吾輩は肥満ではない

@yanenite_yoru

第1話

 吾輩には三分以内にやらなければならないことがあった。

「これ食べたら行くよ」

 同居人は軽く抱えるように電気ケトルを持ち上げながら吾輩に言った。彼はカップ麺に熱湯を注いだ。

 彼が先程手にしていたカードには吾輩の動きを一寸違わず真似てくるあの猫が写っていた。目の下から頭頂部は赤みがかった茶色、口元から腹部までは純白の長毛に覆われていた。彼はそれを革のカバーにしまった。検診に行くときに毎度準備しているものだ。

 重みのある前足を舐めて毛並みを整える。吾輩は至極健康であるというのに、なぜ肥満気味などと言われなければならないのだ。少々動くのが億劫になってきた程度ではないか。全くもって心配性なやつである。

 吾輩が病院に行く必要などないということを分かってもらわなければならない。カップ麺が出来上がる三分の間で同居人が納得するようにもう少しだけ痩せればいいのだ。吾輩は断じて太っておらぬが、彼がそう思っているのならばやむを得ない。

 手始めに階段を上り下りでもすると決めた。彼も以前雨の日にそうしていたことがある。どたどたと煩く、睡眠を邪魔されたのを覚えている。

 しばらく懸命にやっていたが、あまりの動悸の激しさと効果のなさに辟易としてしまった。クリームパンのような手も数分前とちっとも変わっていない。何よりつまらない。もっと楽しく運動できるものを探すことにした。

 尻尾が下に垂れたまま玩具箱まで行き、猫じゃらしをくわえて彼の前まで運ぶ。彼は足元にいることに気づき一度頭を撫でたが、またカップ麺をすすり出した。なんと、吾輩を無視するとは。

 ジーンズ生地は好まないが彼の脚に頭突きをしたり、後ろ足で立ち上がったりして気を引くものの、見向きもされない。駄目だ。

 もう三分は経っているはずだ。そうか、三分は作る時間であったか。ならば家を出るまでにどうにか考え直してもらいたいところだ。だが短時間で痩せるのは難しいと悟った。ならばいつものケースに入れて運べないほど重くなればよいのではないか。彼曰く吾輩は肥満気味なのだから、そちらの方がまだ望みがあるだろう。

 吾輩は食べ物がしまってあるはずの棚と対峙する。木製の取手を掴もうとするが空振りを繰り返す。仕方ないので彼に「ご飯くれ」と訴えた。食べ終えた彼が向かってくる。

 おもむろに尻尾を揺らしている吾輩のお腹の方に彼は手を滑らせた。

「こっちではない!」

 戸棚を開けてほしいと暴れるが、彼は渾身の蹴りにも微動だにせずケースに入れられてしまった。良い一日になりそうである。

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