第3話 小学校の違和感

 この方円寺ほうえんじ小学校は、創立百六十三年の古い歴史を持つ小学校だ。今でこそ小学校の周りは住宅街となっているが、昔は周りを田んぼや畑に覆われていたという。開発が進んだのはここ十年ほどで、その前は近くに団地があっただけだという。


 当時はその団地があった区画だけが整備されていたのだが、最近になって他の区画も整備され、今のこの町ができたのだという。いわゆる新興しんこう住宅地というやつだ。


 正門から小学校を見ると、名前も聞いたことがない小さな山が背後にあるのが見える。手入れも碌にされておらず、木々が一面に生え散らかしており、唯一建造物が建っているところだけ地肌を確認することができる。もっとも、その建造物も今や住む人はおらず、今では廃墟はいきょと化している。


 最近はあの山も開発しようという動きがあると、母から聞いた。正直、あの不気味な廃墟だけでも早く壊してほしい。


 そんな願いがかなったわけではないが、校門前のそんな見飽きた光景が、今日は違った。


「なんだ?」


 小学校前は物々しい雰囲気だった。何やら大きなカメラを持った大人が大勢、校門前に並んでいる。その付近で教師達が慌ただしく生徒を誘導している。


「そのまま新体育館に行って。教室には行かなくて良いから!」


 生徒達が「はーい」と適当な返事をしながらぞろぞろと体育館の方へ向かっていく。


 何か変だと思った。教室にランドセルを置くこともせず、そのまま体育館へと通される。これは異例だ。全てにおいて効率よりも伝統を重んじるこの学校らしくない。ランドセルは必ず教室に置くというのは、一年生の時から叩き込まれるこの学校の常識のひとつだ。


 どんなに非効率的であっても、一度教室を経由することを美学としているこの学校らしくない。


 モヤモヤしつつも体育館へ行くと、中には既にクラス毎の列ができていた。既に着いていた生徒は体育座りをしながらひそひそと話をしている。ざわざわし過ぎていて聞き取れないが、大半はこの異常事態とは関係のない他愛もない話をしているのだろう。


 そんな中を歩きつつ自分のクラスの列を探していると、クラスメイトの佐和が手を振って場所を教えてくれた。今日は後ろ髪を二つくくりにして可愛らしいスカートを履いている。


「おはよう、加野川かのかわくん。今日は背の順だって」

「おはよう、篠原しのはらさん」


 巳継みつぐ佐和さわの後ろに座った。背の順だとこの位置が正しい。誰にも言わないが、このクラスになってから、退屈だった朝礼の時間は佐和の後ろ姿を眺める時間になっていた。


 そして今日は佐和が振り返って話しかけてくれた。これだけで学校に来た甲斐があったというものだ。


「あのね、今日ちょっと事件が起きたかも知れないんだって」


 どうせならもう少し楽しい話がしたいです、篠原さん。


「事件? あの校門前に集まってたやつ?」

「そうそう」


 佐和が勢いよく巳継のほうへ身を乗り出した。


 目と目がばっちりと合って少し気まずい。咄嗟にランドセルをあさるふりをして下を向いたが、直後にかなりもったいない事をしたと気がついて、すぐに視線を戻した。


「えっと、あれ何なの?」

「加野川くんは、今日のニュースで教師の事件があったの見た?」

「ああ、多分それなら見たよ」


 丁度、今朝やっていたニュースだ。重傷を負った教師が発見されたというニュースだ。


「その教師の名前、見た?」

「名前は見てないな」


 それは見ていない。視線を外してパンを食べていた時にでも出ていたのだろう。


 佐和はよくこのような話をする。ゴシップが好きなのだろうか。そういえば、怪談話やクラスメイトの噂話を話す場には必ず居る気がする。


「教師の名前が豊田直人とよだなおとだったんだよ」


 どうでも良いことを考えていた巳継だったが、その名前を聞いて背筋が凍ったような感覚を覚えた。


 担任の名前だった。


 豊田とよだ先生は今年この学校に赴任してきた先生で、もう五十七歳だとか、この学校で定年を迎えるだとか何とか言っていたのを覚えている。


「同姓同名の可能性もあるでしょ?」

「もちろん初めはそう思ってたんだけど、事件現場は隣町なんだよ。それに加えてこの騒ぎ。怪しくない?」


 ここまで状況が揃うと否定しようにも否定できない。怪しいどころの騒ぎではない。あのカメラの人たちはマスコミだったのだろう。


「重体なんだっけ?」

「うん、そうだよ。誰かと争ったんだろうってニュースでは言ってたけど、その誰かは分かってないらしいの」


 嫌な話だ。夏休み中になんてことが起こるんだろう。不審者がこの近辺に居るということで外出を控えるように言われるかもしれない。重傷の先生は気の毒に思うけど、巳継はそちらの方が心配だった。残りの夏休みくらい自由に過ごしたい。


