3分間
ノート
3分間
桜井桜子には3分間にやらなければならないことがあった。
人殺しだ。
桜井桜子は殺し屋である。それもただの殺し屋ではない、凄腕の殺し屋だ。
彼女の名は裏社会に雷鳴の如く轟いており、桜井殺し屋事務所には一分一秒ごとにあな憎し誰誰を殺してくれとダイレクトメールと電子メールが届きに届いている。
なぜここまで依頼が来ているのかと言えば、それは彼女の実力以上に、彼女が殺し屋にあるまじき真面目な勤務態度をしていることで有名だからだ。
殺し屋稼業5年、未だに受けた依頼を失敗したことは無いし、彼女はそれを誇りに思っている。
だが……ここにきて桜井桜子はかつてないピンチに見舞われていた。
依頼のバッティングだ。
桜井桜子は、凄腕の殺し屋だがスケジュール管理能力が全くない。この1週間は受けすぎた殺しの依頼を大急ぎで片付けていたが、結局タイミングが合わず後回しになっていた依頼が3件も残っている。
依頼人への報告期限は残り3分。
どうにかして3人をここにおびき寄せなくては。
そして……この仕掛けをきちんと作動させなくては。
桜子は再度、事前に調査した3人のプロフィールに目を通した。
―——
武田猛には3分間にやらなければならないことがあった。
歯磨きだ。
武田猛はビジネスマンである。
このホテルには営業でやってきた。
営業マンである猛にとって、時間の厳守は基本中の基本。さらに身だしなみは基本のkとさえ言える。
プレゼンテーション資料を読みなおしつつ、彼は手鏡を取り出した。靴良し、スーツ良し、髪型良し、髭良し。そして……そこで確認する手鏡がハタと止まる。
前歯に青のりがついてる!
きっとここに来る最中好物のタコ焼きを食べたせいだろう。
幸い面談まで3分ほど時間がある。今のうちに身だしなみを整えておこう。
―——
荒川昭には3分間にやらなければならないことがあった。
上着の手洗いだ。
荒川昭はディレッタントである。
友人からは遊び人だの穀つぶしだのナンパ師だの色々と言われているが、彼自身はディレッタントという呼ばれ方を気に入っている。
明は昨晩、とある女をナンパした。
いつもの手口で行きつけのバーに連れ込み酔わせ、そのままこのホテルまでまでやってきた。そこまでは良かった。
だが……連れ込んだ女は随分悪酔いしたのか、昭の顔面にマーライオンもかくやという勢いでゲロを吹き出したのだ!
昭は女をすぐに叩き出し、顔を洗ってからふて寝した。
起床すると彼は朝食でも取ろうと部屋を出たのだが、なんと最悪なことに襟にゲロがまだついている。
朝食の終了時間まであと3分。
一々部屋まで戻るのも面倒だし、食堂近くで洗っていくかあ。
昭はため息をついた。
―——
小山内理には3分間にやらなければならないことがあった。
小便だ。
小山内理は政治家である。
テレビに映る彼はいつでも陽気で自信に溢れているが、実は極度のあがり症だ。
そんな彼は同じ派閥の若手のために応援演説に来ている。
だが宿泊しているホテルからいざ出ようとした瞬間、いつものあがり症が発揮されてしまった。
足がすくみ歯がカチカチなり頭の中に霞がかかる。こんな時は決まって……尿意も来てしまった。
仕方ない、運転手が来るまであと3分。さっさと済ませてしまおう。
―——
S県G市K町2丁目3号プリンスプリンシパルホテル1階食堂脇トイレに設置されたトゲ付き鉄球入り時限爆弾には、3分間にしなければならないことがあった。
―——
眼下で起きた爆発を目にした桜井桜子は、そうして今回も依頼を失敗せずに済んだと胸をなで下ろした。
3分間 ノート @sazare2023
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