07 武力・暴力・武装・茶会
「全員動くな」
白いレースとリボンに彩られたカンカン帽……いや、キャノティエ。
「……いや、こりゃ、違うんだって」
リボンスカラップシューズに顔を踏みつけられた
「
ごきごごぎぃんっ。アールヌーヴォー調、四人の貴婦人と花々のプリントされたサイハイソックスに包まれた細い脚が、一切の遠慮なく何回か振り下ろされると、
「……ローゲームは即刻撤去すべきだな……ドローンで状況は把握してます。立てますか」
瀟洒なレースとサテンのリボンで飾り立てられた美しいグローブを纏う嫋やかな手が、中年男に差し出される。
深紅の宝石を中心にリボン飾りのついた純白のブラウス。豪奢なレースと共に、姫袖が優雅に広がっている。一転、腰元は精緻な刺繍の施されたコルセットで締め付けられ、柳のように細い腰がさらに細く見える。そこからは可憐なレースで彩られたショコラ色のサーキュラースカートが膝丈まで伸び、中からふんわりとパニエで持ち上げられ、完璧な円を描いている。
「私は
不法上京者を椅子に座らせると、茜ヶ原は鋭い視線を久太郎と色葉の二人に投げた。
二人はとぼけた顔をして顔を見合わせ、振り返り、後ろに何があるんだろう? という顔をしてみたが……茜ヶ原が歩み寄ると、また顔を見合わせ息をつき、彼女に向き直った。
「樫村、これは君の失態だな?」
「円さん…………それはその…………」
「たしかに私が出動したトリガーはこのモヒカンによる、筐体破損可能性によるものだ。けれど君たち二人がもっと利口に立ち回ってくれれば、そもそも私の出動自体なかった。いや、こちらのお客様の財産が脅かされることもなかった。そうだろう」
「それはまあ……その……この
もぐもぐ、歯切れ悪く、教師に言い訳する生徒のような口ぶりで弁明を試みる久太郎。
予定では
「なんであれ現実、こうして被害が出ている。それに対して何か言うことは?」
「それは…………あの……すいませんでした……」
ぺこり、頭を下げる久太郎。納得がいかない、という顔の見本じみた表情で色葉はそれを眺めていたけれど、にゅ、と伸びた久太郎の腕が彼女の頭を押さえつける。
「まったく……事前連絡があったのはいい。その若さにしては気が回る。しかし結果がこれでは腕利きの
憤慨する茜ヶ原は胸元から銀の懐中時計を出すと、それに向かってなにやら筐体の被害状況を報告している。あれが彼女の、
無敵の服、
「あーもー知らねー!」
しかし、ギャラリーの背中にそんな声が轟いた。
同時に、どん、と地震のような衝撃。茜ヶ原に頭を踏まれ気を失っていたはずの
「やめだやめだ、くっだらねえ、知ったことかよ、
ぶん、と握る鉄パイプを茜ヶ原に突きつける。
「で、お前!」
次に久太郎。
「最後にお前。その後は優雅にトンズラこかせてもらうぜ」
そして震える不法上京者。
肩に鉄パイプを担ぎ、べっ、と口の中にたまった、欠けた歯混じりの血を吐き捨て、口を拭う。ばらばらに乱れたモヒカンを、血の染みついた手で整える。
「
血塗れの錆びた
「……修理は五分待ってくれ……いや……終わり次第、こちらから連絡する」
茜ヶ原はそう告げ、懐中時計を胸元にしまう。
「存外に……まるっきりのクズってわけじゃ、ないらしいな」
たんっ。
静かな、けれどたしかに響く足音とともに、茜ヶ原が構える。腰を深く落とし、両の手を軽く握り正中線で縦に構える、中国武術を思わせる独特の流麗な構え。ルビー色の瞳が
「
茜ヶ原が名乗ろうとした瞬間、
身体や五感の強化だけではない、既存物理法則をあざ笑うかのように不可思議な力がロリィタたちを守っている。鉄パイプを受け流した茜ヶ原の左腕には傷一つない。姫袖は破れることもほつれることもなく、優美に踊っている。達人のロリィタともなれば、トラックさえ受け流せるという。
「破ッ!」
気合いの声と共に、
「格闘技みてえなオママゴト習わなきゃケンカ一つできねえってか? ロリィタってのは、どいつもこいつも腰抜けだな」
壮絶に笑い、茜ヶ原の右拳を単純な膂力で握りつぶそうとする。だが。
「……憤ッ!」
おそらくは、合気。
「……
ぶおんっっ。鉄パイプを頭上で振り回し、肩に担ぐ。
「……
だんッ! と、ひときわ強く踏み込んだ茜ヶ原がフロアを揺らす。
爆発したように盛り上がる周囲の人々。いつのまにか周囲でプレイしていた面々、そのギャラリー、すべてが騒ぎの見物に回っていた。遠くからこの店の名物実況解説コンビが、机とマイクと簡易的な手書きオッズボードを抱え駆けつけてくるのさえ見える。
「…………もうなんか、依頼完了ってことで帰っちゃいません?」
蚊帳の外にされてしまった色葉はぽつり、久太郎に呟いた。
「いや…………ちょっと、待て…………」
猛烈な勢いで端末を操作し、ゴーグル上に様々な情報を表示させていく久太郎。たしかに色葉の言うとおり、このまま行けば順当に茜ヶ原が
……けど、おかしい。何かがおかしい。計算に合わない……どれが、だ?