「ねえ、加野川くん」


 訊きにくい事なのか、佐和が少しだけ上目遣いになって目を細めていた。


「なに?」

「ここにも、霊はいるの?」

「えっと、わからない。見分けがつかないんだ。でも、ここに知らない大人はいないから、たぶんここにはいない」


 見分けがつかないというのは嘘だ。手足どころか表情までしっかり見えるが、嫌でも霊は霊だと分かる。理屈は分からないが、霊だとわかるのだ。質感がないとでも言えば良いのか、生きている人間とは見た目が明らかに違う。


 その事実だけは、クラスメイトには隠していた。低学年の時、幽霊が出ると噂されている学校裏の妙な廃墟に連れて行かれそうになったりしたので、巳継は「霊がいても区別はつかないし、話せもしない」と嘘をつき続けている。


 それに面倒事もご免なのだ。三十年前に一人事故死、十年前に一人病死、その後すぐにもう一人失踪した廃墟なんて誰が行きたいか。渉にも口酸っぱくあそこには行くなと言われた。言われなくとも誰が行くか。


 それに今日はわたるがついてきていない。いつも来るなと言ってもついてくるくせに、今日は校門の前あたりで姿を消した。渉がいれば「いるよ」と簡単に言えるのに。カメラを見て逃げたのだろうか。映ったりするのかもしれない。


「そ、そっか、ここに豊田先生の霊がいたら間違いなかったんだけど」

「先生まだ死んでないよ……。あと、今ここに幽霊として居たら確かにそうだけど、死んでまで仕事に来るのかな?」


 佐和は、はっとしたようだ。


「ああ、そうだね。普通は家族の所に行くか」

「そうそう。お盆も家族の所に帰るでしょ?」


 死んでまで仕事したいと思う人などいないと思う。子供の自分ですら学校が面倒くさくて仕方ないのに、大人になっただけで喜んで仕事をするようになるとは思えない。


「そっかそっか。そうだね。私はお母さんの実家に帰ってお祈りしたよ」

「そうそう、死んだら大体みんなそうなるんじゃないかな」


 巳継は適当にそう言った。別に調べたわけでもないし、見てきたわけでもないし、死者に直接聞いたわけでもない。周りの幽霊たちを見てきて、何となくそう思っているだけだ。


「あとさ――」


 何かを言おうとした佐和だったが、言葉を飲み込んで前を向いてしまった。


 全校集会が始まったのだ。全校集会では結局事件のことについては語られず、校門前の騒ぎについての説明もなく、いつも通りの長ったらしい校長先生の話が続いただけだった。


 全校集会が終わった瞬間、体育館が活気に満ちた喋り声で満たされた。この後あるはずだった教室でのアレコレがなくなったためだ。しかし、全員まっすぐ帰宅するようにとのお達しが下った。


 仕方ない、この先の夏休みの自由が奪われぬことを祈りながら帰るとしよう……。


 そう思っていると、前に居た佐和がくるりと回って巳継を見つめる。


「ねえ、加野川くん。今日これから暇かな?」

「暇だよ」


 巳継は即答した。


 直帰するようにとのお達しを無視するに足る誘いだ。致し方ない。いや、違う、下手により道なんかせずに、一度大人しく家に帰りさえすれば良いのだ。そうすれば大手を振って遊べるというもの。


「じゃあさ、今日ちょっと家に来てくれないかな?」

「わ、わかった。でも、家知らないんだけど、どうしよう」


 女子に家に呼ばれる経験なんか勿論ないから、どうしたら良いのか分からず挙動不審になってしまう。


「あ、そ、そうだったね。じゃあ、私が寄り道するよ。先に加野川くんの家に帰って、一緒に私の家に行こう」

「……う、うん」


 渉がついてくるじゃん……。


 でも、流石に「ええ……」とは言えなかった。




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