04 家に帰りたい時は

「やられた…………っっ!」

 控え室のモニタでその光景を見ていた久太郎は、思わず叫んだ。

「都知事暗殺自体が、ブラフだったんだ!」

「ど、どういうことですか樫村さん!?」

 状況が飲み込めていない色葉が不安そうに問いかける。

「こういうことだよ!」

 モニタの中、会場では片目を真っ赤に光らせ、手に手にエクスカリバールを持った二次元教徒オタクたちが、会場内、入場を済ませた他の派閥ファクションに、一斉に襲いかかっている。

「こ、あ……な、なん、で……」

 通常であれば。

 目の前で構成員が別の派閥ファクションに殺されようとも、派閥ファクション同士が表だって争うことはない。派閥戦争コンフリクトが東京を破滅させると、派閥ファクション自身が最もよく知っている。話を落ち着けるルートはいくらでもある……が、殺されるのが長であれば、話はまったく別だ。

 良くも悪くも派閥ファクションの長は象徴的存在で、ある意味では国旗のようなもの。公然と国旗を撃ち抜かれ、それに応じなければ次は、公然と侵略されるだけだ。

 しかしだからこそ、長はそれぞれ、派閥技術ファクトの粋を凝らし警護される。そもそもあまり公の場にも出ない。開会式の入場に長を出す伝統があるのは二派閥ファクション武装茶会コマンドパーティ二次元教団カルト・オブ・オタク

 武装茶会コマンドパーティは個人対個人の戦闘という一分野において、全派閥ファクションの中でも突出した能力を持っている。長は伝統的にそれぞれのジャンルで、最も強い三人のロリィタが就く。仮に狙撃銃で暗殺を試みたとしても、二本指で弾丸を弾き返されるだけだろう。圧倒的な個人武力、それこそ、茶会パーティが持つ抑止力だ。

 だが二次元教団カルト・オブ・オタクが持つ抑止力は、少々異なっている。

不死態ゾンビモード……! くそ……ホントにあったのかよ……!」

 久太郎が忌々しそうに呟いた。

 モニタの中では片腕を警士サムライに切り飛ばされた二次元教徒オタクが笑い、残った手でエクスカリバールを彼の頭に叩きつける。ただのバールであるなら警士外骨格サムライアーマーにはじかれて終わりだろうが……。

 信じれば信じるほど強くなる、堅く、重く、速くなる、という、派閥技術ファクトの中にあっても異常なエクスカリバールは、二次元教徒オタク最大の武器だ。思い込むことにかけて、二次元教徒オタクたちの右に出るモノは地球上に、歴史上に存在しない。二次元教徒オタクであるということは、胸の内に幻想のヒーローを、虚構の魔法を、夢物語の異世界を、恒星間旅行を、太古の宇宙の神々を、真実としながら生きる、ということなのだから。

 戦車装甲の数倍堅いと言われる警士外骨格サムライ・アーマーが、木の実のようにあっさり叩き割られた。二次元教徒オタクの肩の切り口からは鮮血がほとばしっているが、まるで気にした様子を見せない。

 不死態ゾンビモード

 エクスカリバール技術の応用であるこれは、つまるところ、死んだと思うまで死なない技術。聖戦令バルスコードと共に注入される薬物によって実現される。条件付き不死の引き換えとして理性をなくし、同胞以外の生物に見境なく襲いかかるという性質を持っているが、今や、誰もそんなことは気にもとめない。心臓を撃ち抜かれた女も、頭を叩き割られた男も、まるでその現実が見えていないかのように動き回り、エクスカリバールを振るっている。

