09 日本人の習性
黒石五稜は、少しだけ苛立っていた。
「首相、今一度お考え直しいただけませんか?」
一国のトップが執務するにしては、どうもみすぼらしい部屋の中。きぃきぃときしむ革張りの椅子に腰掛けた、日本国首相、
「黒石くん、君には世話になっている。東京奪還は君の存在がなければ立案すら不可能だった……異世界との交流が始まったら是非、君の郷里とは友好を築いていきたい、そう思っているよ。実際、今、専門のチームに異世界貿易の試案を作らせているところだ」
「でしたらますますお考え直しを。桜沢里咲捕獲が我が世界にとって、最優先事項なのです」
「それがわからんのだ。現状二着しかないスーツの一着を持っている人間は、たしかに、捕獲せねばならんだろうね。たしかに。だが中にいる人間は、どうでもよいんじゃあないかね?」
「……首相、国宝を盗んでいった泥棒には、どのような刑罰が適当でしょうか?」
「一つしかないから国宝なんだ。一年に一着程度作れるモノ、それも、この先の技術革新を見込めば、単なる旧式機械になるモノを、君の世界は国宝とするのかね?」
「仰る通り。ですが現代にとって新たな技術はやはり、国宝と言うべき存在でしょう」
「過去にアルミニウムが最上の貴金属であったように、か? では君らの世界は、あのスーツを単なる機械以上のもの……言うなれば、新時代の象徴として捉えていると?」
「その通りです。だからこそ、私の最優先目標は、臆面もなくそれを盗みだし、個人の欲望のために使っている桜沢里咲の捕獲なのです」
そこで神足は黙り込み、煙草をくわえ火をつけた。
重々しく一服し、煙を天井に吐き出すと、すぐに灰皿に押しつけて消す。執務室の中にタールとニコチン、そしてそれ以上に重々しい空気が満ちる。両者は微笑みながらにらみ合い、にらみ合いながら腹を探り合う。
日本国の東京奪還に黒石が協力するかわり、黒石の里咲捕獲に日本が協力する。それが二者の契約だったが……ここに来て日本側の態度が変化。黒石はその対応に追われていた。
「ウチとしては、だ。それこそ、東京奪還が、悲願なわけだ。それはわかるな、黒石くん」
「ええ、もちろんです。国土を失う悲しみは、どんな世界であれ共通でしょう」
「一人の女の尻を追いかけ回すため、その悲願成就の時を遅らせろ、と、君が言っているのはそういうことだぞ。年に一度の五輪というチャンスを、みすみす逃して、だ。いや、君らの言い分はわかる。わかるが、わからないものもいる、ということは、君にもわかるだろう」
「もちろんです。だからこそ、妥協策をいくつか用意して参りました」
「君はウチの作戦部が信用できないのかね!?」
「いえ、あくまでもたたき台ですので、統合作戦本部の方々で揉んでいただければ……と……」
黒石が差し出した書類をぺらぺら、無言のままたいした興味もなさそうにめくる神足。数行も読まないうちに書類を投げ出し、大きく背を伸ばす。
「参加選手に忍者を数十名忍ばせてある。それで十分だろう。彼女たちも出場と聞いているよ」
「もちろん、それで片が付くかと思われます。ですが」
「これはもう決定済みだ。君の進言では覆らない。東京五輪に合わせ、全
「……総理、しかしそれでは二着目のスーツが東京の手に渡る可能性があります。事前にスーツ回収を済ませないと、作戦自体が水泡に帰す可能性が強いのです。スーツには、それだけの力があるとは総理ご自身もよくご存じでしょう……何卒、何卒再考を……」
「黒石くん。事態はもう君の手を離れている。君には本当に感謝しているんだ。これほどまでに大量の人員を東京の中に送り込めたことは、未だかつてなかった。だからこその作戦だ。桜沢里咲、そしてスーツの回収も目標の一つ……ウチの忍者たちが信用できないのかね?」
神足は机に身を乗り出し言った。
「いいか、ここまできてしまったらな、どうにもならないんだ。成功する可能性が低い、失敗する可能性が高い、そんなことはもはや、関係ないんだ。たとえ我々が断崖絶壁に突き進んでいて、荒波に身を投げる運命にしか君には見えなかったとして、だ。そのスーツは未来のことまでを見通せるのか? 作戦中止はない。いいかね? 雨のようなものなんだ。それはいつかやむだろう。しかし、言葉では止められないし、誰もそんなことは思いさえしない。それが我々、日本人なんだよ」
黒石はその後も粘り続け、数時間後、忍者たちに追い払われるまで、首相の説得を続けた。結局、首相を翻意させることは叶わず、ただただ、徒労感といらだちだけが残った。
自室に戻り、黒石は大きくため息をついた。
……甘く、見ていた。日本人の性質を、悲願を。
反乱一つ鎮圧できない哀れな国だから進んだ科学を持つ世界からやってきた自分の意のままに操れるだろう、などと考えていた自分が、恥ずかしくなってくる。
……最低限、自分がいなければ大きく状況が進まない形を、作っておくべきだった。だがそれは、無理な話だったのかもしれない。どれだけ相手が遅れた国であろうと……黒石は一人。対して相手は国家。そもそもが、無理な話だったのかもしれない。
だが黒石とて、並の人間ではない。
彼は里咲と同じスーツを着ていながら、その力を、一度として個人の欲望、自分のために使ったことがない。どんな場所にでも、どんな世界にでも行ける夢のスーツを、誰の目も届かない場所で、思う存分使えるというのに。彼にとってそれは、当たり前のことなのだが……だからこそ、彼の性質と、里咲に対する思いは十二分に、国家を揺るがしうるものだ。
与えられた部屋の天井、そのシミを見つめながら、今自分が取り得る手段を模索し始める。
やがてなすべきことを見つけると静かに、音もなく転移した。
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