プリンシパル

東山蓮

プリンシパル

ピカピカまぶしいフィレンツェの街。ちょっとぼったくられたミルクジェラート。おれ、めちゃくちゃ浮かれた観光客みたい。


『世界を舞う 日本人選手初の3位入賞』


あまり大袈裟に記事にされると気恥ずかしいものがある。いくらフィレンツェで開催される歴史のあるコンクールだとしても、日本でいう関東大会みたいなものだし。

そりゃもちろん、自分のバレエ団の練習と同時にコンクールに向けて練習するのは大変だったよ。死ぬほど頑張ったし。だからまあ、こうやって「すばらしい!」と賞賛されることへの嬉しさがないこともないな。別に、喜ぶことくらいはしておこう。

にしても、日本人の記者の割にはセンスがいい。

170cmに達しないおれの身長は、「美脚」「体格の壁」などの身体的特徴を述べた見出しで煽る日本のネットニュースの格好の餌になる。しかし、この記事にはそれがない。

「真島リョウという24歳の男性がイタリアのバレエのコンクールで3位になりました」という事実が淡々と羅列されている。クラシックバレエは、日本からの注目度はあまり高くない競技だ。だからおれの情報を調べるコストをかけなかっただけかもしれない。それでもまあ、身長の話がない記事はなかなか嬉しい。実力だけを見てくれたと自惚れてしまう。

リュックの中でブロンズトロフィーがひと揺れして、ようやく3位の実感が湧いてきた。

まだまだこれからだ。おれは「日本人にしてはすごい」でも「小さいのにすごい」でもなく、「世界一のバレリーノ」になりたいのだから。身長制限で、オペラ座の入団テストを受けることは叶わなかったが、それが世界一を目指さない理由にはならない。世界三大バレエコンクールの全てを制してみせる。

おれはどうしても、バレエに関してはムキになってしまう。それは物心ついてからずっと続けてきたバレエへの矜恃か、それとも対外的な評価を気にするがゆえのものかはよくわかっていない。しかし、おれがバレエに対して紳士的でいられない理由の一つには、間違いなくあの同級生の存在がある。


杉山レイナ。


中学校卒業と同時にドイツのモスクワへ渡り、19歳でプリンシパルダンサーを務めたエリート中のエリート。

5歳の時に彼女が入団してきて、そこからずっと同じバレエ団でレッスンしていた。小学生の時から170cm近い身長で、ぴんと張った背筋は嫌でも目を惹く。確かモスクワへ渡る頃には175cmくらいになっていたはずだ。

彼女が、おれより後にバレエを始めた彼女が一気に遠くへ行く。生まれ持った高い身長をたずさえて、おれが行けなかった地点を長い足で簡単に通過する。

おれはそこから、狂ったようにバレエに没頭した。ドクターストップがかかって、踊ることを禁止されたときは気が狂ってしまいそうだった。狂いかけて、精神安定剤を飲んだ時期もあった。

彼女の身長が、才能が、努力がすべて恨めしい。全部おれのものだったらよかったのに。

耳の後ろにできた500円ハゲを鏡越しに睨みつけながらずっと彼女を恨んでいた。


懐かしいことを思い出した。

彼女はずっと身長が高かったから、小学校ではたまにそのことでからかわれていた。「デカ女」と、言葉だけでいえばそこまで酷い悪口でもない。しかし、その態度には明確に人を貶めるという意思があった。

同調を求められて、誰も逆らえず「平均より高い背丈」という記号を罵る。彼女も諦めたように「はいはいそうですね」と受け流して、相手にしていなかった。

でもおれは、嘘でもそんなことは言えなかった。彼女がどんなに嫌いでも、「平均より高い身長」という記号へのあこがれがおれから離れていくことはない。少しカッとなって、「身長なんてあった方がいいに決まってるでしょ」と言った。当然、教室の空気をきんきんに冷やした。

その出来事のせいか、おれが彼女を好きだと勝手な噂を流されて、吐き気をおぼえて苦しい日々が続く。おれのバレエへの想いをなめているのかとつかみかかってしまいたかったが、踏みとどまった。

物思いにふけっていると、おれの記事を表示していたスマートフォンの画面が切り替わり、未登録の電話番号が表示されていた。

コンクールの書類不備でもあったのかと少し緊張しながら電話をとる。


「はい、真島リョウです」

「見てたよ」


全身の血液が熱く体を駆け巡った。忘れもしない、間違えるはずもない声。おれの人生をめちゃくちゃにして、鶴のように軽やかに空へ飛び立った同級生。

関東大会みたいな立ち位置のフィレンツェの大会で3位のおれになんの用だ。

めらめらと心が泡立つ。ちょっとした映画の感想を言うように電話してきた人間に、そう問いかけたかった。大人だから、耐えるけど。


「すみません、どなたですか」


噴火寸前の火山口を押さえつけて、冷静に、平常心で問う。みじめなおれのちっぽけな復讐を、主人公の彼女はどう見る。


「間があったね。まあいいや、久しぶり。あたしは


彼女はひるまず名乗り、にっこり笑った。顔の見えない電話越しでもわかるほど、その仕草を脳は鮮明に映し出した。

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プリンシパル 東山蓮 @Ren_East

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