第17話 篠原巧
巳継は考えをまとめた。
まず、豊田直人は篠原巧をこの部屋に呼び出した。
恐らく、渉と常盤隆二の遺体は、一時的に校庭に埋められていただけで、星雲荘の捜査が終わり、ほとぼりが冷めた頃にまた星雲荘に移したのだろう。だとすれば、呼び出し理由はこんな感じで良い。
――この山も開発が進もうとしているらしい。不審に思われる前に死体を動かしたい。早くやったほうがいい。次の嵐の前にでもやろう。
篠原巧は力仕事をするつもりで家を出て、星雲荘に到着する。
豊田も星雲荘へ到着する。
この時点で星雲荘へ向かう足跡が二人分残される。
畳は恐らく豊田が上げたのだろう。死体も少し掘り返され露出していたのではないだろうか。光量が足りなければ、地下の死体は渉には見えなかったはずだ。
豊田は畳の下をのぞき込むよう篠原を誘導し、背後から刺した。
篠原の足下へ血痕が流れ、溜まる。
おそらく、その後、豊田は自首するつもりだったのだろう。この部屋には白骨死体という篠原巧が人殺しであるという動かぬ証拠を残しておき、あとは自分で写真を持って詳細を自白すればいい。
しかし、豊田に誤算が起こる。
佐和が後をつけてきていた。その時、現場に小さな足跡が生まれる。
佐和にこの現場を目撃される。
しかし佐和は犯行の瞬間を目撃していなかった。担任である豊田に警戒せず、倒れる父親の元へ駆け込んだ。
まだ意識のあった篠原巧は娘に逃げろと伝えた。
豊田は作戦が狂うのを恐れて佐和を捕らえようとしたはずだ。
そのとき、佐和はたまたま持っていた傘を開いて抵抗した。
それに阻まれた豊田は、傘を奪おうと身体を近づけた。
そのとき、佐和はシンク下の収納扉から包丁を取り出し、傘ごと豊田を刺した。
佐和は人を刺したという事実で思考停止したはずだ。
豊田もその表情を見て我に返ったのか、佐和が自分を刺したという事実の隠蔽を図った。
それを篠原巧も手伝った。
おそらく豊田は包丁の指紋を拭き、篠原に握らせただろう。
豊田は自身の死期を悟る。
こうなっては、あの写真を確実に発見してもらわなければならない。
豊田はとりあえず佐和を逃がした。
佐和は去り際に傘を草陰に投げ捨てた。
篠原巧は最後の力を振り絞って、娘が開けた収納扉を閉めた。そのまま意識を失う。
刺された深さは浅かったのだろうが、それでも豊田は虫の息だったはずだ。しかし、一度去り、もう一度車で星雲荘へ戻った。恐らく車でなければ体力が保たなかったのだろう。
豊田は写真を必ず見つかる場所に置き、もう一度星雲荘を去った。
残された血痕を処理する意味はなかった。
そして、豊田はその後誰かに発見される。
巳継はずっと手に持っていた傘を見せた。
「見覚えはないですか?」
傘を開き、携帯のライトで内部を照らした。
傘の先端付近に切ったような穴が空いていた。中の骨組みには、血がべったりと付着している。表面の血は殆ど雨で流れたらしく見えない。
「そこで拾ったんです。学校の裏手にあるこの場所に、まだ使えそうな大人用の傘が捨てられていたんです。さすがに教師はこんな所に捨てないだろうし、じゃあ誰が捨てたんだろうって。しかもわざわざこんな場所に。思いつくのは、ここから投げ捨てた可能性くらいです」
篠原巧は黙り込んだ。
「まあ、僕の勘ですけどね。でもこの勘が正しければ、部屋の中に多分ありますよ。佐和さんの足跡。警察なら特定できると思います。出来なくても不審に思うはずです。こんな場所にこんな小さな足跡があるんです。そうなれば、必ず捜査の目は佐和さんに向くはずです」
もう逃げられないというのはこういう意味だ。
「だからこんな傘も必要ない」
そう巳継は傘を閉じた。
篠原巧は頭を抱えていた。見るからに弱っている。
「誰でも良い。助けてやってくれないか。身代わりになってやれないか」
