幸せのおすそ分け
ねぎま
幸せのおすそ分け
いきなりで恐縮だが、犬の話から始めたいと思います。
皆さんは街で散歩中の犬に、また、近所で飼われている犬に吠えられるという経験はおありだろうか?
私は、数えきれないほどある。
それも、尋常な吠えられ方ではない。
特段、犬嫌いというわけでもないし、むしろ近くによって「よーし、よーし」したいくらいなのに……である。
自転車や原付バイクで乗って町中を走っている最中に、側を通りかかるやいなや飼い主の静止も聞かずに私に吠えかかってくるのである。
確かに、大きいものや不審な格好をした人間に対して、犬が飼い主に対して警戒警報を発することがあると漏れ聞いたことはある。
それだけなら、犬に警戒される理由もわかる。
しかし、徒歩で近所コンビニに買い物をしに出かけたりするときでも、散歩中の飼い犬が近づいてきていることに気づかず、いきなり吠えられてびっくりすることも少なくない。
これはどういうことだ?
こちらとしては「ああ、いつもの事か」と、平然と通り過ぎるだけなのだが、それでも吠えることを止めようとしない飼い犬を見かねて、静止させようと必死になだめる飼い主を不憫にすら感じる。
全ての犬に吠えられるという訳でもない。
犬種も様々だが、比較的小型の犬に多く吠えられる傾向があるように思える。
以前「自分、よく犬に吠えられるんですよね。どうしてでしょう?」と、職場で同僚相手に話しを振ったことがあった。
その際、『吠えられる派』と『吠えられない派』の2つに分かれたが、圧倒的に『吠えられない派』が多数を占めた記憶がある。
よほど犬に嫌われる危険人物として警戒されているのかも? そう受け止めると少し悲しくなる。
便利な時代である。
早速、ネットにその答えを問い質してみることにした。
すると、よく犬に吠えられる人の特徴としてこんな例があげれていた。
1、体の大きな人
2、大きな声で話す人
3、犬のテリトリーに入る人
4、犬を正面から見つめる人
5、無理に犬との距離を詰める人
6、表情が隠れる帽子やサングラスを着用している人
7、香水やタバコの臭いがする人
8、黒い服を着ている人
9、予測不能な動きをする人
10、犬に苦手意識を持っている人
11、大きいものを持っている人
12、犬の頭を撫でる人
また、飼い主への忠誠心が高いからだという説もあって一理あるように思える。
その中で、自分に当てはまるのは6の帽子やサングラス(メガネ)を着用している人だけのようだ。
帽子やヘルメット、それにメガネ、サングラスを掛けている人に対して犬は特別敏感に反応することもあるという。
確かに、私は普段からメガネをかけ、自転車や原付きバイクに乗って出かけることが多いことも影響しているのかもしれない。
しかし、それだと歩いて犬に近づいた時に吠えられる理由の説明がつかない。
やや、話しは飛躍して信憑性に欠ける説の中には、マイナスのオーラを纏っている人物というものもあるようだ。
子 供の頃から、空想の世界に思いを馳せるタイプの子供だった。そのせいもあってか、どうしても超自然的、オカルトや神秘現象に結びつけてしまいがちなのは良くないと分かってはいても、こればかりは生まれ持った業のようなものでどうしようもない。
また、その派生した説で、犬によく吠えられる人には背後に霊が憑いていて、犬はその背後霊(?)に向かって吠えているのだという珍説もあるそうだ。
だが、果たしてそんな科学的裏付けもないオカルティックな話しにどこまで信憑性があるかは大いに疑問だ。
こうなってくると、答えのない袋小路に迷い込んでいくようで収拾がつかなくなってくる。
私は間違いなく『吠えられる派』である。
それも、かなり重度の吠えられ症を患っている。派閥の頂点で権勢を振るえるほどではないかと思えるほどの重鎮だ。