一日分の視界映像、音声情報はすべて保存してある。高速でスクロールしていくゴーグル内の情報を必死で処理しながら、久太郎は考えを巡らせる。ただ、違和感があったのだ。
……そもそも……この新宿
「……樫村さんッッ!」
思考に集中しすぎた久太郎を、色葉の声が現実に引き戻す。次の瞬間。
「ハッハァ! なーーに我関せずってツラしてやがんだオイ!?」
すさまじいスピードで駆動したモヒカン男、陣内の蹴りが、久太郎のみぞおちに突き刺さった。その衝撃はすさまじく、久太郎の体が一メートル近く浮き、力なく床に倒れる。
「土下座なんかさせてくれちゃってよぉ! オレのプライドはズタボロだぜぇ!
「クズがッ……ッ!」
男の背後では、茜ヶ原が真っ赤に染まった顔を拭っている。おそらくは、口中にたまった血でもって目潰しでも喰らわせたのか。それにしてもその隙に彼女をではなく、久太郎を狙う陣内の心中は、この場の誰にもわからなかった。だがそれは、彼にとっては当たり前の行動だった。
「オイオイ、オレをなんだと思ってんだよ?
血の垂れる口を獣じみて大きく開き、ゲラゲラ笑う。その様はもはや人間ではなく、悪鬼の類を連想させる。
「ケンカってのは勝ったヤツの勝ちなんだよ!」
そう言うと鉄パイプを放り投げ、背中に右手を伸ばす。
すると、手の中に黒光りする
虚空から、ずるずる……世界各地の紛争地域で様々に改造され様々に命をすり潰してきた、ソ連原産の
「んでもって、死んだヤツの負けなのさ」
ロリィタが不可思議な力を持つように、
即ち、
それぞれの
黒光りする銃口が、倒れた久太郎の頭を狙う。
「させるかッッ!」
ドンッッ、と地響きが響く。カジノの床にクレーターを作るほどに踏み込んだ茜ヶ原が、爆発的な脚力で加速し、射線を遮るために飛び出す。その速度はもはや、
「あっほ」
心底相手をバカにした調子で言うと、左手が背中に伸び、もう一丁の
「バカにワルはできねーのさ」
引き金を引く。
誰もが銃声を予見し身を竦めたところ、しかし、その音はしなかった。
「ならお前はワルじゃない」
代わりに、少女の声がした。
「……なっ……!」
鉄パイプを拾い上げた色葉が、その先端を陣内の腹部にめり込ませていた。まったく想定外の人間から想定外の攻撃を受けた陣内は目を見開き、苦痛に顔を歪め、体をくの字に曲げ、そして振り上げられた色葉の爪先に顎先を蹴り上げられた。今度は逆に背筋が伸び、
「ただのバカだ」
激怒を顔に滲ませた色葉は呟き、手にした鉄パイプで男の眉間、喉、心臓、みぞおち、股間、五カ所を僅かコンマ一秒にも満たない間で突く。鉄パイプによる正中線五連突き。見事一直線に急所五カ所を打たれた陣内は吹き飛ばされ、筐体に叩きつけられる。
「樫村さんを傷つけて、タダで帰れると思ってるなら、世界一のバカだッッ!」
怒りに叫び、可憐なセーラーワンピースのスカートをはためかせ、陣内に突っ込んでいく。その背後でようやく茜ヶ原が止まり、目を見開く。着ているセーラーワンピースからして彼女がロリィタ、それもクラシカルであることを旨とする
ここまで、だったとは。
五連突きの境地に茜ヶ原が達したのは、二十代半ばの頃。それをまだ十代そこそこの少女が、やってのけた。彼女が所属するお茶会がどこかは知らないが、おそらくは名うての
「テメエもロリィタかよ……くそっ」
陣内がぼやき、叩きつけられた筐体から
にしても……ロリィタ服はこれだから厄介だ。
普通の人間から見ると違いのわからない、ただのコスプレにしか見えないひらひらでふりふりのアホみたいな服装が、時に本物の手練れだったり、時にロリィタのフリで自衛するただの一般人だったりする。これが
「そのまま天井に沈んでろッッッ!」
陣内の落下を予想していたのか色葉は飛び上がり、首筋に痛打を浴びせる。ぐぼっ、とイヤな音が響き、一度床にたたきつけられた後、またもや天井に向かって落下を始める陣内の体。色葉のスピードに、陣内の
だが。
「軽い、ねえ……!」
がしっ。
陣内が、色葉の鉄パイプを、掴んだ。
仮に色葉の身長があと三十センチあったなら。体重があと数十キロ重かったなら。陣内はもはや立ち上がれず、ひょっとしたら死んでさえいたかもしれない。だが可憐な少女の繊細な体では、いくら武器を使ったところで二メートルを超える巨魁に致死的なダメージは与えられない。そんな常識を凌駕するのが
――まだ、そこまでではないか。
独りごち、茜ヶ原は僅かにため息をついた。ロリィタの道は果てしなく、茜ヶ原にしてもまだその身を
一方、ぐ、ぐ、ぐ、と、力任せに鉄パイプを引き、色葉を天井に引きずり込もうとする陣内。血の滲む歯をむき出しにして笑い、もう片方の手を背中に伸ばす。そこに殺気を嗅ぎ取った色葉は、逆に鉄パイプを押し込み、彼の体に突き立てようとする。だが。
――チビ連中はいつもそうするよな――
陣内はそれに逆らわず体をひねり、色葉の体をつんのめらせる。鉄パイプに引きずられ流れた上体、その背中が陣内に晒される。瀟洒なリボンの彩る背中のレースアップが揺れる。陣内なら、片腕で一抱えにできるほどか細い、それでいまろみを帯びた体の曲線がわかる、繊細な硝子細工めいた腰。
車椅子コース!
