第四章 東京五輪

01 開会式 開会セレモニー

 東京都立代々木競技場。一般公募で決まった愛称は麒麟キリンの巣。都民が普段使う呼び名としては五輪競技場……は、地上第一層から第三層までを使った、複合・積層型の世界最大級スタジアム。十三万人の観客たちは今か今かとその時を待っていた。

 数百、千近い映像ドローンが競技場の様子を配信し、世界中の視聴者にリアルタイムでその熱狂を伝えている。同時視聴者数は一億……一億三千万……まもなくの開会式にむけ、依然増加中。まだ無人のフィールドはただ天然芝の緑をたたえ、これから始まる祭りに備えている。フィールド前方にそそり立つ、まるでガレオン船のメインマストじみて巨大な、都旗ときを掲げる予定の神聖な鉄柱も、今はただ鈍色に光るのみ。

 と、突如、一部の観客が沸いた。するとそれが伝染するかのようにスタジアム、客席全体に拡がっていく。誰もが、頭上を見上げていた。

 会場上空を回遊する飛行船底面に貼り付けられている浮遊モニタ。今まではひたすらの爆音でCMを流していたそこに、いつの間にか、カウントダウンがあらわれている。


  〈00:01:00〉


 あと一分。徐々に減っていく数字に反比例するかのように、客席のボルテージは上がっていく。最後の十数秒では客席全体が各々の言語でそれに合わせ、カウントダウン。五輪は東京観光最大の目玉だ。およそ五百万人が期間中に東京を訪れる。


  十! 九! 八! ……七!


 照明が徐々に落とされ、悲鳴が客席から上がる。だがその後は、さらに声が大きくなる。


  五、四、三……!


 照明は完全に落とされ、薄暗闇が辺りを包む。


 二、一……ゼロ!


 ゼロと同時。照明がふたたび灯る。だがそれは客席を照らさない。フィールド内にいつの間にか佇んでいる数百人に向いている。

 年齢性別人種、すべてがばらばら。

 だが全員が疾靴テックスをはき、背中には黒く光る特殊強化プラスチック製の大きな籠、キャリアを背負っている。キャリアに光るロゴは空を駆ける人間と、荷物を表すピクトグラム。

機動配達人ピンポン……?」

 客席から意外そうな、不安そうな声が響く。無理もない。東京五輪はハレ極まりない舞台。表だっては誰も言わないが内心では、不法上京者の仕事、その象徴、と思われている機動配達人ピンポンが出てくるとは、誰も予想すらしていなかった。

 だが機動配達人ピンポンたちは、自分たちがそう思われていることを知ってか知らずか、いつものように仕事を始める。いつものように。

 数百キロの荷物を背負い、数百キロで走りだす。

 機動配達人ピンポン専用疾靴テックス火急カキュウ特有、蝉が鳴くような駆動音を広大なスタジアム中に響かせ、フィールドを駆け、宙を舞う。どのような仕掛けなのか、彼らの軌跡がレーザーのように光り輝き、幾重にも重なっていく。不思議なことにそれらは空中に固定され、落ちる気配はない。その見事さと、演出意図のわからなさに観客たちは戸惑う。

 やがて機動配達人ピンポンたちは背にしたキャリアをフィールド内に置くと、また宙を跳び去っていく。一応拍手をした方がいいのでは、と、観客が思う前、それが起こる。

 キャリアが卵のように割れ、中から制服の人々が飛び出した。東京に暮らしていれば、一日足りとて目にしないことはない種類の制服だ。その数、およそ千人以上。

 世界で唯一の都市三次元鉄道を管理する公社、東京高速度交通営団の車掌、駅員、保線係。割れたキャリアの破片をテキパキと地面に並べていく。その動作は秒の遅れもない鉄道のように正確で、素早く、緑の芝があっという間に艶のない黒で覆われていく。

 その上に金属製支柱を刺していくのは、一泊最低九十七万円からの最高級ホテル、メトロポリス・メトロポリタンのホテルマン、ガードマン、コンシェルジュ、メイド。一流ホテルの従業員らしい余裕綽々の落ち着いた態度で一メートル近い金属棒を、車掌たちが張り替えた地面に刺していく。

 そこに、キャリア近くに残っていたドラムに巻かれた配線や各種基盤を取り出し設置していく、工事用外骨格の面々。それを指揮するのはお台場核融合発電所、そして東京都地下開発局第零層管理部門の一同。蛍光ベストが照明にぎらぎら光る。