この期に及んで出てくるのがこんな汚い考えなのか。このような考えをよく他人に聞かせられるものだ。
「嫌です」
「頼む……」
「なんでこんな事したんですか。不幸になる人が大勢出る事くらい分かってたでしょ!」
篠原巧は悔しそうに歯を食いしばっている。
ひどくイライラした。こんな男に人生を目茶苦茶にされるなんて、被害者は皆悔しくて仕方がないだろう。
「人を悪事に誘導できれば、それだけで勝手に堕ちてゆく。それを利用したら、人生が簡単になったんだ。小学生の頃、嫌いなクラスメイトを唆して万引きをさせたことがあった。私はこっそり店に連絡しただけだった。あとは何もしなくてもよかった。そのクラスメイトは教師や親から折檻を受け、その上精神を鍛え直すとか何とかで出家の真似事までさせられた。放課後は毎日厳しい修行で潰れたらしい。あいつは今までのような生活は送れなくなったんだ。……満足だった。素晴らしい成果だと思えた。それから私は、ずっとそうやって生きてきた」
篠原巧の目に、後悔の色はない。もちろん、懺悔の色もない。
ぞくりと寒気が走った。過去の悪行自慢をここまで満足げに話されると、これだけ嫌悪感を抱くものなのか。
「豊田も同じように嵌めたんですか」
「ああ、そうだ。一度、女子生徒との交際関係を取り持ったことがあるんだ。豊田先生には内緒でね。どうせ別れると思っていたら、案の定すぐに別れてね。それから先は簡単だった」
「子供の心を利用するなんて……」
「まあ、その生徒を嗾けたのも私なんだけどね。邪魔だったんだ。私と教育方針が少し違ったものでね」
なぜその程度のことで人を貶められるのか。到底理解できない。
「話し合うという選択肢はなかったんですか」
「一度話してみたんだがね、取り合ってもらえなかったんだよ」
仕方ないだろう、と篠原巧は言う。
「……もういいです」
そんなこと、人付き合いの中では当たり前のように起こることではないのか。
何と言葉を返せばいいのか分からない。
篠原は少しほくそ笑んだ。
詰め寄れば言い勝てるとでも思われているのかもしれない。
「豊田先生の事はいいだろう。それよりも――」
「――まだ聞きたいことがある。なぜ渉を殺した。金なら渉が居ない間に取ればよかっただろ」
「今日会った時は気付かれていなかったはずだ。よく一日でここまで調べたものだ」
これが悔しまぎれの発言なのは篠原巧の歪んだ表情を見ればわかるが、そんなこと関係ないと言わんばかりに、渉が殺気立った声を上げた。
「質問に答えろ!」
よく今まで声を上げなかったものだと思う。
篠原巧は渉を睨みながら説明する。
「邪魔だったんだ。ただそれだけだ。妙な情報を握っている可能性が少しでもあったら、生かしてはおけない」
あの日、篠原巧の顔を見た時点で殺すことは決定していたらしい。
巳継の目にも憎悪が宿った。殺してやりたいほどに、怒りが湧き上がってくる。本当にそんな理由だけで人の父親を殺したのか。
「渉が情報を握っている確証なんてなかったはずだ。確証もなしに人を殺すなんて!」
「仕方ないだろう。そうするしかなかったんだ」
話していて分かったが、この男には何を言っても通じない。自分の価値観以外、何も見ようとしていない。
「常盤隆二を殺した理由は?」
「口封じだよ。殺しを見られた。だったら消すしかないだろう?」
篠原巧は「分かるだろ?」と口元に薄笑みを浮かべて巳継の目を見つめてくる。
虫唾が走る。自分で巻き込んでおいて、見られたも何もないだろう。
「僕、そもそも殺しなんてしませんし」
「想像してみろ。君が人を殺した。それを見られた。……そいつも殺すだろう?」
巳継を諭そうとしているのか、先生のような口調で話している。
「想像すべきはあなたです。普通の人間は人殺しなんてしません。人殺しは選択肢に入りません。前提がおかしいんですよ」
「ならば君には理解できまい」
「理解したくもない!」
