一歩-2

 アクセサリーショップと千歳が通う塾は、電車で五駅ほど離れている。同じ市内ではあるが、一秒が惜しい今は舌打ちが出る。改札を走り抜け、ホームへの階段を上がりながら中間の駅で会う約束を取りつけた。


 先に目的の駅に到着し、改札内で千歳を待つ。塾のある方面から電車が入ってきた音がして、階段が大勢の人を吐き出す。その中に、急ぐ千歳をすぐに見つけることが出来た。人波に逆らえず、待つことしか出来ない。


「花村!」

「ちー!」


 駆け寄ってきた千歳に抱きついてしまいたい。それをぐっと堪える尊の腕を、一瞬も立ち止まらず千歳が引っ張る。


「ちー?」

「まだ時間ある?」

「俺は全然平気」

「じゃあこっち」


 改札を出て、腕を引いたまま千歳は歩き出す。どこかを目指す確かな足取りと、千歳には珍しく有無を言わせない雰囲気。白い息を細切れにしながら歩いていると、小さな公園が現れた。千歳は迷わずそこに入り、振り返ったかと思うと尊を強く抱きしめる。


「うお」

「花村、花村っ」


 必死な様子に、尊も胸をいっぱいにしながら抱きしめ返す。


「ちー」

「オレ、オレ……」

「うん」

「どうしても会いたくなって……急にごめん」

「全然ごめんじゃねえよ、すげー嬉しかった……俺も会いたかった」

「花村……好き、大好き」

「ん、俺も」


 電話の向こうで聞いた、切ない声で千歳はそう言う。リュックと背の間に手を入れてさすると、うう、と呻いて肩に擦り寄ってきた。


 久しぶりに触れることが出来て嬉しい。会いたいと言ってくれて嬉しい。こんなに必死に好きだと言ってくれて、死にそうなくらいに嬉しい。許容量を超えた幸福に鼻の奥がツンと痛む。コートを着こんでいても体温を感じたくて、千歳の髪を撫でながら頬を重ねると、あまりに冷たい。この体で温められたらいいのに。そのまま擦りつけると、千歳は更に強く腕に力を込めた後、少し離れて額をくっつける。


「キスしたい」

「ん……俺も」


 くちびるを合わせるだけでいられたのは、ほんの数秒だけだった。熱い舌にくちびるを割られ吸いつくと、両手で頭を鷲掴みにされる。口内をかき混ぜられ、指は地肌をくすぐるように這いまわる。


「あ、っ、ちー、んんっ」

「は、あ、花村」


 背中に甘い痺れが走る。立っていられなくなりそうで、千歳の腰にしがみつく。堪らなかった。もうずっと、ずっと我慢していたのだ。昼休みの教室でこっそり手に触れたりはしたけれど、キスは先月の昼休み以来だ。最後の深いキスは最早いつだったか。たくさん我慢した、千歳の邪魔をしたくなかったから。でも千歳のほうから必死に求めてくれている。頭がどうにかなりそうだ。


「は、ちー、ちょ、待って」

「やだ」

「あっ、ちー、耳やば、あ」


 ちょっと息継ぎをしたかっただけなのに。千歳は拗ねた顔をして、耳に口づけてきた。なんだこれ、やばい。耳の中に熱い舌が伸びてきて、思わず逃げようとすると「だめ」と言ってやんわり歯を立てられる。やばい、やばい。強引な千歳も、そんな風に触れられるのも初めてで、腹の奥がずんと重くなる。張り詰めたパンツの下に気づかれたくなくても、少しでも離れようとすれば引き戻されてしまう。だからすぐに分かった、千歳も同じだ。


「ちー、やばいって……」

「うん、でもどうしよ、やめたくない」

「ん……っ」


 誰もいないとは言え、ここは外だ。どんなに昂ぶったところでどうしようもない。止めるしかない、だがやめたくないのは尊だって同じで参った。駄目だと思いながら、ゆるゆると体をくっつけ合う。冷めることも急速に滾ることもない、とろ火にかけられているようで頭がぼーっとする。――千歳のこの様子だと、ここがもし家だったら、最後までしただろうか。そんなことを考えれば、椎名に言われた言葉がふと蘇る。