「くそ……壁が……」
色葉の窮状を見て崩拳を陣内の顔面に叩き込んだ茜ヶ原は、忌々しげに呟く。とっさのことで加減を少し、忘れてしまった。彼女がその気になればこの場の人間を皆殺しにするどころか、この建物自体を半壊させることさえ可能なのだ。ロリィタには、茜ヶ原にはそれだけの力がある。もっとも仕事場であるこの
バランスを崩しその場に尻餅をついてしまった色葉を見下ろし、突き出した拳から正体不明のしゅうしゅうとした湯気をあげさせたまま、茜ヶ原は続けて言った。
「……私の仕事をとってくれては困るよ、お嬢さん」
「…………あいつはっ、あいつは絶対っっ!」
「これは
「そんなっ、そんなのっっ!」
それでも怒り心頭のまま立ちあがろうとする色葉を見て、茜ヶ原は笑い、背後を指さした。
「彼なら、ぴんぴんしているようだが?」
「……ふぇ?」
見れば久太郎はすでに立ち上がり、気まずそうな顔をしながらこちらを見ている。その姿を見た途端、色葉の顔から、ふにゃり、力が抜けた。
〈
「…………あ~~~~~~~……今日は、最っっ、高の日だな、オイ」
色葉が久太郎の元に駆け寄ると同時、壁にできたクレーターから身を離した陣内が、こきり、こきりと首を鳴らしつつ立ちあがった。まるでトラックとの衝突じみていた茜ヶ原の崩拳で折れ曲がった鼻を乱暴に指で戻し、ふんっ、ふんっ、と片鼻ずつ息を通し、びしゃっ、と血しぶきを辺りにばらまく。
「まったく……どういう体をしているのやら……」
呆れたように言うと茜ヶ原はすた、すた、無防備に陣内に歩み寄る。
「オレらは街のゴキブリだからな、タフなのさ」
にやりと笑った陣内は、またもや手近のスツールを蹴り飛ばし、新たな鉄パイプを手にする。
「か、樫村さんっ!? 無事なんですか!?」
「まあ……そこそこ、は……」
抱きついてきた色葉を戸惑いながらも受け止める久太郎。実際は、そこそこどころではなく、かなり無事ではなかった。今も気を抜けば失神してしまいそうなほどの痛みが、みぞおちから全身に走り続けている。それでも……。
このまま自分が痛みにのたうち回っていたら……。
そう思うと、ぞっとした。カジノ全体の弁償、なんて、人生が三回あっても足りそうにない。
「色葉……君……だから……今回は、君の、出番はないって……言ったろ……話が、ややこしくなるんだから……」
「だ……だって、だって……」
泣きそうな顔で眉根を寄せる色葉。さきほどまでの修羅の顔はどこへやら、一転して年相応の可憐な少女が戻ってくる。
「でも、まあ……」
痛みにきしむ体に鞭打ち、頭を撫でてやる。
「よく、我慢した」
「……えへへ……約束、ですから……」
頬を緩ませ、久太郎の掌、うりうりと頭を押し付ける色葉。
一方。
「で、どうすんだ? 死ぬまでやっか?」
鉄パイプを肩にかついだ陣内が、一挙手一投足の間合いに入り込んだ茜ヶ原に軽く言う。
「さて……貴様次第、だな」
一歩踏み込めば体のあらゆる場所に致死の拳をたたき込める距離で、茜ヶ原も軽く言う。
二人の間、まるで空間が歪んでいくような緊張が走る。ギャラリーは固唾を呑み、しわぶきの音さえ立てなくなる。そして――
「「「御用改めである! 神妙にお縄につけい!」」」
人混みをかき分け、新たな三人が姿を現した。
「…………うそ、だろ……」
久太郎は目の前の光景が信じられず、思わず呟いてしまう。
都民なら誰もが、シルエットだけでわかる存在。インディゴ・ブルーとシルバーに光る
対テロリスト、対スパイ、破壊活動防止部隊として組織された、
「……あァ?」
「…………ほう……」
三人の
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