猫の霊が憑いているからだという説があることを知ったのは、最近のことだ。
事実かどうかは別にして、それだったら思い当たるふしがある。
以前、我が家にはもらわれて来てから、家族同然に居候していた飼い猫がいた。
もらわれてきた時は生後3ヶ月ほどの、母猫から乳離れしたくらいの子猫だ。
家族全員がズボラな性格なこともあって、正確な歳はあやふやだが多分十五年ほど生きた末に天寿を全うした。
もう死に別れて二十年近く経つだろうか。
その子猫をもらってきた当の弟はというと、飽きっぽい性格もあって一週間もすると早々と飼育を放棄してしまい、結局猫の世話係は私と母の二人に押し付けられる格好となった。
動物全般に対し特段苦手意識のない私は良かったが、母は元来ニョロニョロとしたヘビや鰻、それにフサフサと毛の生えた動物が大の苦手。その相性の悪さを克服しながらの世話だったったので、当初は腫れ物に触れるように恐る恐る接していた母を見るにつけ気の毒に感じたものだ。
まして子猫を抱きかかえることなど未来永劫ないものだと諦めていた私だったが、それも“時間”と“慣れ”が解決してくれた。
その猫の毛色は黒とグレーのサバトラで、お腹と足が白いのでサバ白と呼ばれることもある、極ありふれた雑種のメス猫である。
性格は、メス猫にしては多少気が荒く、縄張りも持っていたようで、しょっちゅう家の近所を寝蔵にしている野良猫との喧嘩が絶えなかった。
半放し飼い状態で、家族の一員として迎え入れられた猫との同居生活も半年ほど経過した頃に、猫のお腹周りがふっくらしてきたことに気づいた私と母の二人は顔を見合わせた。
「もしかして……」
当然の成り行きである。
メス猫であるから当然避妊手術の必要が生じるわけだが、母も私もなるようになるだろうと高をくくっていた報いを受けることが来ただけのこと。
生まれてきた子猫らを、どこか遠くに運んで捨てたとか、段ボール箱に入れて「飼って下さい」などと書かれた紙を貼って放置するなどといった、無責任な飼い主ではないのでご安心を。すべて、猫好きの方に貰って頂きました。
その後も、生死をさまようような大きな病気をしたり、野良猫と大喧嘩をして後ろ足の肉を大きく抉られるほとの大怪我をただひたすら舐めるだけで完全治癒したことなど、枚挙にいとまがないのだが、そのへんは割愛する。
まあ、何だかんだあった訳だ。
今では家族で、あーでもない、こーでもないと話し合って、きちんと命名をするのが当たり前のようだが、当時の我が家でのヒエラルキー最下位の子猫には特段名前を付けることもなく、なんとなく「チイ」とか「チビ」などと適当に呼んでいた。
しかし、そんな居候猫との別れも公平かつ無情に訪れるものだ。
看取ったのは、その時家にいた私と母の二人。
歩くこともままならず、水もほとんど飲まなくなって衰弱しきっていたので、お迎えが来るのも時間の問題と腹をくくってはいたが、いざその時を迎えた時は涙が滝のように流れたことを思い出す。
「自分の親が亡くなった時にも泣かなかったのに」
そう、長年連れ添った飼い犬を看取った時のことを語っていたお寺の住職の言葉をふと思い出したりもした。
彼女が天寿を全うしてあの世へ旅立っていった時のことは、今でも昨日のように鮮明に記憶として脳裏に刻まれている。
あの世に旅立って二十年近く経つというのに、未だに私の身を案じて近くで見守っているのだろうか?
そんなふうに思うと、飼い主冥利に尽きるというものだ。
今晩は、彼女の大好物だったフライドチキンでも仏壇の遺影の前にお供えしてあげようか。
家のどこにいても、その匂いを嗅ぎ付けると、脱兎のごとく一目散で駆け寄ってくる姿が思い出されてならない。
〈終わり〉
幸せのおすそ分け ねぎま @komukomu39
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます