妹を迎えに行った日のこと

猫煮

@a.m. 2:27

 私が安眠を得るためには三分以内にやらなければならないことがあった。


 本来、二時三十分には入浴しているはずである。しかし、突発的なアクシデントのために予定が狂ってしまった。


 すなわち、平常ならばやる必要のない行為が生じたのである。それを追加で行う必要性に私は強いストレスを感じていた。


「君にも癖はあるだろう?」


 これから行うことには準備が必要である。とは言え、一度鞄に入れた荷物を再び並べるだけのことだ。さして集中力を必要としない準備ではあるが、すべての工程を終えるにはあと数十秒かかるだろう。


 その間の僅かな気慰みにと思い、横に座る女へと話しかけた。


 さして美しくもなければ、垢抜けたわけでもない。容姿が良いとも悪いとも言えない中途半端な女である。


 ただ、黒髪は手入れされているのか、裸電球の暖かい光に映えて美しかった。


 深く夢に捕らわれているのか、口元は動いているにも関わらず、漏れ出る言葉は意味をなしていない。


「私の癖は指を組むことなんだ。ストレスがかかると無意識に指を互いに遊ばせてしまう」


 作業台の上に敷いたなめした豚皮の上に、使い慣れた器具を並べ終え、指を組みながら眺める。


 各器具の中心軸はそれぞれ 15 cm 離れていなければならない。人の行うことであるから誤差は許容されるが、その範囲は 2 cm 以内でなくてはならない。


 この作業が準備においては最も気を使う。例えるならば、ステーキを焼くために肉を叩くようなものだ。


 叩きが足りなくても、多すぎてもステーキの味は損なわれてしまう。筋張って食感の不均一な肉になるか、あるいは肉汁の抜けてワインなしでは食べられないような肉になってしまう。


 良きことを得るためには、初めから良きことのために働かなくてはならないのだ。


 そのために、必要な器具を一つ取り出すのではなく、すべてを揃えなくてはならないのである。


 踊る指自体にも苛立ちながら器具が十分に許容できる配置にあることを確認し、女に向き直る。


 すると、その目に私の姿が映っていることに気がついた。


 どうやら夢の世界から戻ってきたばかりらしく、目の端が蕩けている。


 彼女が現実へと戻る前に、作業台の端にまるめてあった布を噛ませることにした。


 これは確か、二番目に若い妹が纏っていた布だったか。彼女の保護者はセンスが悪く、彼女の薄茶色の髪には似合っていなかったので、私が買い与えた服と交換したのだ。


「シー、シーッ。静かに、静かに」


 異物感で覚醒した彼女が暴れるのを努めて優しい声でなだめる。服を着ればあまり目立たなくなるだろうが、椅子に縛り付けた手足に、擦れた痕が残ってしまうのはあまりにも哀れだろう。


 説得が功を奏したのか、椅子の揺れが収まる。


 目の端で時計を確認すれば、すでに四十秒が経過していた。


「私としても不本意なのだが、君が目を覚ますまでに考えた結果、君を私達の家族に迎え入れようと思う」


 本当に不本意だ。


 彼女はおそらく私と同年代か、少し年上だろう。


 私と妹たちの家族にこのような人物は必要ないのだが、妹を迎えるための儀式は祝福されていなくてはならない。


 仮に彼女を逃してしまえば私達の家庭は崩壊してしまうだろうし、深い土の下に埋めたとしてもその事実が末の妹を迎える儀式に汚点として残ってしまうだろう。故に、業腹ではあるが、彼女を家族に迎え入れるしか道はなかった。


