまくられ穴だらけになった。

 ジャックは必死に歯をくいしばって耐え、反撃のチャンスをうかがった。

 不意に銃撃がおさまった。

 敵の銃の弾が尽きたのにちがいない。

 今がチャンスであった。

 ジャックは銃を抜いた。でかいコルト45口径オートマチック。スライドを引いて初弾を薬室に送り込むなり起き上がって闇雲に撃ちまくった。

 猛烈な銃火がジャックの目を焼いた。

 悲鳴が上がった。

 ジャックはにやりと笑った。空になったコルトの弾倉を排出し新しいものに詰め替える。コルトをベルトに突っ込むとコートをかぶせて助手席に置いてあったウィンチェスターの散弾銃をひっつかんで車から転がり出た。

 散弾銃の先台をひっつかんで引いて戻した。初弾を薬室に送り込む。

 引き金を引いた。

 銃火と轟音は凄まじかった。通常の散弾銃より銃身を短くしてあるからだ。吐き散らされた鹿弾バックショットは茂みを難なく突き抜けて隠れていた連中をなぎ倒した。

 悲鳴。絶叫。

 ジャックは構わず散弾銃を続けざまにぶっ放した。たちまち弾倉は空になった。

 悲鳴がやみ、うめき声とすすり泣きが取って代わった。

 ジャックはほっと溜息をつき、散弾銃に補弾しようとした。

 そのとき銃声が鳴り響いた。

 ジャックは散弾銃を放り出しその場に倒れた。


 ジャックはブルックリンのスラムの生まれだった。貧しさに苦しめられ続けてきた人生だった。だからこそ彼は金と権力を欲した。だからこそギャングの一員になったのだ。だからこれまでどんな汚いことでもやってきたのだ。必要とあらば他人を蹴落とすことも平然とやってきた。大勢の連中が自分を恨み憎み妬んでいることをジャックは知っていた。

 それがどうしたとジャックはうそぶいていたが心のどこかはどうしようもなく虚ろで孤独だった。

 だから危険と知りつつあの女に惹かれたのかもしれぬ。

 ――ジャックはボスから大仕事を与えられたことを女に告げた。すると女は不安げな声で言った。

 ねえ本当に大丈夫なの。わたし何だか嫌な予感がする。

 ジャックは女の柔らかなブルネットに指を這わしながら優しく呟いた。心配要らないさ。それとも何かい、ボスが俺をはめようって言うのかい。そんなばかな。

 すると女はジャックをぎゅっと抱きしめた。

 どうか生きて帰ってきて。

 ジャックは静かに言った。

 悪いな。男には勝負しなきゃならんときがあるんだ。


 ドアがばたんと開く音がした。

 ざまあ見やがれ、やってやったぞ。

 ひしゃげた声でペニーが言った。その手にちっぽけなニッケルメッキの38口径リボルバーが光っていた。ペニーはそのきらきら光る銃を倒れたジャックに向けた。

 そのときジャックが動いた。すばやく身体をひねりベルトからコルトを引き抜くとペニーを撃った。落雷のごとき銃声が鳴り響き、ペニーはハンマーで殴り倒されたようにその場に倒れた。

 左肩を押さえてジャックはゆっくり立ち上がった。よろめくようにペニーに近づいた。

 ペニーは腹に一発食らっていた。血のしみがゆっくりと雨に濡れたシャツに広がっていった。

 ジャックは低い声で言った。ボスからの伝言だ。裏切り者に死を。

 それを聞いたペニーはしばらく黙っていたが、ややあって不気味な笑い声をあげはじめた。

 何がおかしいとジャックは言った。

 息絶え絶えのペニーは目をぎょろりと動かしてジャックを見つめ、言った。どっちも貧乏くじを引いたってことさ若造。

 どういうことだとジャックは尋ねた。

 ペニーは咳き込みながら笑って言った。俺もお前を始末するよう言われていたのさ。裏切りを不問に付すための条件としてな。

 そしてペニーは言った。

 ボスは知ってるぞ。お前が自分の女とデキているってことくらいはな。

 ジャックは黙っていた。

 降りしきる雨が一層冷たく感じられた。

 ペニーは目を細めた。哀れむような色が死にゆく男の目に浮かんだ。

 ペニーは言った。ボスはお前が思っているよりずっと狡猾で執念深い御仁なのさ。まあどうでもいい俺はもう終わりだ。とっととカタをつけてくれ。楽にしてくれよ若造。

 ジャックは無造作にコルトをペニーに向けて一発ブッ放した。ペニーの眉間に風穴があいた。ペニーの全身から力が抜けて一個の肉塊と化した。

 ジャックは放心したように雨に打たれ続けていた。

 そのとき、遠くから車のエンジン音が近づいてくるのをジャックは聞いた。

 自分を始末するべくやってきた連中に違いないとジャックは悟っていた。

 ジャックはにやりと笑った。コルトに新しい弾倉を込めた。

 こうなった以上、ただで死ぬつもりはない。

 一人でも多く道連れにしてやる。

 女の顔が脳裏に浮かんだ。


 

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