第42話 砦
捜索隊の報告ではキリトの目撃情報は東の国境の砦の間近にまで迫っていた。レイルは一人で馬を早く駆けさせて、砦まで八日程かかる道のりを六日で踏破した。
「レイル!?まさか!」
砦の近くの木に馬を繋いでいると、声がした。
「サガンか、久しぶりだな」
「まさか、一人でここまで来たのか?」
「ああ、キリトの件、聞いているか?」
「もちろん。俺も捜索隊に加わっている」
「王都からの捜索隊も近くまで来ている。もうすぐ着く頃だろう。カルザスは居るか?」
サガンはレイルを団長のカルザスの執務室へと案内した。何故か後ろからサイラスもついてくる。
「これは、陛下自らお出ましとは」
カルザスは目を丸くして言った。
「国境の閉鎖は済んでいるか」
「早馬の連絡を受けて、既に閉鎖しております」
「キリトの目撃情報は?」
「この砦の手前で途切れているようです」
カルザスは思い出して言った。
「そういえば、王都からの捜索隊だという傭兵三名が先に着いておりますよ。何やら大きな荷物を持って」
「傭兵だと?そんな話は聞いていないが」
「カルザス団長、宰相のトルガレ様が来られました。先に傭兵達が着いているだろうと言われて、傭兵達の部屋にお通ししましたが」
「トルガレが来ただと?なぜ…」
レイルは驚いて言った。
レイル、サガン、サイラス、カルザスの一同は傭兵達とトルガレがいるという部屋の前にやってきた。扉を叩くとしばらくして、どうぞ、と声が聞こえた。
レイルが扉を開くと、そこには求めて止まない人の姿があった。ただし、短剣を首に突きつけられて。
「キリト!」
「レイル…」
久しぶりに聞く、キリトの声だった。
「トルガレ、これは、どういう事だ」
レイルが怒りのこもった声で言う。
キリトの首に短剣を突きつけたまま、灰色の髪の宰相トルガレが答えた。
「ご覧の通りです」
「…」
「レイル様、あなたがいけない。妾妃を迎えるよう私が進言した際、おっしゃいましたね。妾妃は必要ない、次の王は血縁者でなくてもよいと。それならば、次の王は私でもよいと思い至ったのです。王の座につき、キリト様を伴侶にするのは私だと、つい、夢想をしてしまったのです」
うっとりとしたような顔でトルガレが続ける。
「キリト様の捜索に人手が裂かれ王宮の警護が手薄になったところで、レイル様を弑するつもりでおりました。王が自ら捜索隊に加わるとは、予想外でしたが」
トルガレはそばにある机の上に小さな瓶を載せて、レイルに向かって言った。
「この通り、キリト様は私の腕の中です。この毒を、あおっていただけますか?もちろんこの一瓶で死に至る量の、即効性の毒です。」
「…お前に、キリトは傷つけられない」
「さて、どうでしょう?この世でキリト様と一つになれないのなら、あの世で、と私が思わないと?」
トルガレが手首をわずかに傾けると、キリトの首筋に短剣の刃が食い込んだ。
「う…」
キリトが微かに呻き声を上げる。
レイルは眉間に皺を寄せて苦しげな表情をしていたが、やがて机の上に置かれた小瓶を手に取ると、ゆっくりと蓋を開けた。
「嘘、レイル、やめて…」
レイルは小瓶を口に当てると、きつい刺激臭がする中身をゆっくりと飲み干した。
「ああ!」
キリトが悲鳴じみた声を上げる。自分の首に刃が当たるのにも構わずにトルガレの腕を振り払い、レイルに駆け寄った。短剣が弾き飛んで床に転がる。
その機を逃さずに、サガンがトルガレに斬り掛かる。トルガレは咄嗟に身を翻して剣を避けると、扉から部屋の外に向けて駆け出した。
「待て!」
サガンとサイラスが追いかける。カルザスもその後に続いた。
トルガレは廊下を曲がり、砦の物見台がある塔へと階段を駆け登って行く。サガンが腰に差していた短剣を抜いて投げると、どっと音を立ててトルガレの肩口に刺さった。
「ぐあああ」
だがトルガレは足を止めない。血が点々と落ちて石の階段に跡を作った。
大人が十人も立てば満員の物見台に、トルガレと対峙してサガン、サイラス、カルザスが立っている。
トルガレは、はあはあと荒い息を吐きながら、物見台の縁に手をついていた。血がぐっしょりと袖を濡らしている。痛みと失血のためか意識が朦朧としているように見えた。
「そこまでだ。大人しく投降しろ」
カルザスが声を掛ける。
「…おや、レイル様は、今、亡くなったのです。次の王は私だ!そして、キリト様は私のものだ!あはははははは」
トルガレは狂気じみた笑い声を上げた。自分の肩に刺さった短剣を無理やり抜くと、血が吹き出すのも構わずに両手で構えた。
サガンとサイラスは剣を構えて、じり、とトルガレとの距離を詰めた。
今にも斬り掛かろうとした次の瞬間、トルガレが目を見開いたかと思うと、ふらりと物見台の外に身を乗り出した。何かを掴もうとするかの様に虚空に手を伸ばす。そのままぐらりと体が傾いて、物見台の縁を超えて真っ逆さまに落ちて行く。数瞬後にぐしゃりと嫌な音がした。
「なに?!」
サガン、サイラス、カルザスが物見台の縁から下を覗き込むと、トルガレが血の池の中に無惨な姿で横たわって居るのが見えた。
「どうやら、効いたようだな」
三人が振り返ると、コルドールが立っていた。
手に紙を持っている。紙の上には薄い灰色で複雑な紋様が描かれているのが見て取れた。
「コルドール!…それは?」
サガンが聞いた。
コルドールは痛ましいものを見る様な目をしている。
「カゼインの幻覚の力を込めた紋様だ」
「幻覚だと。何のだ?」
「キリトが微笑みながら両手を広げてみせる幻覚だ」
「そんな…」
キリトは毒をあおって床に倒れ伏したレイルの側にしゃがみ込んだ。
「レイル、こんなの、嫌、絶対に…」
怪我人の治癒をした事はあるが、毒を飲んだ者の治癒などした事が無い。癒しの力が効くかどうかも分からなかった。キリトの顔から血の気が引き、手はかすかに震えている。それでも、やってみるしか無い。キリトは心を決めると、レイルの胸に手をかざして固く目を閉じた。一つ、息をつく。
眼裏の暗い水面に水滴が落ちる。一滴、また一滴。波紋がどこまでも広がってゆく。複雑な紋様を思い浮かべると、突然目の前が明るくなり、どこからか花弁が降ってくる。天国のような美しい光景に目を奪われながら、キリトは癒しの力を込めた。力が膨張してゆく。でも、まだ足りない。一層力を込めると、目の前が暗くなり耳鳴りがし始めて、身体がぐらりと傾いて、キリトは意識を手放した。
********
キリトが寝台で目を覚ますと、レイルの腕の中にいた。昼間なのか辺りは明るい。
「気がついたか」
「レイル…」
長く眠っていたのか掠れた声が出た。
「体は、どう?」
「ああ、問題ない。キリトに命を救われたな」
「よ、よかった…」
キリトはぽろぽろと涙をこぼして、レイルの胸に顔を押し付けた。
「怖かっただろう。すまなかった。...あなたを攫われて、気が狂うかと思った」
「…レイル、レイル、会いたかった…」
「ああ、俺もだ」
二人は久しぶりの再会を噛み締めて、固く抱きしめ合ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます