07 武力・暴力・武装・茶会

「全員動くな」

 白いレースとリボンに彩られたカンカン帽……いや、キャノティエ。

「……いや、こりゃ、違うんだって」

 リボンスカラップシューズに顔を踏みつけられた悪賊ギャングが弁明を試みる。

さえずるな三下」

 ごきごごぎぃんっ。アールヌーヴォー調、四人の貴婦人と花々のプリントされたサイハイソックスに包まれた細い脚が、一切の遠慮なく何回か振り下ろされると、悪賊ギャングは喋らなくなった。

「……ローゲームは即刻撤去すべきだな……ドローンで状況は把握してます。立てますか」

 瀟洒なレースとサテンのリボンで飾り立てられた美しいグローブを纏う嫋やかな手が、中年男に差し出される。

 カジノゲーセンにありながら、中世欧州の王侯貴族じみた女。

 深紅の宝石を中心にリボン飾りのついた純白のブラウス。豪奢なレースと共に、姫袖が優雅に広がっている。一転、腰元は精緻な刺繍の施されたコルセットで締め付けられ、柳のように細い腰がさらに細く見える。そこからは可憐なレースで彩られたショコラ色のサーキュラースカートが膝丈まで伸び、中からふんわりとパニエで持ち上げられ、完璧な円を描いている。

「私は武装茶会コマンドパーティ所属、茜ヶ原円あかねがはらまどか。ここの守護者ガーディアンです……まずは、お座りください」

 不法上京者を椅子に座らせると、茜ヶ原は鋭い視線を久太郎と色葉の二人に投げた。

 二人はとぼけた顔をして顔を見合わせ、振り返り、後ろに何があるんだろう? という顔をしてみたが……茜ヶ原が歩み寄ると、また顔を見合わせ息をつき、彼女に向き直った。

「樫村、これは君の失態だな?」

「円さん…………それはその…………」

「たしかに私が出動したトリガーはこのモヒカンによる、筐体破損可能性によるものだ。けれど君たち二人がもっと利口に立ち回ってくれれば、そもそも私の出動自体なかった。いや、こちらのお客様の財産が脅かされることもなかった。そうだろう」

「それはまあ……その……この悪賊ギャングが、予想外に賢くて……」

 もぐもぐ、歯切れ悪く、教師に言い訳する生徒のような口ぶりで弁明を試みる久太郎。

 予定では大鯨連ゲーマーズリーグ足軽悪賊フットライツギャング、どちらの下っ端にも奴隷商売以外の、始末される理由を作ってやり、後はそれぞれの派閥ファクション自身に任せるつもりだった。リーグでは公然になったイカサマチート悪賊ギャングでは機動配達人ピンポンへの危害。そもそも下っ端がカジノゲーセンで不法上京者を相手に稼いでいるなら十中八九イカサマチートを使っているだろうし、自分の腕があれば悪賊ギャング相手に機動配達人ピンポンを装える……楽な仕事だ。久太郎はそう見ていた。

「なんであれ現実、こうして被害が出ている。それに対して何か言うことは?」

「それは…………あの……すいませんでした……」

 ぺこり、頭を下げる久太郎。納得がいかない、という顔の見本じみた表情で色葉はそれを眺めていたけれど、にゅ、と伸びた久太郎の腕が彼女の頭を押さえつける。

「まったく……事前連絡があったのはいい。その若さにしては気が回る。しかし結果がこれでは腕利きの自由業フリーランスなどと、とてもじゃないが呼べないな」

 憤慨する茜ヶ原は胸元から銀の懐中時計を出すと、それに向かってなにやら筐体の被害状況を報告している。あれが彼女の、武装コマンドロリィタ服とコーディネートした端末なのだろう。

 武装茶会コマンドパーティ

 無敵の服、武装コマンドロリィタ服に身を包み、ただひたすら暴力カワイイ武力キレイを追求する者たち。個人対個人の戦いにおいては最強と称されることもある超人的な力は、十重二十重の特許のベールに覆われ、常人には魔法としか理解できない。ティーカップを持ち上げるのがせいぜいに見える細い腕、薔薇庭園を散歩するのにも休憩を必要としそうな細い脚が、ひとたび武装コマンドロリィタ服に身を包み、お茶会と称した謎の研鑽に励むと、魔性の正拳四連突き、悪夢の二天一流にてんいちりゅう、地獄の対物狙撃銃アンチ・マテリアル・ライフル二丁持ちなどで、主力戦車の装甲にさえ大穴を開ける。

