託された生命

マフユフミ

託された生命

マナブには三分以内にやらなければならないことがあった。

「あの…」

「今は黙って」

少女が声を掛けるのを乱暴に遮って、マナブは手あたり次第パソコンのキーボードをたたく。

もちろん、手あたり次第に見えるだけで、それはしっかりした計算のもとに成り立っている。マナブの計算に狂いなどないのだ。

「三分か…」

分かっていたつもりでも、やはり三分という時間は短い。

マナブが頭をフル回転させ、自分の持てる力をすべて注ぎ込んだとしてもギリギリの時間だ。

無心に頭の中の数式を現実に落とし込んでいく。



「ねえ、マナブちゃん」

女にしては低く、かすれ気味の声が突如脳内に響いた。

「その日が来たらどうするの?」

その時の記憶はひどく曖昧だった。

なんとなく、夕方だったように思う。それももう暮れゆくあたり。

窓の外から差し込む西陽で部屋の中がオレンジに照らされていたことと、微笑んでいるような泣いているような女の顔。

「くだらない」

マナブは女の言葉をバッサリと切った。

「そんな三%にも満たない可能性のことを考えてどうするんだ」

その日が来る可能性は、マナブの計算上2.87%。ほぼないと言っていい可能性だった。

「100%じゃないんでしょ」

「何が言いたい」

「私はね、マナブちゃん」

女はマナブの目をしっかりと見た。

その目の強さに、マナブは何も言えなくなる。

「最後のときくらい、あなたに好きに生きてほしい」

「どういうことだ?」

「万が一アレが起こって、それを止められるのがマナブちゃん一人だったとしても」

女はマナブの肩にそっと手を置く。

「マナブちゃんが止めなければならないってわけじゃない」

「何を言って…」

「マナブちゃんが背負うのは人類の生命じゃなく、マナブちゃんの生命だってこと」

女の顔がいつになくあまりにも優しくて、反論することもなくその言葉を聞いていた。


朧気な記憶の中で唯一はっきりと残っている女との会話を、あれからマナブは繰り返し考えてきた。

「人類の生命じゃなく自分の生命、か」

聞こえないほどの小さな声でつぶやく。

自分を大切にすることを考えるなら、やはりマナブにはこの方法しかなかった。

「なあ、おまえ」

隣で口をつぐんだまま手元を見ていた少女に、目線は向けずに語りかける。

「おまえの母親は、本当に強い人だった」

あの声、キリッとした目元と柔らかい笑顔。

「そして、本当に美しい人だったよ」

少女が息を呑むのが分かる。

そう、女はとても美しかった。

そしてマナブの人生における唯一の理解者。

「俺自身を今最も優先するなら、それはもうおまえを生かすことしかないんだ。おまえが、おまえの母親が俺に唯一遺したものなんだから」

ちらりと時計を見る。あと30秒。

「それって…」

「どれだけ言葉を尽くそうが、たぶんおまえには伝わらない。おまえの母親が俺のなんだったのか、俺がおまえの母親にとってなんだったのか」

あと15秒。

「ただ一つ言えるなら、ひどく陳腐な言葉になる。俺はあの人を愛していた」

あと5秒。

「昔の話さ」

エンターキーを押す。

残り1秒を持って、世界を恐怖に陥れたこの世の全ての核ミサイルの一斉暴走の危機は止められたのだった。



地下へと堕ちた天才科学者の鵠沼マナブが地球の危機を食い止めたという事実は、そしてそれが極めて個人的な事情によって行われたということは、少女しか知らない。

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託された生命 マフユフミ @winterday

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