朝帰り、きみとふたり

若奈ちさ

朝帰り、きみとふたり

 竜樹には三分以内にやらなければならないことがあったというが、わたしのために分刻みのスケジュールを変更させた。

 地球に舞い降りたヒーローとは違って、竜樹は融通が利く。

 今日は何分いられるか。

 始発までだから、史上最高に長い。

 わたしが電車に乗り遅れないよう、竜樹はスマホのタイマーをセットしてくれた。時間にこだわりがあるのは相変わらずだ。


 そうだ、あれはねだって買ってもらったというストップウォッチ。

 大雑把の気分屋のくせ、百分の一秒まで測定したいという熱におかされて、並んだ数字に謎の一喜一憂をしていたっけ。

 ストップウォッチを使いたくてたまらない竜樹は、ストラップをつけて首から下げて持ち歩き、電柱から電柱までの歩行タイムをはかったり、不意に息を止めて記録を取ったり、校長先生のありがたいお話しの最中も、ずっと計測をして増えていく数字を見ていた。


『ヒーローが現れてヒーローが消えた』という認知も竜樹のさじ加減だ。

 ざっくりとしたその時間、わたしは竜樹の隣に座っていたのだった。


 自分の部屋でコソコソ描いていたのに、竜樹が好きなヒーローを画用紙以外にも描いてみようと思ったのはたまたまだった。

 ひまわりの鉢植えに水をやったついでに、家の前の道路をキャンバスにじょうろで水をまいて絵を描いてみた。

 住人しか通らないような道だ。誰の邪魔にもならないし、誰も邪魔してこない。

 竜樹以外は。


 平屋の借家が何軒か並んでいて、隣に竜樹一家が住んでいた。

 仲良くなったのがいつであったか覚えていない。同い年ということもあるけれど、与えられたおもちゃと同じような感覚で竜樹とよく遊ぶようになっていた。

 遊ぶ約束なんてしなくてもすぐそこにいて、どちらかが外で何かをしていたらすぐに気がついた。


 じょうろで水をまいていたらなにやってんのと聞かれ、絵を描いてるからあっちに行っててとあしらった。

 それでもすげぇ、すげぇと興奮し、ナスカの地上絵でしょと、だいぶ期待を膨らませて待っているので、描いているのは竜樹が好きだというヒーローだと告げた。


「等身大ってこと?」

「本当の大きさなんて知らないよ。ここじゃ顔だけしか描けないし」

「うまく描けているか上空から見てみようよ」

「上空って?」


 竜樹はわたしの家に向かった。

 玄関先においてある陶器でできた頑丈な傘立てを動かすと、上に乗り、玄関のひさしに登り始めたのだった。


「ちょっと。ムリじゃない?」

 竜樹の背ではひさしに手がかかるくらいで、登ることができなかった。

「ハシゴだハシゴ」

 自分の家に戻ると伸ばせるハシゴを持ってきてひさしの上に乗った。

「志帆も来いって。すごいから」

「すごいってなにがよ」

 語彙力のなさに笑いながらも、その言葉の破壊力にやられてしまった。

 無邪気に竜樹が呼んでいる。

 狭いひさしの上に、ふたり、ちょこんと腰掛けて、水で描いたヒーローを眺めた。


 水が蒸発し、何分で描いたヒーローが消えるのか。ヒーローは天候に左右された。

 ひどく暑い日は汗だくになりながらがんばるのだけど、数分と持たない。曇りの日は一部が消えたくらいで切り上げるし、雨が降ってきたらそこで終わる。

 結局、ヒーローが地球にいられるという本家の設定と同じくらいの時間でストップウォッチが止められた。


 いつの間にかやらなくなったあの遊びは、やっぱり同じようにいつの間にか思い出になって記憶の奥の方に綴じられていた。


 今は違う大学だけど、わたしが通う大学の近くにあるアパートに竜樹は住んでいる。

 最終電車に乗り遅れたわたしと、最終電車で帰ってきた竜樹が鉢合わせした。

 うちに来ればいいじゃんという竜樹に、この辺でうろうろしているからいいよって断ったが、じゃあ一緒にいるって、ファミレスについてきた。


「本当はなにするつもりだったの」

 と聞いてみる。

「電車から降りて自転車にまたがるまでが三分。自宅までが十二分。シャワーを浴びて髪の毛が乾くころに布団に入って、そこまでが――」

「ああ、もういいや。とくに用事はなかったのね」

「今日は予定外なことが起こりすぎて、帳尻あわせに苦労したんだよ」

「ごめんね。わたしが現れてぶち壊しだね」

「大丈夫だよ。もう予定は組み直された」


 始発電車が動くまでもうちょっと。

 竜樹は少し眠たそうに羊を数え始めた。

「寝るつもりなの?」

「逆に目が覚める」

「数字熱が過ぎるよ」

「オレが数学に強いと思ったら大間違いだからな」

「知ってる」


 いいながら、最近、あまり新しいことを知ってないなと、寂しいような不思議な感情がこみあげて、眠気覚ましのコーヒーをすすった。

 夜が明ければまたそれぞれ。

 気まずさと無縁のわたしたちは、夜が明けると、きっと、再会の約束もせずに別れるだろう。

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