 武装茶会コマンドパーティはすべての派閥ファクションの中で、もっとも謎に満ちた一つだ。武力と暴力、二つの日本語に新たな読みを与えたこの派閥ファクションについて、詳しく知る者は少ない。だが力の源が謎に覆われていようと確実なのは、その気になればロリィタは、特に今、しかめ面のこの茜ヶ原は、この場の人間を数十秒の内に皆殺しにできる、ということ。それを知っているギャラリーは、いかにもつまらない結果になった、とでも言いたげに顔を見合わせその場を去ろうとする。

「あーもー知らねー!」

 しかし、ギャラリーの背中にそんな声が轟いた。

 同時に、どん、と地震のような衝撃。茜ヶ原に頭を踏まれ気を失っていたはずの悪賊ギャングが立ち上がり、ぐるんぐるん、準備体操のように拳を振り回していた。しゃはっ、と笑うとその場からかき消え、手近にあった筐体のスツールに手を置くと、勢いよく疾靴テックスで蹴りつける。唖然とする久太郎の目には一度しか蹴っていないように見えたけれど、スツールの座面が吹き飛ばされ、フロアの固定がちぎれ飛び、悪賊ギャングの手には一本の鉄パイプ。

「やめだやめだ、くっだらねえ、知ったことかよ、カジノゲーセンだ? 自由業フリーランスだ? 守護者ガーディアンだ? クソして寝ろってんだ! まずお前!」

 ぶん、と握る鉄パイプを茜ヶ原に突きつける。

「で、お前!」

 次に久太郎。

「最後にお前。その後は優雅にトンズラこかせてもらうぜ」

 そして震える不法上京者。

 肩に鉄パイプを担ぎ、べっ、と口の中にたまった、欠けた歯混じりの血を吐き捨て、口を拭う。ばらばらに乱れたモヒカンを、血の染みついた手で整える。

悪賊ギャングナメてタダで済むと思うんじゃねえぞ」

 血塗れの錆びた山刀マチェーテのように不吉で凶悪な目つきが、武装コマンドロリィタを射貫く。

「……修理は五分待ってくれ……いや……終わり次第、こちらから連絡する」

 茜ヶ原はそう告げ、懐中時計を胸元にしまう。

「存外に……まるっきりのクズってわけじゃ、ないらしいな」

 たんっ。

 静かな、けれどたしかに響く足音とともに、茜ヶ原が構える。腰を深く落とし、両の手を軽く握り正中線で縦に構える、中国武術を思わせる独特の流麗な構え。ルビー色の瞳が悪賊ギャングを見据える。

武装茶コマンドパー」「知るかタコ!」

 茜ヶ原が名乗ろうとした瞬間、疾靴テックスの爆発的な加速力で悪賊ギャングはかき消えた。次の瞬間にもう、鉄パイプを彼女の頭上に振り下ろしている。しかし茜ヶ原の左腕はそれを予知していたかのように動き、優雅に姫袖を翻し、音もなく鉄パイプを受け流す。

 武装コマンドロリィタ服の力が、時に、魔術や呪いとも言われるのはこのためだ。

 身体や五感の強化だけではない、既存物理法則をあざ笑うかのように不可思議な力がロリィタたちを守っている。鉄パイプを受け流した茜ヶ原の左腕には傷一つない。姫袖は破れることもほつれることもなく、優美に踊っている。達人のロリィタともなれば、トラックさえ受け流せるという。

「破ッ!」

 気合いの声と共に、疾靴テックスを使った加速に勝るとも劣らない速度で、レースグローブの右正拳上段突きがモヒカンの顎を襲う。しかし疾靴テックスによる強引な重力方向の転換により、カジノゲーセンの壁面に向かって落下し始めたモヒカンは、なんなくそれを左手で受け止める。

「格闘技みてえなオママゴト習わなきゃケンカ一つできねえってか? ロリィタってのは、どいつもこいつも腰抜けだな」

 壮絶に笑い、茜ヶ原の右拳を単純な膂力で握りつぶそうとする。だが。

「……憤ッ!」

 悪賊ギャングは握った茜ヶ原の拳を中心に一回転。まるで彼自身がそうしているかのように、宙をぐるりと回り、勢いで手はほどけ、壁面に向かって落下していく。途中で疾靴テックスの重力切り替えを入れたのか、奇妙な放物線を描き、あらためてフロアに着地。