少しだけ睨み合った。
この男は話し合って和解できるような人間ではない。もはや話し合うだけ時間の無駄だ。雨風も相当強い今、早く帰宅しないと命に危険が生じる。
巳継は冷たくこう言った。
「あなたはただ見ていればいい……」
さすがに発言の意図を理解したのだろう。
篠原巧の目に焦りが見えた。
「頼む! 佐和を助けてやってくれ!」
「ダメです。悪さをすると必ず自分に跳ね返るんですよ。自業自得じゃないですか」
「佐和は何もしていない!」
「でも人を刺して逃げた。そればかりは言い逃れできない」
「それは私達がそうしろと言ったんだ!」
「それをどう証明するつもりです?」
篠原巧が固まる。
当事者である篠原巧は死亡、豊田直人は意識不明の重体。そんな状況下で、佐和の証言だけが聞き届けられるとは思えない。
巳継がこの真相にたどり着けたのは、あくまでも推理だからだ。科学的な証明ではない。しかも重要な証拠である足跡は、この台風で消え去るだろう。
そんな中でもこの複雑な状況を証明できるのだろうか。
篠原さんの今後については、もう警察に任せるしかない。そうなると、巳継のできることはここまでなのだが、篠原巧に対して言ってやりたい事がまだある。
「あなたは何の罰も受けていない」
「それとこれとは話が違う!」
「そうでしょうか。今日、思ったんです。酷い目に遭った人が報われる保証はないけど、悪さをした人は必ず報いを受ける」
巳継は更につらつらと言った。よくもまあここまで口が回ったものだと自分でも思った。
「常盤麗子は、金を奪う悪事を働き、死にました」
「常盤隆二は、娘を地獄に突き落とし、金を奪う悪事を働き、自身の借金を返しました。その報いは、顔を変えられ、その人生の大半をある人物の奴隷として過ごし、その人物に娘まで利用され、最終的に生き埋めにされて殺されるという惨いものでした」
「小林忠久は、数多くの女性を欺し、金を奪う悪事を働きました。真相はもう分かりませんがおそらく、常盤麗子も利用しただけだったのでしょう。途中で反省はしたものの、警察を恐れ、二十年間奪った金に手をつけず、おびえて暮らしている間に病に侵され死んでしまいました」
「豊田直人は、少なくとも金を奪う悪事を働き、人を殺しました。僕の推測が正しいのであれば、何十年もの人生をあなたを殺すことに費やし、刺された状態で動き回るという地獄のようなことをする羽目になり、今は意識不明の重体です」
「で、あなたは? まさか何も報いを受けずに死んで消えてゆくつもりですか」
「……悪魔め」
篠原巧は恨みの籠った目を巳継に向けている。
だが所詮何もできない幽霊だ。
「あなたの方がよっぽど悪魔ですよ。常盤麗子の死も状況的にあなたですよね。僕が知る限りあなたは三人殺してる。不幸にしてきた人達のことも考えると、被害者の人数なんてもはや数えられない」
「常盤麗子は俺じゃない!」
「いいやあなただ。わざわざあなたが自分で用意したバイクで事故を起こしている」
「……動機がない!」
「まあこれに関しては僕の勘なんで違うなら謝りますよ。あなたの奥さん、常盤隆二の元妻なんじゃないですか?」
篠原巧は硬直した。零体でなければ脂汗を掻いていそうな、そんな表情だ。
「……なぜ、それを」
「勘だといったでしょう。常盤麗子を殺害するだけの理由なんて、捜査攪乱のほかに、もうこのくらいしか想像出来ない。それなら、常盤隆二を殺したのも、そもそも常盤家にここまでの執着を見せていたあなたの行動にも、全て説明がつく」
自分の女が他所の男と過去に作った子供の存在が許せなかったのかもしれないと、渉も言っていた。
「だが、俺は殺されたんだぞ! もう報いは受けただろう!」
「三人殺しておいてそれはないでしょう」
篠原巧は苦虫を噛み潰したような顔をした。