「ッ……、……ッ!」


 彼女は目に涙を浮かべ、首を大きく横に振って抵抗するが、私とて完全な本意ではないのだ。お互いの許容できる最低限の折衷案として受け入れてほしいものである。


「私は午前三時までに眠ることにしているんだ。最低限五時間の睡眠を確保したいからね」


 卓上の器具に指を滑らせながら話しかける。


「最も、起きるのが八時ともなると朝食を食べる余裕がなくなってしまうが」


 せっかく気を利かせて話したジョークも、彼女は気に入らなかったようでひたすら首を振っていた。


「君の癖は、写真を取ってしまうことかな?良い癖ではないね。写真に映りたくないという人もいるんだ。家族になったらそこも直さなくては」


 作業台の前の椅子に置いてあった、彼女のスマートフォンを布越しにつまみながら嗜める。


 彼女に追いすがって殴り倒したときに画面が割れてしまっているが、指紋認証でロックが解除できたのは幸いだった。


 SNS やクラウドは使っていなかったらしく、私が妹を迎えに行った時の写真はこの携帯の中にのみ存在する。


 咄嗟に GPS などの機能は停止してあったが、念のために明日は離れた場所まで移動してから破壊しないといけないだろう。それを思うと今から憂鬱になる。


 この気がかりが今日の眠りに大きな影響を及ぼさなければ良いのだが。


 ともかく、やるべきことを済ませて早く眠りのプロセスに入ろう。そう決意して、豚の皮の端に置いたナイフを手に取った。


 本来は迎えた妹の腹腔を綺麗にするためのものだが、よく研いであるこの刃ならば椎骨の間から脊髄を破壊するのに十分だろう。


 白熱灯の灯りが刃に反射して、彼女の目に入る。


 彼女はいよいよ青ざめて喉から呻きを漏らしていた。おそらくは、これから起こることの痛みを想像したのだろう。だが、ものが産まれるためには痛みが必要だ。痛みなく産まれたものは、無痛分娩で産まれた私の姉のように、欠けたものになってしまう。


「さて、もう夜も遅い。手早く済ませよう」


 彼女に歩み寄ると、なにかの弾みで布が口から落ちた。


「お願い、やめて。墓地で見たことは誰にも言わない。だから、やめて、お願いよ」


 震えた声で喋りだす彼女。しかし、不思議なことを言う人だ。血を分けた家族ですら信じられないものが居るのに、血を分けない人間をどうして信じられるだろうか。妹たちには私と同じ血が流れているし、とても良い子たちだから信じられる。しかし、彼女を信じる理由はなかった。おそらく、愛情を知らずに育ってしまったのだろう。そのために、信じられる人間の区別が付かないに違いない。なんとも不幸なことだ。