 おそらくは、合気。武装コマンドロリィタの振るう武術は多岐に及ぶ。新宿の番犬と呼ばれる茜ヶ原の場合は、特に。ったと思った瞬間をすかされた悪賊ギャングは、しかし、歯を剥いて笑う。

「……足軽悪賊フットライツギャング赤鼠組レッドラッツ陣内翔太じんないしょうただ、よろしくな。オメエの脳みそ床にぶちまけた後、上でツイスト踊りながらもっかい自己紹介してやるぜ」

 ぶおんっっ。鉄パイプを頭上で振り回し、肩に担ぐ。

「……武装茶会コマンドパーティ格闘グラップルロリィタ、茜ヶ原円…………推して、参るッ!」

 だんッ! と、ひときわ強く踏み込んだ茜ヶ原がフロアを揺らす。

 爆発したように盛り上がる周囲の人々。いつのまにか周囲でプレイしていた面々、そのギャラリー、すべてが騒ぎの見物に回っていた。遠くからこの店の名物実況解説コンビが、机とマイクと簡易的な手書きオッズボードを抱え駆けつけてくるのさえ見える。

「…………もうなんか、依頼完了ってことで帰っちゃいません?」

 蚊帳の外にされてしまった色葉はぽつり、久太郎に呟いた。

「いや…………ちょっと、待て…………」

 猛烈な勢いで端末を操作し、ゴーグル上に様々な情報を表示させていく久太郎。たしかに色葉の言うとおり、このまま行けば順当に茜ヶ原が悪賊ギャング、陣内を処分してくれて、その後さらに、ロリィタなんぞにケンカで負けた落とし前をつけさせられるだろう。逃げた大鯨ゲーマーの方も遅かれ速かれ捕まり、イカサマチートの罪で脳みそをフライにされる。二派閥ファクションの関係を悪化させることなく、二人が個別に処分される口実を作ってきてくれ、という依頼は、一応、達成できてはいる……当初の狙い通りかはさておくとして。

 ……けど、おかしい。何かがおかしい。計算に合わない……どれが、だ?

 一日分の視界映像、音声情報はすべて保存してある。高速でスクロールしていくゴーグル内の情報を必死で処理しながら、久太郎は考えを巡らせる。ただ、違和感があったのだ。

 ……そもそも……この新宿MOREモアは、東京で一二を争う巨大カジノゲーセン。その守護者ガーディアン、茜ヶ原円と言えば武装茶会コマンドパーティを統べる三人の主催、その一人。ゴトを仕掛けるにしても……なんでわざわざ、こんな場所で? ショボい守護者ガーディアンしかいない、十二畳ぐらいのショボいカジノゲーセンでやるよな普通……? いやひょっとしたらじゃあこいつ……?

「……樫村さんッッ!」

 思考に集中しすぎた久太郎を、色葉の声が現実に引き戻す。次の瞬間。

「ハッハァ! なーーに我関せずってツラしてやがんだオイ!?」

 すさまじいスピードで駆動したモヒカン男、陣内の蹴りが、久太郎のみぞおちに突き刺さった。その衝撃はすさまじく、久太郎の体が一メートル近く浮き、力なく床に倒れる。

「土下座なんかさせてくれちゃってよぉ! オレのプライドはズタボロだぜぇ! 自由業フリーランスなんて間抜けどもにゃあ、容赦はしねえからなぁ!」

「クズがッ……ッ!」

 男の背後では、茜ヶ原が真っ赤に染まった顔を拭っている。おそらくは、口中にたまった血でもって目潰しでも喰らわせたのか。それにしてもその隙に彼女をではなく、久太郎を狙う陣内の心中は、この場の誰にもわからなかった。だがそれは、彼にとっては当たり前の行動だった。

 機動配達人ピンポンを装えば悪賊ギャングに手出しはされない。それはたしかに真実だ。だが、そんなマネをする都民はほぼいない。もしそれがバレれば……八つ裂き程度で済めば運が良い方だからだ。