巳継はどのような顔をしているのだろう。きっと人に見せられないような、嫌な顔をしているのだろう。少なくとも、篠原巧を恨みの籠った目で睨んでいるという自覚はある。
「佐和さんはずっと不安に思いながら今まで過ごしてきたはずです。あなたがまだ生きているかもしれない。今打ち明けたら助かるかもしれない。でも、打ち明けたら捕まる。小学生がこんな苦痛に耐えられるわけがない」
同じ小学生が言うのだ。間違いない。
「あなたは数多くの人を欺し、殺し、不幸にしてきた。この三億円強奪事件だけでも、相当な数の被害者が居る。そんな事をしてきたあなたが、何の罪も償うこともせずに死後の世界に逃げ込むなんて許さない」
お前に許されなくとも良い。篠原巧はそう言いたげな顔をしているが、死者の声を聞けるのは巳継だけだ。巳継を無視するわけにはいかないのだろう。鋭く巳継を睨んではいるが、声を出すことをしない。
「どうしたら許されるんだ」
「見ていれば良い。どのみちこの犯罪は最後まで追求される。佐和さんは必ず捜査線上に浮かび上がる」
篠原巧の表情からは、絶望が深くなった事だけが読み取れる。この男が何を考えているのか、何を模索しながらこんな表情を浮かべているのか。もはや巳継には分からない。
「死にかけの人間が行った偽装工作なんて、僕みたいな小学生にも想像できるような稚拙なものだ。警察が見逃すはずがない」
これと同じことを豊田と篠原巧はここで話していたのだろう。それを小林は聞いていたのだ。小林が最近の警察はすごいと言っていたのはそのためだ。
小林が庇っていたのは、篠原佐和だったのだ。
「頼む……頼む……」
突然、駄々をこねる子供のように篠原巧はその言葉を繰り返した。
その声は、巳継にとって酷く不愉快なものだった。しかし不快なほど耳によく届くようで、この強い雨風の音の中でも、しっかりと聞こえてくる。
「もうどうしようもない。僕と佐和さんは今から警察へ行く。どうせ時間を奪われるなら、今の方が良い。これからのことを考えると、今のうちに清算すべきだ」
篠原巧は慌てた様子で巳継に縋り寄ってきた。
「待て! それで良いのか。好きなんだろう、佐和のことが」
「そうですよ。だからこんなに怒ってるんじゃないですか! あんたが罪を犯していなければこんな事にはならなかったんだ! あんたが犯罪者である時点で、佐和さんは奪った金で育てられた人間だというレッテルを貼られ続ける! ふざけるな! 父親の犯した罪の報いを、何も知らない佐和さんが一人で受けているようなものじゃないか!」
父親の負債を背負わされるのは常盤麗子の状況に似ている気がした。しかし、佐和のこれからの人生を考えると、常盤麗子が受けた理不尽な仕打ちも超えかねない。
それにも薄々気が付いているのだろう。だからこそ篠原巧は目を見開いて必死に巳継を説得しようと試みるのだ。
「だから、捕まらないように、逃げるんだ……」
「これから先の人生、小林忠久のようにおびえて暮らせというのか」
知らず知らずのうちに巳継は叫んでいた。
小林はお天道様の下を歩けないと言っていた。
そりゃあそうだ。日本は罪を償っていない人殺しが堂々と生きれるような場所ではない。
「だが捕まるよりマシだ!」
「捕まっても地獄だけど、捕まらなくても地獄だ! 仮に人を刺していなかったとしても、父親の悪評という地獄が待ってる。元々、佐和さんに逃げ場なんてなかったんだ……!」
「では、俺はどうしたら……」
「死人には何も出来ない。諦めろ。それくらい分かるだろう」
篠原巧の断末魔のような悲鳴は酷く不愉快な響きだったが、どうしようもないことに、少し気が晴れた自分がいた。渉殺害の件もあり、巳継も相当溜めこんでいたのだろう。
ふと正気に戻って横を見た。
佐和は、可哀想に、巳継の横で泣き崩れていた。
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