寝る前に読める二千字小説

葉方萌生

めざせ!“癖力”評価5(ファイブ)


「積極性2、規律性3、責任感3、癖力くせりょく1……総合評価2……2!?」

 

 蓮也れんやは自分の手に握られた「人事評価シート」を見て、目を疑った。

 五段階評価で総合評価、2。

 二〇二三年度は、確かに営業成績が芳しくなかった。

 世間的にも物価高が進む最中、真っ先に保険代を切ろうとする者は少なくない。いつ必要になるかもしれない保険なんかにお金をかけるよりも、今日、明日生きていくために必要な食費などに支出を回すのは当然のことだろう。


 減りゆく顧客の数を眺めながら、何度落胆したかしれない。

 だが、それ以外のところで上司からの評価を落とすまいと、必死に努力してきた。

 課長の澤田宏さわだひろしには常に温かいお茶を汲んでそっと机の上に置いていたし、全員が退社したあと、一人事務所に残り、隅々まで掃除だってした。

 なのに、それなのに……。


「宏さん、この“癖力”って、なんなんですか!?」


 半狂乱になって叫んだのは、人事評価に「癖力」などという訳のわからない評価項目が加わっていたからだ。


「あれ、岩井いわい聞いてなかったのか? 今期から、“多様化する社会に対応するために、必要な個性を兼ね備えた人材を育てる”という人事目標ができたって。その指針となるのがこの“癖力”。どれだけ個性的な癖を磨くことができたか、で評価が変わるんだ。朝礼で一度話したはずだったんだが」


「はい? なんなんですかそれ! そんな話聞いてませんけど!」


 今年入社五年目になる蓮也は、上司からの『前に一度話したが』という攻撃に、目の前がくらくらとしてきた。宏は一度話したことを次の日にはすっかり忘れてしまうという弱点——もとい、特技がある。さらに、話していないことまで話したと錯誤する・・・・・・・・・・・・・・・・・・悪癖・・まである。


「おいおい、朝礼での連絡事項はちゃんと聞いておけ。来年からは癖力を磨けるように頑張れ」


 蓮也の抗議の声などまったく意に介さない様子でさっさと自分の仕事に戻る宏。見かけ上はパソコンで資料を作っているように見えるが、宏はいつも課長席で競馬の情報を漁っている。これで課長だなんて、世の中どうかしてるぜ……。

 蓮也は右手のひらで人事評価シートをぎゅっと握りつぶし、意気消沈したままお昼休憩へと向かうのだった。




 それから約二週間が経ち、桜の花が満開を迎えた四月、今年も新入社員がやってきた。

蓮也の所属している第二営業部にも女子の新入社員・山﨑恵菜やまさきえなが配属されることになった。


「岩井、お前が教育係をしてくれ。頼んだぞ」


「はい、承知仕りましたでござりまする!」


「なんだその口調は?」


「い、いえ……今年こそは、“癖力”を磨こうと思いまして……」


 蓮也の渾身の変態口調は、宏の冷ややかな視線により一蹴されるのだった。

 新入社員は各課に一人いるかいないかの新人だ。大切に育てなければならない、という使命感に蓮也が駆られたのも無理はない。


「恵菜ちゃん、どうぞよろしく!」


 入社六年目の先輩風を吹かせつつ、蓮也は爽やかに恵菜に挨拶をした。が、


「……“恵菜ちゃん”?」


 じっとりとした目で呼び方について批判された蓮也は、うっと肩をすくめる。

そうか、今の時代、新入社員の女の子を“ちゃん”付けなんかしたらセクハラ呼ばわりされるんだった……。


「ご、ごめんよ、山﨑さん、だね」


「はい。よろしくお願いします」


 恵菜はぴくりとも笑わずに小さくお辞儀をした。まるで表情筋が固まっているかのように無愛想な顔。こ、これは……営業をする上で、かなり致命傷になるのではないか?


 蓮也が危惧した通り、恵菜はその後一ヶ月が経っても、まったく笑わないどころか、終始仏頂面で仕事をしていた。しかも口調まで怒ったような感じなので、宏からも注意される始末だ。

 これはいかん!

 どうにかして恵菜を営業スマイルの達人に育てなければ……!

 危機感を覚えた蓮也は、恵菜を笑わせることが当分の目標となった。

 朝、恵菜が出社する頃には女装をして掃除のおばちゃんを装って話しかけたり、課で行われる小会議でギャグをかましてみたり。ありとあらゆる手段で、恵菜の笑いを誘おうとした。

 しかし、押しても引いても恵菜は笑わない。



「はあ……俺って、癖力だけじゃなくて、新人教育もできないやつなんだ……ああ、明日にはクビになりそう」


 ありもしないところまで妄想して落ち込んだ蓮也は、もう恵菜を無理に笑わせにかかるのはやめにしようと思い立つ。

 もうすぐ彼女の誕生日だと聞いた。

 せめてお菓子でも買って、これまでふざけてしまったお詫びをしようと、彼女のデスクの上にチョコレートを置いておいた。


「これ、なんですか?」


 出社した恵菜が、金色の紙に包まれた10円玉サイズのチョコを手にとってまじまじと見つめる。


「日曜に誕生日だって聞いたから……その、普段ふざけすぎてるお詫びも兼ねて。詫びチョコです」


 蓮也がそう言うと、なんと恵菜が、ふふ、と笑みをこぼしたのだ。


「ありがとうございます。でもこれ、本当にお詫びですか? プレゼントの癖、強すぎますよ」


 彼女が笑いながら見せてきた丸いチョコレートの包装紙には、「賄賂」と書かれていた。




【終わり】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る