 悪賊ギャングをナメてタダで済んだ人間は、いないのだ。

「オイオイ、オレをなんだと思ってんだよ? 悪賊ギャングなんだぜ、クズでカスであたりめえだろ! 順番守るって思ってんならオメエがバカだぜ!」

 血の垂れる口を獣じみて大きく開き、ゲラゲラ笑う。その様はもはや人間ではなく、悪鬼の類を連想させる。

「ケンカってのは勝ったヤツの勝ちなんだよ!」

 そう言うと鉄パイプを放り投げ、背中に右手を伸ばす。

 すると、手の中に黒光りする突撃銃アサルトライフルがあらわれる。

 虚空から、ずるずる……世界各地の紛争地域で様々に改造され様々に命をすり潰してきた、ソ連原産の突撃銃アサルトライフルが。

「んでもって、死んだヤツの負けなのさ」

 ロリィタが不可思議な力を持つように、悪賊ギャングもまた、それを持っている。

 即ち、派閥技術ファクト

 それぞれの派閥ファクションが、それぞれに持つ、この東京の中にあっても特異な、異常な力。悪賊ギャングたちのそれを評して、一般にはこういう。

 悪賊ギャングは常に、見えない武器庫を携帯している。

 黒光りする銃口が、倒れた久太郎の頭を狙う。

「させるかッッ!」

 ドンッッ、と地響きが響く。カジノの床にクレーターを作るほどに踏み込んだ茜ヶ原が、爆発的な脚力で加速し、射線を遮るために飛び出す。その速度はもはや、疾靴テックスで加速した先ほどの陣内と同等。だが。

「あっほ」

 心底相手をバカにした調子で言うと、左手が背中に伸び、もう一丁の突撃銃アサルトライフルを引きずり出し、迫り来る茜ヶ原の眉間に銃口を据えた。拳銃弾を弾き戦車装甲に穴を開ける武装コマンドロリィタといえど、無防備な眉間にライフル弾を叩き込まれれば、即死こそないだろうが無傷では済まない。茜ヶ原のコーディネートも銃撃戦を念頭に調整した防御力の高いタイプではない。彼女の顔に、しまった、という感情が滲み、人形のように整った顔が歪む。彼女は疾靴テックスをはいていない。トップスピードを出してしまえば、そこからは止まれない。物理法則に中指を立てる常識外れな機動は悪賊ギャングの専売特許だ。だからこそ、それができないアホな連中をハメる策はいくつも心得ている。さらに守護者ガーディアンは、常に、人命と設備を尊重しながら動く。まったく、イイモンは大変だな? 陣内は笑い、呟く。

「バカにワルはできねーのさ」

 引き金を引く。

 誰もが銃声を予見し身を竦めたところ、しかし、その音はしなかった。

「ならお前はワルじゃない」

 代わりに、少女の声がした。

「……なっ……!」

 鉄パイプを拾い上げた色葉が、その先端を陣内の腹部にめり込ませていた。まったく想定外の人間から想定外の攻撃を受けた陣内は目を見開き、苦痛に顔を歪め、体をくの字に曲げ、そして振り上げられた色葉の爪先に顎先を蹴り上げられた。今度は逆に背筋が伸び、突撃銃アサルトライフルが床に落ち、ガラガラと大きな音を立て、そして。

「ただのバカだ」

 激怒を顔に滲ませた色葉は呟き、手にした鉄パイプで男の眉間、喉、心臓、みぞおち、股間、五カ所を僅かコンマ一秒にも満たない間で突く。鉄パイプによる正中線五連突き。見事一直線に急所五カ所を打たれた陣内は吹き飛ばされ、筐体に叩きつけられる。

「樫村さんを傷つけて、タダで帰れると思ってるなら、世界一のバカだッッ!」

 怒りに叫び、可憐なセーラーワンピースのスカートをはためかせ、陣内に突っ込んでいく。その背後でようやく茜ヶ原が止まり、目を見開く。着ているセーラーワンピースからして彼女がロリィタ、それもクラシカルであることを旨とする格闘グラップルロリィタの一派であるのは見ればわかるし、実際、この久太郎と色葉で荒事担当は色葉であると聞いていたけれど……。

 ここまで、だったとは。

 五連突きの境地に茜ヶ原が達したのは、二十代半ばの頃。それをまだ十代そこそこの少女が、やってのけた。彼女が所属するお茶会がどこかは知らないが、おそらくは名うての師匠モデルの元で鍛えられているはずだ。

「テメエもロリィタかよ……くそっ」

 陣内がぼやき、叩きつけられた筐体から疾靴テックスを起動。巨躯に見合ったタフさと、それを凌駕すると信じている気合いと根性。それこそ彼の武器だ。そして、自身に対する信仰にも似た自信。自分たちこそが悪であり賊なのだという自負。

