第8話 実行犯
小林忠久は実行犯だと言った。
上手く金を強奪したあと、一号室の地面の下に埋めて隠したという。
「一人じゃないですよね、実行犯」
巳継は恐る恐るそう言った。
「なぜそう思う」
「三億円って三十キロあります。図書館で調べました。一人で運べる重さじゃないし、あの嵩のモノを運んでいるだけで目立ちます。何人かで分割したんじゃないですか?」
「……そうだ。三人で分割して運んだんだ」
ある程度大きな荷物なら仕事で運んでいる人もいたはずだ。上手くやれば目立たないのかもしれない。
「俺は農作業で使うような一輪車に金を載せて、その上に土を盛って運んだ。他の奴は知らねえ。それきり会うこともなかったからな。言ってたのさ。危険だからもう会わねえってな」
この辺りは昔、田んぼと畑で一杯だったらしい。土を運んでいる男など珍しくなかったのかもしれない。
「その後、引っ越したりはしなかったんですか。どうしてこんな見つかりやすいところに居続けたんですか?」
小林さんが力なく笑った。
「ああ。なんだか罪悪感で一杯になっちまって……。でも言い出せなくてな。逃げたくねえのに、勇気が出ねえ。だったら引っ越しゃいいのに、それも罪悪感から出来ねえ。……そんなこんなしているうちに、俺は身体を壊した」
そういえば、がんだと言っていた。
「発覚した時にはもう遅かった。医者に、金はあっても命は助からねえといわれた。段々馬鹿らしくなってきてな。なんで俺はこんな金のために人生おびえながら暮らしてたんだって。その時間があれば楽しく暮らせたかもしれねえ。少なくとも、お天道様の下を、大手を振って歩けたんだ」
巳継は黙っていた。よく分からなかったからだ。でも、警察に捕まることを恐れてこそこそと暮らしていた生活を考えると、一億円は少ないと思ってしまう。それなら、何も恐れずに自由に暮らしたい。
「事件から七年たって、時効が成立したときには既に、俺はもう布団の中で苦しむことしか出来なくなっちまってたんだ」
「お金はどうしたんですか?」
「一銭も使わなかった。結局使おうって気には一切なれなかった。俺が死んだあと、それを聞きつけた他の奴らがわざわざここにきて、根こそぎ持って行っちまったよ」
「そうですか」
ずっと巳継に背中を向けていた小林さんが、上半身だけ捻じって振り返り、巳継の顔をじっと見た。
ようやく時効を迎えて怯えなくて済むようになったとしても、身体が病に侵され動けなくなってしまったとあれば、悔しいだろう。
そう考えていた巳継の心を読んだのか、小林さんが厳しい口調で言う。
「俺に同情するなよ。俺は犯罪者だ。被害者がいるんだよ。俺は罰を受けて当然なんだ。……本当に可哀想だったのは、俺じゃねえ。俺の次にこのアパートに入った人だ」
「失踪したっていう」
「さっきは知らねえって言っちまったが、知ってるんだ。他の奴らが俺の金を手に入れる前に、このアパートのこの部屋を借りちまったんだ。大家の野郎、俺が死んだ途端に家具付きだとか言ってこの部屋を貸しちまいやがった」
「もしかしてその人……」
「ああ、その通りだよ。奴らに殺されたのさ」
そのような事がこの場所で起きていたのだと思うと、急に怖くなった。犯人がまだ生きていたらどうしよう。犯人が偶然ここに来たらどうしよう。
恐怖は膨らんでくる。
しかし、まだ訊きたいことがある。巳継が知りたいのは犯行の方法ではない。殺された人の身体の行方だ。犯人が同じだった場合、もしかしたら篠原巧の遺体も同じ場所に隠されているかもしれない。
「その、ご遺体は?」
「わからねえ。嵐の晩だった。奴らどっかへ持って行っちまった」
小林さんは頭を抱えて震えた声を出した。
「俺よお、幽霊なのに、怖くて隠れちまったんだ。だから、その人に謝れてねえんだよ。ここで死んだのなら、もしかしたら幽霊となって現れたかもしれねえのに……」
「あの、小林さんがここにいる理由って」
「ああ、いつか逢えると思ってる。……逢えたら謝りたい」
絞り出したかのような声だった。十年ここで待っても現れなかった相手。ずっと謝りたいと願うその相手。その相手のことを考えてみようとしたその時だった。
小林さんの後ろに立つ巳継の、そのまた後ろから声がした。
「だったら謝ってもらおうか」
声でわかる。
巳継の良く知る浮遊霊、清美渉だった。
「渉……」
「巳継、割り込んで悪い。話は聞いてた。ちょっと話をさせてくれ」
小林さんは渉を見るや否や、目を大きく見開いた。
「ああ、ようやくお会いできました……。あなたです……あなたです……。その節は誠に、誠に申し訳ありませんでした……!」