 配線の済んだ箇所から、また黒いマットな地面がその上に敷かれていく。ここに群がるのは都内店舗数一位のコンビニエンスストア、東京五輪公式スポンサーの一社、お腹がペコペコ、お店がピカピカ、のキャッチフレーズでおなじみ、ピカペコの制服を着た一団。無感動に商品をスキャンしていくが如く、タイルのような黒い地面で配線部を覆い、その下に収めていく。

 千人以上の人々がまるで群舞のように、それを作っていた。

 客席の人々は徐々にそれに気付き、気付いた時に息をのんだ。

 今、舞台を……闘技場を、作っている。

 五輪一番の目玉である、一対一の勝ち抜きトーナメント、五輪火の巻。そこで使うあの戦場を作っているんだ。東京で働いている人々が、現在進行形で。自分たちが歴史の一部となっているような、得体の知れない感動のさざ波が観客に走る。

 ……だがそれは、演出意図の半分でしかなかった。

 数分の内に百メートル四方の舞台が完成すると、制服の人々はその脇に整列。機動配達人ピンポンたちが宙に描いた軌跡の光線は、そんな人々の顔を照らし出している。

 そして次の瞬間。

 舞台だと思われていた黒い地面が、動いた。

 ぴょん、ぴょん、ひとりでに、まるでウサギかカエルかのように飛び上がり、重なり合い、組み上がっていく。やがてそれは、高さ数十メートルのピラミッドのような形に組み上がり……徐々に、徐々に変形。

 人型をとっていく。

 誰の目にもはっきりと、やや小さい頭、長い手、太い脚が見て取れるようになると、その頭部、目の位置に、光がまたたいた。

 ……ぉぉぉん……という駆動音を一つ響かせると、黒い巨人は両手を天に突き出す。すると機動配達人ピンポンたちの描いた軌跡の光線が、徐々に、巨人の手に集まっていく。その光はまるで天地開闢の如き強烈な、真っ白い光。だれもがその明るさに直視ができず、目をそむけると、しかし、次の瞬間。

 正八角形の中に収まる、意匠化された公孫樹いちょう。東京都旗。

 光によって編まれた東京都旗が、その手に握られていた。レーザーのように見えた軌跡は、不在力学アンフィジカの最先端研究により位置が騙され、空中になんの支えもなく固定された1677万色に発光可能なLEDストリングだったのだ。

 ずしん……ずしん……鈍重そうな足音を、しかし着実に響かせながら、競技場中央の鉄棒に向かう巨人。ひょい、と手を掲げただけで、百メートル近い鉄柱の先端に、東京都旗をくくりつける。そして両手を腰に当て、うんうん、と、どこかユーモラスな仕草で頷くと、客席を見渡し、ぴらぴら、ゆらゆら、手を振った。

 今度こそ、爆発したような拍手が巻き起こるかと思われたが……。

 ……次の瞬間。

 観客に賞賛する隙を一切与えず、巨人が叫んだ。

「準備はいいかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 都民の誰もが、いや、世界中の誰もが知る、その声は。

 声と共に、まるで内部から爆発したかのように巨人が四散。再び百メートル四方の舞台が作られる。だが完全な平面であったはずのそこに、今度は、巨大なスピーカー、アンプ、マイク、DJブース、ドラムが揃い、まるでライブ会場のようなセッティング。

 そして中央に、マイクを握る一人の女。

「東京五輪、開幕だァァァァァッ!!!」

 PV総再生回数二十億を越える、名実ともに世界トップアーティスト、火箱ひばこヨルが、トレードマークのシャウトを響かせた。疾靴テックスで飛んできたバンドメンバーが、誰もが知るイントロを響かせる。CMソング、映画の挿入歌にも使われた火箱ヨルの大ヒット曲、Orange。まだ舞台脇にいた制服たちは仕事用の表情を脱ぎ捨て一人の客となり、歓声をあげ走り出す。

 今度という今度は客席が、爆発したように盛り上がる。ほぼ全員が総立ちとなり、席を飛び出しフィールドに駆け出す者さえいたが、それは警備の警士サムライに取り押さえられる。だがそんなことで熱狂は静まらない。歓声を上げるタイミングをことごとく奪われていた、フラストレーションの溜まった群衆の狂乱は、アジテーションのように人の心を惹き付ける特徴的な火箱ヨルの歌声もあいまって、ひたすらに加速していく。

 空中モニタだけが冷静に『今開会式は、大鯨連ゲーマーズリーグ店長ショップマスター顔原味助かおはらあじすけによって、東京の進歩と調和、というテーマの元で作成されています。協力は……』と文字で解説をしていたが、誰も見ていなかった。

 祭りが、始まる。

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