『それ、彼氏に言った?』


 言ってみようか。抱かれたい、と。たった五文字を浮かべるだけで息が上がるが、久々の体温に甘えたくなる。


「ちー、あのさ」

「ん? ……花村、顔赤い」

「あ、馬鹿ちー、んん」

「ごめん、だって、花村可愛い」


 瞳を覗くと、妙なことを言って強く擦りつけられてしまった。可愛いわけあるか。可愛いのはお前だろ。そう言いたいのに、ぐるぐると籠る熱に慌ててしがみつく。今日の千歳はやはり強引で、押しが強くて、ぞくぞくする。


「ちー、俺、俺」

「うん」

「俺な」

「うん」


 途端に恥ずかしくなって、千歳の首にぎゅっとしがみつく。人の気配なんて変わらずどこにもない、ふたりきりの真っ暗な公園だ。それでも秘めた気持ちを、内緒話のように千歳に渡したい。


「ちーに……抱かれたい、って思ってる」

「……っ! は、花村……?」

「ちーはどっちがいい?」


 今はどうか顔を見ないでほしい。離れそうな体に、そうはさせまいと腕を強く巻きつける。呼吸が小刻みになってきた千歳が、尊の首にくちびるを押し当てる。


「っ、オレ、花村はその、抱くほうがいいんだろうなって、思ってて」

「……ちがう」

「だからオレ、その、覚悟しなきゃって思って、でもなかなかできなくて」

「いい、要らない。もう俺がしてる」


 そういう雰囲気になった時、いつも慌てるようにはぐらかしていた千歳を思い出す。そうか、そんな風に考えていたからだったのか。そりゃあそうだ、言わなければ分からない。千歳の本音を欲しがるくせに、抱かれたいと伝えられていなかった。


「花村……いいの? 本当に?」

「ああ。ちーのこと好きになって、そしたら俺、ちーにされたくなった」

「は、あ……オレ、本当は……花村のこと抱きたい、って思ってた」

「んっ、やば……」


 伝えられたことが、抱きたいと言ってもらえたことが、夢のように嬉しくて体中に満ち満ちる。椎名のおかげだと思うと不本意な気もするが、あの一言がなければ今日の機会にもきっと言えなかった。


 重なった想いに、またひとつ千歳に近づけた気がする。額を合わせて、笑い合ってキスをして。「でも今日は出来ないね」とふたりして鼻を啜った。

 確かめ合えた喜びは最高でも、昂った体はどうしたものか。離れてしまうのが手っ取り早いと分かってはいるが、そんなの今はいちばん酷だ。


 自動販売機であたたかいココアを二本買って、冷たいベンチでどうにか体を鎮めた。修行僧にでもなったような気分を覚えながら、帰る時間をなるべく伸ばしたくてちびちびと飲んだ。


「そろそろ帰らなきゃな」

「……うん」

「風邪ひくし」

「……うん」

「なあ、この公園知ってたのか?」

「ううん。ゆっくり話せるところ、電車で調べた」

「ああ、それで。でもファミレスとかもあったろ」

「それは……ファミレスじゃキス出来ないし」

「へえ。ちーのえっち」

「っ、だって!」

「ありがと。俺もしたかった」

「……じゃあ花村もえっちだね」

「だな」

「はは」


 口では聞き分けのいいことを言って、やっぱり名残惜しくてじゃれ合って、手を繋いでくちびるをもう一度重ねる。絡めた指も、甘い舌もあたたかくて。ふたりして鼻を啜ってしまうから、泣き虫になったなと笑い合う。


 今日みたいな時間をしょっちゅう取れはしないだろう。むしろ、受験本番に向けて千歳はラストスパートをかける時期だ。支えになりたい、応援したい。千歳が一心に前を向くから。なかなか埋まらない寂しさに切なくなっても、千歳とだから出来るこの恋だから。負けじと自分も頑張れると、尊は改めて心を強くする。

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