「そうだ、妹たちを君に紹介しよう」


 そう思いついて、彼女の座った椅子を半回転させる。そこには私の四人の妹たちが座っていた。


「この右端に座っているのが長女のパトリシア。歌が上手なんだ」


 そう言って、ブロンド髪で長身のパティの肩に手を置く。すると、腹に埋め込んだオルゴールが起動し、美しい歌声を聞かせてくれた。


 彼女も歌声に聞き惚れたのか、静かになる。


「そしてこの二人は次女と三女のエリザベスとルシール。事情があって両親は違うんだが、同時に家族になった、双子みたいなものさ」


 ベティとルーシィの肩に手を置きながら紹介する。


 赤毛と栗毛の彼女たちはいつも仲良しで、今も二人で手を繋いでいた。年齢で言えばベティが一番若い妹なのだが、家に来た順番から言えば次女である。


 兄としてはもう少しかまって欲しい気もするが、彼女たちが幸せであることが重要なのだ。これも兄の醍醐味というものだろう。


「この子はアビゲイル。今日からお姉ちゃんになる、可愛い妹さ。少しわがままなんだが、そこも可愛いんだ」


 アビィの頬に顔を近づけながら紹介する。


 照れてしまったのか、少し体を反らされてしまったが、構わず薄茶色の髪をかき分けて頬にキスをした。


「そして」


 部屋の隅にある冷蔵庫の一つを指して彼女に教える。


「彼女が新しい妹のドロシー。今はまだ体ができあがっていないから、あの中だ」


 今日迎えに行ったばかりのドリィの紹介だ。残念ながら、彼女のお披露目はまたの機会である。


 椅子に縛り付けた彼女は、妹たちの美しさに見惚れたのか、言葉を失っているように見えた。


「さて、妹たち」


 体ごと妹たちの方を向いて問いかける。


「私はこの人を君たちの家庭教師として家族に迎え入れようと思うんだが、どう思う?」


「私は良いと思います。兄さんの見る目は確かですもの」


 聡明なパティが、真っ先に賛成してくれる。


 続いて口を開いたのは、ベティとルーシィの双子だ。


「ルーシィが良いなら私も良いと思う」


「私も、ベティが良いなら良いと思うわ」


「真似しちゃいやよ、ルーシィ」


「本当のことだもの、ベティ」


「ほら、二人共。お兄ちゃんも仲間に入れておくれ」


「仕方がないね、いいよお兄ちゃん」


「そうね、仕方がないわ、兄さん」


「ありがとう、ベティ、ルーシィ。それでどうだろう。私の提案は」


 そう言うと、二人は少し黙り込んでいたが、十秒としないうちに答えてくれた。


「良いよ」


「良いわ」


 それを聞いて黙っていなかったのがアビィである。


「あたしは嫌よ。お勉強なんて嫌い。お兄様とお姉様とお茶だけしていたいわ」


 わがままな娘だが、これはきっと兄を取られると思ったのだろう。


 ドリィを迎えに行くことを決めた時にも、かなりゴネていたのは記憶に新しい。


「そんなことを言わないで、ね。家族が増えるのは嬉しいことだろう」


「嫌よ、嫌。そんな人いらないわ」


「頼む、聞き分けてくれ。全員に祝福されなくては、彼女は真に家族になれないんだよ」


 そう言って聞かせると、彼女はやがて、か細い声で


「……良いわ」


 と了承してくれた。


 そんな彼女を姉たちが甘やかすのを見ていたが、ふと時計が目に入った。


「二時二十九分だ」


 そう言うと、彼女たちは一斉に静まり返る。


 振り返ると、椅子に座った彼女は寒さからか、歯の根が合っていなかった。


「誰と、話していたの」


 その言葉に、私は自分の失敗に気がつく。


 家族ではないから、彼女たちの声が聞こえなかったのだろう。もしそうであるならば、私がまるで物言わぬ少女たちにパントマイムをする狂人である様に見えたはずだ。


 彼女たちの体はどうしても死体であるから、そのような誤解をされることは避けられない。だからこそ、彼女達には申し訳ないが、この地下室から外に出してやることができないのだ。


「大丈夫、家族になれば解るさ」


 そう言って、彼女の後ろに回り込む。


 かき分けた髪からは、夜の匂いと恐怖の香りがした。


「お願い、許して。許してください。許して」


 彼女がそう言った瞬間、幼い頃の僕と姉さんの居る光景を思い出した。


「姉さんは、僕を許してくれなかったじゃないか」


 そう言って、血管を傷つけないように気をつけながら、彼女の首筋にナイフの刃を沈める。


 彼女は一度大きく跳ねたが、数度の痙攣の後動かなくなった。


「姉さんを君に重ねてすまなかったね。ただ、私は許しという言葉が嫌いなんだ。覚えておいてくれ」


 刃と女の肌の境から赤い筋が走るのをガーゼで押さえ、手早く傷の処理をしながら教えておく。


 時計を見ると二時三十分である。


「おや、時間を過ぎてしまった」


 思わず手を組んでしまったが、指は踊らなかった。


 思いがけず精神が安定していることに安堵しながら、女の手足を縛っていた縄を解く。


 女の体をしまう前にドリィの居る冷蔵庫とは別の冷蔵庫を開け、中に保存してある、自分の血液パックを整理する。冷蔵庫のサイズは少女用だが、小柄な女の体ならば十分入るだろう。


 それを確認した後女の体を肩に担ぎ、冷蔵庫にしまい込む。


 これで、あとは明日以降にドリィと一緒に体を整えてやればいいだろう。


 ああ、それと荷物やスマートフォンの処理もしなくてはならない。


 だが、一番の大仕事は済んでいると思えば、気持ちもいくらか軽くなった。


 手早くナイフの洗浄をしながら、思わず笑みがこぼれてしまう。


 心弾むとまでは言わないが、穏やかな気持ちで作業部屋のドアを開き、明かりを消す。


 そして、廊下へ出て扉を閉める前に挨拶を忘れていたことを思い出した。


「おやすみ、みんな」


 そう言って扉をしめ、鍵をかける。


 時間が押しているから、入浴は少し駆け足になるだろう。


 しかし、穏やかな睡眠を得るには十分な心持ちだった。


 ともすれば、明日の役員会議に思いを馳せることすら容易である。


 三分で済ませることはできなかったが、五分以内ならば、一応は許容範囲だろう。


 これならば、今日も安眠できる。

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