 にしても……ロリィタ服はこれだから厄介だ。

 普通の人間から見ると違いのわからない、ただのコスプレにしか見えないひらひらでふりふりのアホみたいな服装が、時に本物の手練れだったり、時にロリィタのフリで自衛するただの一般人だったりする。これが悪賊ギャングのフリをしているなら、そんなナメた奴は八つ裂きから始めて最終的には細切れ肉になった死体をオルタ前にばらまくところだが、武装茶会コマンドパーティはロリィタのフリをする人々に対し「好きな服を着る権利はどんな人間にでもある」などと抜かし寛容なのだ。色葉を見た時、年齢からしてロリィタのフリだろうと踏んでいた陣内は、そのうかつさを呪った。クソが、自由業フリーランスのツレなら、同じように派閥ナシのアホだって思うだろうが……! だが、それはうかつというだけでは足りなかった。

「そのまま天井に沈んでろッッッ!」

 陣内の落下を予想していたのか色葉は飛び上がり、首筋に痛打を浴びせる。ぐぼっ、とイヤな音が響き、一度床にたたきつけられた後、またもや天井に向かって落下を始める陣内の体。色葉のスピードに、陣内の疾靴テックス操作が追いついていない。色葉はネイビーブルーの稲妻となって陣内に襲い掛かる。天井に向かって彼が落ちるたび、殴打、殴打、殴打。その様はさながら悪鬼羅刹のようだったが同時に、ひらめくリボンタイ、はためくスカート、光り輝くフリルとレースは、この上なく愛らしかった。茜ヶ原はその様を見て、この場はいっそ彼女に任せてしまうかと、とさえ思った。

 だが。

「軽い、ねえ……!」

 がしっ。

 陣内が、色葉の鉄パイプを、掴んだ。

 仮に色葉の身長があと三十センチあったなら。体重があと数十キロ重かったなら。陣内はもはや立ち上がれず、ひょっとしたら死んでさえいたかもしれない。だが可憐な少女の繊細な体では、いくら武器を使ったところで二メートルを超える巨魁に致死的なダメージは与えられない。そんな常識を凌駕するのが武装コマンドロリィタの力ではあったが――

 ――まだ、そこまでではないか。

 独りごち、茜ヶ原は僅かにため息をついた。ロリィタの道は果てしなく、茜ヶ原にしてもまだその身を武力キレイ暴力カワイイで練り上げる研鑽の道、その途上にある。色葉が勁と気による力をロリィタの破壊力と組み合わせ、合気で以てそれらを統合し自在に操るにはさらに数年、ひょっとすると十年は必要だろう。

 一方、ぐ、ぐ、ぐ、と、力任せに鉄パイプを引き、色葉を天井に引きずり込もうとする陣内。血の滲む歯をむき出しにして笑い、もう片方の手を背中に伸ばす。そこに殺気を嗅ぎ取った色葉は、逆に鉄パイプを押し込み、彼の体に突き立てようとする。だが。

 ――チビ連中はいつもそうするよな――

 陣内はそれに逆らわず体をひねり、色葉の体をつんのめらせる。鉄パイプに引きずられ流れた上体、その背中が陣内に晒される。瀟洒なリボンの彩る背中のレースアップが揺れる。陣内なら、片腕で一抱えにできるほどか細い、それでいまろみを帯びた体の曲線がわかる、繊細な硝子細工めいた腰。

 車椅子コース!

 疾靴テックスの重力切り替えを入れ、鉄パイプから手を離すと両手を組み、全体重をかけた鉄槌を色葉の腰めがけて振り下ろし、そして陣内は顔面をひしゃげさせ、壁に叩きつけられた。クレーターのようなくぼみを作り、ぐぼっ、と口から血しぶきが飛び散る。

「くそ……壁が……」

 色葉の窮状を見て崩拳を陣内の顔面に叩き込んだ茜ヶ原は、忌々しげに呟く。とっさのことで加減を少し、忘れてしまった。彼女がその気になればこの場の人間を皆殺しにするどころか、この建物自体を半壊させることさえ可能なのだ。ロリィタには、茜ヶ原にはそれだけの力がある。もっとも仕事場であるこのカジノゲーセンの設備と、そこに集う客を守りながら闘うとなると、実力の三割程度しか出せないが。

