あと一駅
椎塚雫
あと一駅
俺には三分以内にやらなければいけないことがあった。
そう思わず一人称で語りたくなってしまう事態になっていた。時刻は午前七時五十九分、場所はよくあるローカル列車の二両編成、向かい合うように設置された横一列の座席で端の方に俺ともう一人。
「すぅ……すぅ……」
こちらの肩に頭を乗せて眠るはクラスメイトこと吉田さん。今どき珍しい腰まで伸ばした黒髪ロングに整った顔、学年成績の順位は常に一桁で運動神経まで良いというまるでラノベから出てきたような美少女だ。あと一駅で学校前に着いてしまうというのに寝息まで立ててぐっすり寝てしまっている。
どうしてこうなったかって?
今日はいつもより1本遅い列車に乗ったら、発車メロディが鳴ると同時に吉田さんが駆け込み乗車しつつ隣に座り、それからすぐに頭が船を漕ぎ始めてそのままコテンと横に倒れてきたからである。
「吉田さん、吉田さん」
「……」
声をかけても反応がない。
最初こそは髪からいい匂いがしてドキドキもしたし、細い肩から伝わる温もりが彼女がいない俺にとっては最高だったが、このままだと席を立てないし乗り過ごしてしまう。いやむしろ役得な状況、二人で遠くに行ってしまうか……じゃなくて。腕時計を見ると午前八時一分、残り六十秒もない。
「そろそろ起きないとまずいって」
「ん……」
肩を小さく叩いても反応が薄い。
「あと三十秒で着いちゃうよ」
「んー」
「吉田さん」
「……」
「……
誰にも聞こえないように小さい声で耳元で呼ぶ。
「なに?」
「……うお!?」
起きていないと思って下の名前で呼んだのに。素っ頓狂な声を上げてしまい、周りからの視線を感じて顔が熱くなる。ああ、穴があったら入りたい……。
列車はキィキィとブレーキ音を鳴らし、減速しながらプラットホームに進入する。そろそろ到着する頃合いになり、他の生徒は座席から立ち上がり扉の方へ向かう。
恥ずかしさで座ったまま俯く自分に吉田さんは嬉しそうな声音で耳元で囁く。
「小学生の頃言ってたよね。長い黒髪で前髪ぱっつんの子が好きだって」
「え……」
「3年ぶりね」
そして彼女は鞄からライトノベルを出した。その表紙に映っているヒロインと吉田さんの容姿は瓜二つだった。それを見た瞬間小学生の頃を思い出す。当時女の子と付き合ってると友達にからかわれるのが嫌で彼女に好きな人が出来たからもう遊ばないとひどい事を言って泣かしたことを。それっきり会わなくなり、更に吉田さんとは中学が別で疎遠になった。
「……ごめん」
「ほんと、傷ついたんだから。絶対に許さない」
プシュー。
「「あ」」
空気が抜けるような音と共に列車の扉が閉まり、風景がゆっくりと流れていく。
俺と玲香は互いに顔を見合って笑うしかなかった。もう一限目には間に合わないのを察して、持ち上げかけた腰を再び座席に下ろす。
「あ~あ、私優等生だったのになぁ……」
「悪かったって。本当最初は玲香だって気づかなかったから」
「みたいね。一ヶ月間、肩に頭乗せといて全然何もしてこないから実は男が好きなのかと思ったわ」
「ホモちゃうわ!」
「ぷっ、なんでエセ関西弁になるのよっ」
それから他愛のない話で盛り上がり、今まで気まずかったのが嘘だったかのように幼馴染の関係に戻っていく。冗談で肩を叩いてきたり、小学生の時に遊んだゲームの話題など屈託のない笑顔を浮かべる玲香は昔のままで。
改めて正面を見ると背が伸びた以上にふっくらとした部分が出来ていたりと――
「……みーくん?」
「な、何も見てないぞ!」
友達として見るにはすっかり女性らしい丸みを帯びた玲香の体つきに目のやり場に困った。恐らくバレているだろう。
「んっ」
むにゅ。突然玲香が腕を絡ませつつ、ブラウス越しに何かが潰れるような――豊満な双丘の柔らかい感触がした。
「ちょ、何してんの!?」
「あててんのよ。……あのライトノベルにもこんな展開があったわね」
「そんなことまで学習しなくていいから!」
俺たち以外乗っていないといっても、ここは列車の中だからね!!
三分以内に起こしたはずなのにもはや目の前の彼女は男友達のようなノリでからかってくるのであった。
あと一駅 椎塚雫 @Rosenburg
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