 ……つまり二次元教団カルト・オブ・オタクの長は、次の文言によって警備されていたのだ。

 長の身に何かあれば、一千万人の理性をなくした不死の軍団が、なんでも叩き割るバールをもって、動くものがなくなるまで破壊の限りを尽くす。

 ……我々はたしかに、貧弱に見えるだろう。事実、貧弱なのだろう。だがもし我々を怒らせるなら、我々は自らの命を燃やし、お前らすべてを燃やす。

 だからこそ、二次元教徒オタクたちに害をなそうという派閥ファクションは、存在しなかった。

 だが忍者たちにとってこれほど標的にしやすい派閥ファクションもなかっただろう。都知事を殺してその罪を誰かに被せるより、遙かに効率的に、東京に内戦を引き起こせる。

「里咲さん! 今すぐ会場に三人で飛びます!」

 久太郎は鉄帽をかぶり、戦闘態勢を整え叫ぶ。

「ちょ、ま、あんな修羅場に私たち三人で突っ込んでも、どうにもならないでしょう!?」

「まだ聖戦令バルスコードは一人の枢機狂カーディナルが出してるだけ、不死態ゾンビモードなのはこの場の二次元教徒オタクだけ……」

 聖戦令バルスコードはその性質から捧王ポープのみが、すべての二次元教徒オタクに発令できる。最上位管理職である枢機狂カーディナルができるのは、自分が管理する教区の二次元教徒オタクのみへの発令。しかし……。

「ならまだ間に合う! 残り二百二十五人の枢機狂カーディナルが今学級会コンキリウムを始めてるはずです。そこでゴーサインが出れば東京全部の二次元教徒オタク聖戦令バルスコードが出る! 一千万人の二次元教徒オタク全力大炎上祭クルセイドだ……! それが出される前にこの争いを止めなきゃ、東京が終わっちまう! ……いや、僕は無職になっちまう!」

 いつもは緩めている鉄帽の顎紐を、ぎゅっ、と締めながら言う。それを見て色葉は息をのむ。

 ……樫村さん、本当の本気だ。

自由業フリーランスは、調停業バランサーは、平和だから喰える仕事なんですよ!」

「で、でも、あんなの……どうやって……」

「大丈夫です! 作戦通り行きます! あの中で目立って、囮を使って黒石をおびき寄せる! そしたら例の映像を流す! 東京が裏で糸を引いてたって分かれば、停戦のきっかけにはなる! それから僕と色葉で黒石を捕まえます!」

 もっとも事前の作戦に、始まってしまった派閥戦争コンフリクトを止める手はずはなかったが……。

 ……いける、はずだ。頃合いを見て特赦令ひけしを出すため、枢機狂カーディナル自身は不死態ゾンビモードに入らない。まだあの中のどこかで、自分の身を守っているはず……! 全力大炎上祭クルセイドは片道切符。それを一番使いたくないのは二次元教徒オタクたちのはず……!

「樫村さん!」

 色葉が大声を出し、今すぐにでも控え室を飛び出していきそうな久太郎を呼び止めた。その顔は、決意に満ちている。

「四つじゃ全然、足りないと思います」

 モニタの惨状と、久太郎の顔を見比べながら、言った。

「……約束、だよな」

 しばらく無言で色葉を見つめる。

「ええ。約束です。でも……」

 少し俯いて、手をもじもじとさせる。

 色葉の言いたいことが、久太郎にはもうわかっていた。

「ああ……そうだよ。君は誰かの持ち物じゃない。君は君だ。だから誰も、この世の誰も、君にああしろ、こうしろ、なんて命令はできない」

 苦い口調。まるで嫌々ながらクラスの決まりに従う悪戯小僧のようだった。唇を尖らせ、まるっきり拗ねて。

「でも……だめだ」

 首を横に振って目を閉じる久太郎。

「……でも……」

 再びモニタに目をやる色葉。

「……だめだ」

 色葉が問いかける前に首を振る久太郎。

「…………だめです」

 首を振る久太郎に、首を振る色葉。

「………………まあ、だろうとは、思うよ」

 諦めたように息をつくと、久太郎はまた首を振った。

 彼女の性格は分かってる。このまま、あの修羅場に突入したら、おそかれ早かれ、フルパワーを解放するに決まってる。

「君は君だ。君の思うようにやればいい。でも…………」

 そこで久太郎の声が、震えた。

「……僕が……僕が、いやなんだよ!」

 久太郎が叫んだ。

 東京で十年以上生き延びられる不法上京者は、全体の六割程度。生活に耐えられず出戻る者は少なくないし、命を落とす者も珍しくはない。奴隷労働に心をやられる、機動配達人ピンポンとして天井に墜落する、苦しい生活の中で麻薬に逃げ場所を求める、悪賊ギャングの暇潰しにつきあわされる、フォースに日本のスパイだと思われる……死因は数限りない。上京初日は数十人いた同郷者が、一人一人、満開の桜が散るように減っていく。

