10 この世界に忍者を嫌いな人間はいない
「結局のところ……一年かけてできたもう一着のスーツで、里咲さんを捕まえるため、この世界で待ち伏せしてたその黒石って男が……日本と手を組んでる、ってことですか?」
追跡装置は外したものの、既に場所が割れている事務所から離れるため、無目的に地下道を歩きつつ、久太郎は言った。
「たぶんねー。詳しくは聞かされなかったけど、現地政府と協力して互いに利益を得る、ってのが、黒石、あの世界の方針みたい。スーツの力を使ってこの東京に対してなんかしてやろう、代わりに私を捕まえるのに、黒石があの黒装束たちを使える、とかそんなトコなんじゃない?」
「……ちょっと待ってく……ださいよ。里咲さん、今、異世界転移で逃げればいい話なんじゃないですか? そしたら……」
僕はこんなやっかいごとからは手を引けるのに、と、本気で言いかけた口をつぐんだ。
久太郎の仕事はあくまでも、東京の中での揉め事の解決だ。東京のことは好きだし、それが事実上独立、というのは愉快だと思う。だから日本については鬱陶しいなあ、と思うモノの……話がこうなってくると、ただの
ただそれでも、考え続けてしまう。このスーツ。これがあればできること。
「いいよ別に、タメ口で。堅苦しいんだから」
里咲は久太郎の内心を知ってか知らずか、笑って返す。
「年上相手にわざわざイキるヤツだって見られたくないんですよ、僕は」
「屈折してるんだかしてないんだか……ま、キューちゃんが喋りやすいほうでいいけどさ」
「だからその変なあだ名……まあもういいです。それで……そのスーツで、また異世界転移して逃げれば良かった話なんじゃないですか? 世界が違ったら爆破だってできないでしょう、たぶん……まあ結局爆薬はなかったですけど……」
「充電、しないとなんないのさー、ほら、ここのメーター」
里咲はダークブラウンの長い髪をかきあげ、首元に表示されているメーターらしきものを指した。ほとんど空、一割程度しか光っていない。
「同じ世界の中の瞬間移動だったら、ほぼエネルギー使わないでいけるんだけどさ、異世界転移の方はぴょんぴょんできるものじゃなくて、その世界の中で七百二十時間、一ヶ月はいないと無理なんだって。その前に転移すると……まあなんか、世界と世界の合間に落っこちて消えちゃうらしーよー」
「瞬間移動は、何回でもできるんですか?」
色葉が不思議そうに言う。
「そうそう……私も少し不思議になったけど……色葉ちゃんのロリィタ服みたいなものなんじゃない? 電池いらないんでしょ? ……
里咲がそう言うと色葉は少し笑い、スカートをつまんだ。
「あはは、里咲さん、このロリィタ服にはなんの力もないですよ、
「……へ? そーなの?」
「はい、これは単なる、かわいいお洋服。ブートって言います。東京だと、ロリィタ着てたら危ない目にあわないんですよ。それで着てる人、いっぱいいますから。よかったら里咲さんも着てみませんか?」
じゃあなんであんな……と言いかけ……あちゃあ、という顔をしている久太郎に気付く。なにか事情があるようだが……。
「色葉、君な……」
「え、だって里咲さん、この東京の人じゃないですから、言っちゃっても」
「ダメだ」
「でも……だって……」
色葉は唇を尖らせて久太郎を見つめるが、むすっとした表情のまま答えない。その上。
「この先里咲さんには黒石って男と、黒装束の追っ手がついてくる、って理解であってます?」
あからさまに話題を変え、この話には突っ込むな、とばかりに睨む。里咲はわざとらしく肩をすくめ、はいはい、と言わんばかりの態度で答える。何やらワケアリらしいけど……ま、そんなのはこっちだって同じ。せっかく異世界で見つけた頼れる相手の機嫌を損ねてはまずい。
「ん、まー……そういうことだね。あの黒装束……
「……実在、してたのか……」
「ほら! やっぱりいるんですよ忍者は! やっぱり! 忍者!」
思わず呟いてしまう久太郎と、先ほどのむすっとした顔はどこへやら、喜ぶ色葉。久太郎も真顔を保とうとしていたが、よく見ると頬が緩んでいる。ますます、里咲との関係を絶ちがたくなってしまう。
この世界に忍者を嫌いな人間はいない。いや、たいていの世界でそうかもしれない。
存在を噂されるものの誰一人として見たことはない、日本国が東京に対抗するため組織した、九番目の
「忍者は変身できるっていうのは、里咲さんが、確かめました?」
「うん。ちょっと変なポーズをとったら、頭が鰐になってる人とかいたよ。その人は別働隊みたいだったけど……私は……まあ要するに、都庁の、都知事の部屋への瞬間移動を手伝わされただけ。こういう風に」
ぶん、と鈍い音がして、里咲の手の中、得体の知れない真っ黒な球体があらわれる。
「人が通れる瞬間移動のポータルみたいなのも作れるから。私一人、もしくは手を繋いだ人とだったら見てるか、三次元座標があればどこでも行けるんだけど、他の人を通すポータルは行ったことある場所にしか作れない」
そう聞くと久太郎は顔をしかめた。
「……それ、失敗……もし、転移先になにかがあったら……?」
「あはは、石と合体しちゃうこともあるみたいだよ。テスト段階でそれで数着ダメになったんだって。まあでも、座標転移する時はともかく、視界転移、見えてる範囲に転移する時は大丈夫だよ、ゲート転移するときも。移動できない場所にはいけないようになってるみたいだから」