 バランスを崩しその場に尻餅をついてしまった色葉を見下ろし、突き出した拳から正体不明のしゅうしゅうとした湯気をあげさせたまま、茜ヶ原は続けて言った。

「……私の仕事をとってくれては困るよ、お嬢さん」

「…………あいつはっ、あいつは絶対っっ!」

「これは守護者ガーディアンである私の仕事だ。任せてくれ」

「そんなっ、そんなのっっ!」

 それでも怒り心頭のまま立ちあがろうとする色葉を見て、茜ヶ原は笑い、背後を指さした。

「彼なら、ぴんぴんしているようだが?」

「……ふぇ?」

 見れば久太郎はすでに立ち上がり、気まずそうな顔をしながらこちらを見ている。その姿を見た途端、色葉の顔から、ふにゃり、力が抜けた。

 〈9+1ナイン・プラス・ワン〉で荒事担当は色葉――だが、だからといって久太郎がそういうことに慣れていないわけではない。拳のケンカはアホのやること、そう思っているからこそ、それを避ける術はいくつも心得ている。相手の攻撃に合わせて疾靴テックスで吹き飛び、完全に攻撃が入ったフリをして倒れてからチャンスを伺うのは、一番の得意技だ。

「…………あ~~~~~~~……今日は、最っっ、高の日だな、オイ」

 色葉が久太郎の元に駆け寄ると同時、壁にできたクレーターから身を離した陣内が、こきり、こきりと首を鳴らしつつ立ちあがった。まるでトラックとの衝突じみていた茜ヶ原の崩拳で折れ曲がった鼻を乱暴に指で戻し、ふんっ、ふんっ、と片鼻ずつ息を通し、びしゃっ、と血しぶきを辺りにばらまく。

「まったく……どういう体をしているのやら……」

 呆れたように言うと茜ヶ原はすた、すた、無防備に陣内に歩み寄る。

「オレらは街のゴキブリだからな、タフなのさ」

 にやりと笑った陣内は、またもや手近のスツールを蹴り飛ばし、新たな鉄パイプを手にする。

「か、樫村さんっ!? 無事なんですか!?」

「まあ……そこそこ、は……」

 抱きついてきた色葉を戸惑いながらも受け止める久太郎。実際は、そこそこどころではなく、かなり無事ではなかった。今も気を抜けば失神してしまいそうなほどの痛みが、みぞおちから全身に走り続けている。それでも……。

 このまま自分が痛みにのたうち回っていたら……。

 そう思うと、ぞっとした。カジノ全体の弁償、なんて、人生が三回あっても足りそうにない。

「色葉……君……だから……今回は、君の、出番はないって……言ったろ……話が、ややこしくなるんだから……」

「だ……だって、だって……」

 泣きそうな顔で眉根を寄せる色葉。さきほどまでの修羅の顔はどこへやら、一転して年相応の可憐な少女が戻ってくる。

「でも、まあ……」

 痛みにきしむ体に鞭打ち、頭を撫でてやる。

「よく、我慢した」

「……えへへ……約束、ですから……」

 頬を緩ませ、久太郎の掌、うりうりと頭を押し付ける色葉。

 一方。

「で、どうすんだ? 死ぬまでやっか?」

 鉄パイプを肩にかついだ陣内が、一挙手一投足の間合いに入り込んだ茜ヶ原に軽く言う。

「さて……貴様次第、だな」

 一歩踏み込めば体のあらゆる場所に致死の拳をたたき込める距離で、茜ヶ原も軽く言う。

 二人の間、まるで空間が歪んでいくような緊張が走る。ギャラリーは固唾を呑み、しわぶきの音さえ立てなくなる。そして――

「「「御用改めである! 神妙にお縄につけい!」」」

 人混みをかき分け、新たな三人が姿を現した。

「…………うそ、だろ……」

 久太郎は目の前の光景が信じられず、思わず呟いてしまう。

 都民なら誰もが、シルエットだけでわかる存在。インディゴ・ブルーとシルバーに光る警士外骨格サムライアーマー。装甲と武装を兼ね備えたそれはさながら、現代東京に呼び出された武士もののふの亡霊を具現化させた機械人。等身大の人型シルエットでありながら常識外れな巨大建造物じみて、見る者を戦慄させる威容に満ちている。腰に差した警士刀サムライソードは鞘の中にありながら燐光めいた灯りを漏らし、そこに込められている力、エネルギーは、常人が扱えるものではない、と告げている。

 警士庁サムライレギオン本部、桜田門ゲートから直接指揮を受け、都内に派遣される特殊部隊。

 対テロリスト、対スパイ、破壊活動防止部隊として組織された、警士庁サムライ・レギオンの切り札。

 上級警士グレーターサムライ特殊機甲警士隊SASS

「……あァ?」

「…………ほう……」

 三人の警士サムライを見た陣内と茜ヶ原は顔を見合わせ……やがて、苦々しく頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る