手向けるはずの花からは、ほのかに鉄の香りがした
やまりもん
呪われた大地。屍の山。祈りを捧げる少女の影。
地獄を歩んでいた。
街の遺骸の中を進んでいく。青い空が、頭上で照らす太陽が、皮肉に思えるような街。道端に転がっているのが瓦礫なのか、死体なのか、はたまた別の何かなのか。もう分からないほど壊され尽くした大地を踏みしめて。
路地裏に寝ている少年の横で、その母親らしき女性が泣いているのが、視界の端に映った。
「へいしさま、へいしさま、どうかわたしたちにおめぐみをくだいな。」
ずっと話しかけてくる、幼い物乞いの声が、耳を汚す。
遠くから聞こえる金切り声に、また呪いの怪物が出たことを教えられた。
それらすべてに目を逸らす。見ないふりをする。アインは自分の心が軋む音を聞き慣れていた。
この街は、戦争中に最も酷い被害を受けた地域だ。大国の国境に近く、また、元はインフラも充実していた大都市のひとつ。ずっとずっと、激しい戦いの最前線として破壊の限りを尽くされた。「神の遺体」なんて、わけのわからないもののために争った馬鹿らしい戦いの被害者代表である。
しかしアインはその歴史に興味があるわけでも、ましてや憐れみを覚えているわけでもなかった。彼は何も積極的に慈善活動をする教父ではない。ただの兵士崩れ。最後まで生き残ってしまった魔術師の一人。かつての戦友たちに手向けるための花束を持って、戦場跡に向かっている死に損ないである。彼の美しい花束は、色を失ったこの街に、それはたいそう美しく映っていた。悲しいことだ。
考え込みながら歩いていると、周りの状況など思っているより見えないものだ。急に背筋が凍りつくような嫌な感覚がして、アインは初めて周囲を見渡す。呪いによる浸食が先ほどより激しい。いつの間にか、物乞いの子供たちもいなくなっていた。この様子ならきっと、戦場跡も近いだろう。
しかしアインはふと、見渡した周囲の様子に違和感を覚え、眉をひそめた。
死体が見えないのである。ただの一つも。これは奇妙なことであった。呪いの怪物は死体に興味を示さないはずであるし、悪寒がするほど神の呪いが強い地域ならば、呪い狩りの死体がそのあたりに落ちていたほうがずっと自然だからである。
改めて注意深く地面を見ると、無数に何かを引きずった跡が見えた。えぐれた地面と、乾いた血の跡。まるで乱雑に伸びたコードを一つの束にまとめるように、その痕跡はただの一点を指し示している。アインは少しの逡巡の後、その方向に進路を変えた。どうせ、戦場跡は墓標も石碑も立ってはいない。ならば、どこにおいたところで花束の意味が変わりはしない。気がかりを追うほうが賢明だろう、と。
ただ気分で戦友たちを弔いにやってきただけの彼には、大した当てがあるわけでもなかった。
どれだけ歩いたであろうか。時刻はもう、すっかり夕方であった。今にも沈もうとする太陽が最後の輝きを放ち、網膜を焼く。
「これは…」
しばらく動き続けていたアインの足が止まった。
遠目に見える何かを積み上げてできたであろう物体。
それは、山のような屍の塊であった。
吐き気がした。ぞんざいに死体を重ねただけの、あまりにも無残な山。それを構成する死体の形は様々だ。足や手がもげているもの、半分がないもの、安らかな笑顔を浮かべているものから、恐怖で顔がゆがんでいるもの、表情すらわからないほどに損壊しているものまで。おそらく、周囲の死体をすべてここに積んだのだろう。先ほどの引きずった跡は、全てこの山に通じていた。それは呪われた世界において、それでもなお、きっと何よりもおぞましい。何者かによって人為的に形作られたであろうそれは、冒涜的という言葉では到底言い表せない。
誰が、何のために作ったのか。
少し近づくとある奇妙な風景が目に飛び込んでくる。
そこにはたった一人、少女が膝をついていた。夕日の陰でよくは見えないが、それでも到底、青年のようには見えない少女を極めた幼い影。
屍の山の下で、目を閉じて、手を合わせて、涙を流す。ただ、そこには少女がいた。
アインはその光景に一瞬、我を忘れた。身をもって経験した戦場の恐怖も、戦後の世界のあり様も、後悔も未練も、呪われた大地に立っていることすら、忘れられた。
その光景はこんな地獄にはまったくふさわしくないと思った。
屍の山の下、花も持たず泣くその少女が、ただ、たまらなく美しいと思った。
思わず見惚れて、持っていた花束を地面に落としてしまう。
あまりにも優しい音が鳴った。
少女の影がこちらに気が付く。
祈る手を解く。
目を開く。
立ち上がる。
こちらを向く。
端正な顔立ちをしていた。ぼろきれのような服を羽織っていた。
そして左目が、機械のようになっていた。義眼だろうか。
その義眼が赤い光を放ったように見えて。
瞬間、少女の姿が消える。
「…っ!?」
アインは直ちに、呆けた意識を取り戻す。同時に腰に付けた銃を抜き、乱暴に引き金を引いた。ただちに、彼を囲うように球状の壁が形成される。防御魔術の全面展開である。
彼は自分でもなぜそんなことをしたのか、はっきりとわかっていない。ただ、少女の義眼が光を放った瞬間に感じた強烈な威圧感と恐怖が、かつて戦場で培った勘が、彼の人生で得たその他全てが、全力で警鐘を鳴らしていた。
久しく感じていなかった、死の予感。
そして、その予感は、時間にして約一秒後、的中することになる。
流星が飛来した。
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