「え、でもそれ、里咲さんが転移した瞬間に、出てくる場所に石を置かれたら、危ないんじゃ……?」
「うーん……できないんじゃない? 転移は一メートルにつき0.0008秒、ってスピードみたいだから。私の行く先を察知して、そこから反応して、十メートル先に到達して……そこから、石を設置するまでコンマゼロゼロ何秒以内、なんて……音速ぐらいいる?」
「……音速と光速の……間ぐらいないと、ですかね」
「あはは、この東京の人ならなんとかしそ~」
「速度を出すだけの
「うん……忍者の人たちが掴んでた座標を元に、私が先に都知事の部屋に行って、そこからポータルで忍者の人たちを十人ずつ招いて、都知事を殺したら追加の人員をどんどん入れて、庁舎を乗っ取る、っていう手はずだったんだけど……」
里咲は顔をしかめ、包帯を巻いた左手をさする。
「あのおじいちゃん、何者なの? 素手で皆殺しだし、左右から戦車で引っ張っても壊れないって言われてた手錠、パンチ一発で壊しちゃうし……そのおかげで逃げられたんだけど。忍者の人から逃げ場所になりそうな座標、聞き出しといて良かったよー」
「東京で一番強い人ですね……にしても、第零層の地下道を、忍者が知ってたんですか?」
「ちょっといろいろアレしたら教えてくれたよ。色々行き来するのに使ってるんだってさ」
「ちょっといろいろアレ……? ……ま、まあ、となると……いろいろ、見えてきたな……」
こつ、こつ、こつ……久太郎が鉄帽を叩く。ちょっといろいろアレ、については全力で考えないようにする……ほぼ全裸で寝そべる以上のことだろう、きっと。
「樫村さん、どうします? このまま行くと、渋谷あたりについちゃいますよ」
第零層は都内にあまねく張り巡らされている。徒歩で歩ける地下廃道はそれほど多くないとはいえ、新宿から半径十キロほどなら、久太郎と色葉にとって庭のようなもの。
「ねー、結局あたし、どういう政治的な企みに参加させられたのか、いまいちよくわかってないんだけど。そもそもここの世界、日本と東京の関係ってどうなってるの? 国と国? 国と地域?」
「国際的にはたしかもう、国と国が多数派です。ただ日本は未だに僕たちのことを、独立した、って言ってるだけの地方自治体だと思ってて、力尽くで反乱を収めようとしてて……僕たちは僕たちで日本のこと、放っておけば勝手に滅びるしょぼい国だと思ってる、そんなとこです」
「……えーと……内戦? ……独立戦争? してるってこと?」
「ま、早い話は。決着がついたって話は聞いてないですね。でもリソースは何もかも東京に集中してたから、ぶっちゃけ日本なんか相手にならない。っていうか、
「へー、なんか大変なんだねー」
「まあ、一億二千万人がここには暮らしてますからね、いろいろありますよ……」
こつ、こつ、こつ……鉄帽を叩きながら、話しながら、久太郎は頭を回転させ続ける。今の自分たち、東京、日本国、里咲、黒石、忍者、すべての要素を混ぜ、そこから最大の利益を得るにはどうしたらいいのか。
……東京のことは好きだ。けどことさらに、その独立を守らねば、なんて思えない。祖国のために自分を捨てる、なんてカッコいいと思うけど……ここ東京は、国なのか地方自治体なのかが、まずあやしい。そうなると愛国心のようなものも抱きづらい。
そもそも日本のことだって嫌いじゃない。
列に並ばないのは悪、食事を粗末にするヤツは死、みんな我慢してるのに一人だけ楽するヤツは八つ裂き(比喩表現)、という珍妙な価値観が共有できる相手を、どうやって嫌いになれるだろう。
……かといって二者の仲を取り持つのは、さすがに
……それでも里咲さんに全面的に協力するのは、うま味がなさすぎる。
……だいたい彼女のせいでおそらく事務所の敷金とはかなりの額おさらばだし、それを請求しようにもお金を持っていないだろうし……でも黒石が里咲を捕まえたら、東京への武器として使うはず。そしたらきっと……トイレットペーパーがスーパーの棚から消えるような事態になって、僕の仕事も減る可能性が高い。日本という大きな敵がその存在感を強めたら、東京の中は必然、結束が強くなる。
まったく八方塞がりに思えてしまって、久太郎は大きくため息をついた。それでも、思考は止めない。今日の出来事をまた、最初から考え直す。
本当に、今日はなんて日なんだ……? まずオルタ前で色葉と……。
……オルタ。
だが、その単語を思い出した瞬間、久太郎はその文字列も思い出し、思い当たった。
…………いける。今の僕たちなら、絶対に。問題もまとめて、解決できる。
久太郎は突如、足を止めた。
「キューちゃん?」
「……樫村さん?」
二人が同時に、久太郎を見る。
「方向転換だ、上に出て電車で浅草一層に行こう。都民IDがいる」
「浅草? 浅草で何するんですか?」
「何かあるの? 都民IDって?」
鉄帽をノックする音がやみ、久太郎がにやりと笑った。
「里咲さん」
「……は、はい……?」
「僕らに依頼しませんか? これから一ヶ月、僕たち〈
久太郎の言葉に色葉が目を輝かせる。対して里咲は、少しうさんくさそうな顔をした。
「ふ~~ん? 私に何させるつもり?」
いざとなればこの少年を誑かしなし崩しの内に匿ってもらおう、などと思っていた里咲は、唇を舌で少し湿し、挑むような目つきで久太郎を見つめた。
だが彼は満面の笑みで答える。
「三人で五輪に出ます」
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