 世界で最も過酷な都市、東京。人がそこで暮らすには、何かが必要だ。

 自分以上の力をもたらしてくれる、何か、あるいは、誰か。

 久太郎はずっと、ずっと、取り残されてばかりだった。

「……君を……君を失ったら、僕は……じゃあ僕は、どこに帰ったらいいんだよ……!?」

 家賃を工面するためにやったハッキングの失敗で脳を焼かれ、音も光も声もなくしてしまった彼は早々に体を捨て、A―Knowエノウとなった。ケンちゃんは人間であることを捨て、地下の暗闇に身を委ねた。無所属の自分はただ、見送るばかり。

 きっと、どこかに所属すれば楽なんだろう。なにかに自分を委ねられれば安心できるんだろう。

 でも、じゃあ、なんのためにこの街に来たんだよ?

 ……自由になるためじゃないのかよ!?

 なのに、それなのに……。

「東京で、こんな街で、一人になったら……! 誰も……誰もいなくなって……!」

 ぽたり。涙がひとしずくだけ、顎を伝って床に落ちた。

 自分でもどうしたらいいか、まだわかっていなかった。

 心の中では風に吹かれて、そのまま自分も風になってしまいたいと思っている。

 それなのに、同時にいつも、誰かを求めている。

 ただいま、と言う相手。おかえり、と帰ってくる声。人生観が吹き飛ばされるような小説や映画にふれたら、一番にそれを伝えてやりたくなる誰か。

「…………もう、ずるいですよ、樫村さん」

 色葉は久太郎を、そっと抱きしめた。

 家に帰りたくないのに、帰る場所がほしい。それなのに、誰にも頼りたくない、どこにも所属したくない。けれど一人になりたくない。わがままで、子どもっぽい彼が、どうしてか、いとしくて、いとしくて、仕方ない。

 色葉は手を伸ばし、こんこん、と鉄帽をノック。いつも彼が、考え事をする時のように。もうどれぐらいの間、その、カッコいいのか悪いのかよくわからない、ちょっと間抜けで、かわいらしい仕草を見てきただろう。

「私が、樫村さんがいなくなったらどうしようって怖がってることは、お構いなしですか?」

 ぐりぐり、彼の胸に預けた頭を揺らす。

「……僕は、死なないさ」

「なら、私もです。大丈夫ですよ、四つまでしか使いません」

「……ったく……嘘つくな、って約束しときゃ良かったな」

「お互い様でしょ。それに、大丈夫です。約束は絶対、守ります。樫村さんだって、ずっと約束を守ってくれましたから……相棒を信じてくれないんですか?」

「……契約人ハンターたちにまた、ヤミの賞金かけられるんだぞ」

「ふふ、そしたらまた、相棒の人になんとかしてもらいます」

「……ああ、くそっ、ったく……こんな時まで僕はそんな役割か」

「そういうの、嫌いじゃないくせに」

「あーもう……ったく……僕より僕をわかってんじゃねえよったく……」

 ぐしぐし目元をこすり、ゴーグルを下ろす久太郎。それを見て微笑む色葉。

「いいか、絶対に四つまでだぞ。約束だぞ」

「私が約束を破ったこと、ありましたっけ?」

「おい、僕の目を見て言いやがれこの暴走機関車」

「はいはーい、守りまーす」

 そうしてから二人はかたく、抱き合った。それはどこか、抱き合っているというよりも、互いに、溺れまいとしがみつき合っているように見えた。

 二人を見てようやく、里咲も覚悟が決まった。

 自分が大人になった実感なんて、さらさらない。

 けど……でも……。

 この子たちを絶対に死なせたくない。

 この子たちには、もっと、もっと、世の中には想像もつかない楽しいことがいっぱいあって、体がはじけそうなぐらい嬉しいことがあるって、知ってほしい。生きてて良かったって思える瞬間を、味わいきれないぐらい重ねてほしい。こんな子どもたちが今死ぬのは絶対、間違ってる。

「……よーしガキども! 行くよ! 黒石の野郎を捕まえて、ついでにこの争いも止める!」

「あ、僕の台詞ですよそれ里咲さん!」

「うっさい! こういうのは大人にやらせなさい!」

「あはははは! とつげーーーーーき!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る