小林さんは地面に額を擦り付けるほどに頭を下げた土下座をした。それ以降、一切動かなくなった。
「犯人を赦す気にはなれないが、お前はもう赦してやるからさっさと成仏しろ」
「宜しいのですか……」
「こちらの事情だ。それに、この町に居続けられても目障りだ」
「わかりました」
渉は、十年前に死んだ浮遊霊だ。渉はここに来るなと巳継に口酸っぱく巳継に注意していた。それは、ここで自分が殺されたからだったのだと、今わかった。
小林さんはゆっくりと顔を上げた。
「巳継君といったか。すまない。私はもうこの世にいられない。……お別れだ」
「はい。お元気で。最後に一つ聞いてもいいですか」
「おう。なんだ?」
「小林さんの前に住んでた人の名前、知っていますか?」
小林さんは少しだけ巳継の顔を見つめ、かすかに笑った。
「……
「はい」
小林さんは、音もなくすうっと姿を消した。
幽霊だからといって自在に姿を消せはしない。雨の日にしか出ない幽霊だとか、夜にしか出ない幽霊というのは、その状況下で想いが強まり見えやすくなっているだけだと渉から聞いたことがある。巳継も見えやすい幽霊しか見えていないということだろう。小林さんも多分これで思いが弱まり、少なくとも巳継には見えないほどの存在になったということだ。
幽霊が成仏する瞬間を何度か見たことがあるが、いつもこうだ。
本当に成仏したかどうかは渉に訊かないと分からない。
「小林さん、成仏した?」
「ああ、もうこの世にいない」
渉は静かにそう言った。
「巳継、俺がここへ来たのは――」
「――僕に情報を渡さないようにするためでしょ」
渉は少しの間だけ、じっと巳継を見ていた。
「そうだ。もう帰ろう」
渉が巳継を説得するときの声だ。普段なら素直に聞き入れるところだが、そうはいかない。こんな危険な事に首を突っ込みたくはなかったが、佐和のためなので仕方がない。
「ううん、帰らない。まだ行かなきゃならないところがある」
「図書館で言ってた事故現場か?」
「そうだよ。常盤麗子で名前まで一致したから、もう間違いない」
「なぜそう言える」
「昔がどうかは知らないけど、少なくとも今なら普通は、前の住人の名前なんて知らないでしょ。三十年も経ってるのに、あんなにすんなりと名前が出てくるのもおかしいよ」
「あの男の言い方だと、危険な霊に思えるんだが」
「かもね。小林さんが言ってた団地のところの霊、たぶんこの人だと思う。新聞に載ってた事故現場は団地って書いてあったし」
「……今日はお前が怖い」
「僕はもっと怖い。誰が好き好んでこんな物騒な事件に関わるんだ……」
佐和が絡んでない場合、こんな危険な事件の調査などすぐにでも放棄していたはずだ。しかし、佐和の泣いているところを見てしまった以上、あきらめるという選択肢など、巳継の中にはない。
篠原さんのあんな顔なんて二度と見たくない。願わくばずっと笑っていてほしい。
「……そうか。わかったよ」
「え……?」
図書館からずっと意地の張り合いみたいなことをしてきたが、折れたのは渉のほうだった。あまりにもすんなりと折れたので気味が悪いとすら感じた。
「いいの?」
「佐和ちゃんのためだろ……。これ以上、やめろとは言えない」
渉はそう言って、はあ、とため息をつく。
巳継も静かにため息をついた。協力を得られるなら、幽霊の渉は心強い仲間となる。
「今日、台風が来るんだ。幽霊よりも台風のほうが怖いから、一緒に来て」
「そうだった。急ごう。もうすぐ降りだすぞ」
「ねえ、もうひとつ教えてよ。身体はどこ? 篠原さんのお父さんのご遺体、同じ場所にあるかもしれないんだ」
渉は悲しそうな顔で笑う。
「聞きたいことはそれだけか?」
巳継は首を横に振る。
「図書館でも聞いたことだけど、篠原さんのお父さんとは、どういう関係?」
「顔を知ってる程度だ」
「まだしらばっくれる気? 十年以上会ってないけど顔を覚えていて、挨拶もしないような相手って、どんな関係なの?」
悲しそうな顔のまま、今度は驚いたような目を巳継に向けてきた。
「お前、いつの間にそんな頭が回るようになったんだ……」
「やってることはただのコジツケでしょ。人が死んでるんだ。半端なことをしたら失礼だから。あと、明らかにこの部屋、怪しいよ」
渉は完全に諦めたのか、今度はほくそ笑んだ。
「この件が終わったら、その調子で勉強しろよ」
「わかった」
渉は巳継の前で十年前に起きたことを話し始めた。
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