第41話 誘拐
ある秋の朝、メイドの一人がキリトの朝の支度をしに部屋を訪れると、寝台に当人の姿は無かった。寝台が乱れて上掛けと枕が床に落ちている。不審に思い近づくと、寝台の下の床には赤い血の跡が点々とついている。メイドは慌てて護衛の騎士を呼びに行った。しかし護衛はキリトの姿を見ておらず、レイルの部屋にも居ない筈だと言う。
王宮は騒然となった。
「どういう事だ」
レイルが低い声で言った。
護衛から話を聞いてはいたが、実際にこの目でキリトの部屋の様子を見て一気に頭に血が上り息が上がる。怒りで手が震えるのは初めてだった。
「必ず見つけ出せ」
背後に立っているコルドールの方を見ずに、レイルは言った。
「この命に代えても」
コルドールは短く答えると、騎士団を指揮するため足早に部屋を出て行った。
第一騎士団と第二騎士団から人が出て捜索隊が結成された。
手分けをしてまず王都の街で聞き込みをすると、黒目黒髪の青年と男三人が、王都の門をくぐって街の外へ出て行ったという目撃情報があった。
まるで騎士達を誘導するように、所々でキリトの目撃情報が上がる。黒目黒髪の綺麗な青年だったという証言に、嘘はないように思われた。意図的とも取れるほどに、目撃のあった地点は段々と東の国境の方へ向かって行く。
だが、仮に意図的に証拠を残しているのだとしても、騎士達は追わない訳にはいかなかった。
途中からはコルドールも捜索隊に加わり、陣頭指揮を取ることになった。
出立を前に王宮の門の前に集まった捜索隊に、声を掛ける者がいた。
「コルドール団長はどこに?」
「ここだ。あなたは...」
「どうか、これを持って行ってください」
「これは...」
コルドールは目を見開いた。
********
国境近くの砦の食堂で騎士達が噂話をしている。
「おい聞いたか、国王陛下の婚約者が誘拐されたと」
「なんだと」
話を耳にして、サガンは思わず声を上げた。一人の騎士がサガンの方に顔を向けて言う。
「ああ、今朝早馬で知らせが来たんだ。目撃情報から、どうもこちらの国境に向かって来ているらしい」
「しばらく国境は閉鎖だろうな」
「この砦からも捜索の人手を出すらしい」
サガンは足早に歩くと、第三騎士団長のカルザスの執務室の前に来た。扉は開いている。机の前に座るカルザスを見るなりサガンは言った。
「俺をキリトの捜索隊に入れてくれ」
「…そう言うと思った、良いぞ」
「俺も入れてください」
振り返るとサイラスが立っていた。
「…ふむ、良いだろう」
執務室から出ると、サガンは口を開いた。
「どういうつもりだ?」
「あなたが興味があるものに、俺も興味があるんです」
「…勝手にしろ」
背を向けて去っていこうとするサガンの腕を、サイラスは掴んで引き寄せると、サガンを廊下の壁に押し付けた。
「何をする」
「魔狼討伐の時、どうして俺を助けたんですか?」
「…目の前で、死にかけて居たからだ」
「俺は、あなたも俺のことを好きで居てくれるのかと思って、嬉しかった」
「そんなつもりはない、離せ」
「国王陛下の婚約者はキリトという名前なのですね。あの紋様が描かれていた紙、もしや、そのキリト様のものでは?」
サガンはそれに答えずに腕の力でサイラスを押し退けると廊下を去って行った。
********
レイルとトルガレは執務室で、時折寄せられるキリトの目撃情報が書かれた報告書を睨んでいた。キリトの足取りは確実に東の国境へと向かっている。だが、依然として捕まえられずにいた。
「捜索の人手を増やしてみてはいかがです?」
「そうだな…」
ふと、窓から風が強く吹いてトルガレの服の袖口が膨らんだ。
「その腕はどうした?」
トルガレの袖口から覗いた包帯を見てレイルは言った。
「ああこれは、先日飼い猫にやられたのです」
「そうか」
レイルは報告書に目を戻し、暫し言葉を途切れさせてから言った。
「俺も、キリトの捜索隊に加わろうと思う」
「何ですって?!王自らそのような。執務はどうなさるおつもりですか」
「しばらくの間、お前に任せる」
レイルはそう言うや否や席を立ち、旅の支度を整える為に自室へと足早に去って行った。
********
「なぜ、こんな事を?」
キリトは目の前に立つ男を見やった。
「私もあなたに惹かれる哀れな男どもと同じですよ。あなたの魅力に取り憑かれ、万に一つでも自分のものにできる可能性があるなら試してみたいと、思ってしまったのです」
男は身を屈めてキリトの上着の裾を手に取ると、そっと口付けた。
あの夜、キリトは寝台に横になってウトウトしていた。扉の開く音が聞こえて薄らと目を開けると、薄暗闇の中を自分の方へ歩いてくる影が見えた。
「レイル?」
影は答えないまま、いきなり寝台に近づくとキリトの腕を掴んだ。レイルではない。
「誰?!」
キリトはもがくが、腕は外れない。混乱したまま相手の腹辺りを膝で蹴り付ける。くぐもった声がしてキリトの腕を掴む手が緩む。左腕を思い切り振り上げると、手首に付けている腕輪の金具が相手の肌をガリっと引っ掻くような感触があった。
次の瞬間、口と鼻に布を押し当てられて強い刺激のある匂いを嗅いだ途端、キリトは気が遠くなった。
目が醒めるとキリトは薄暗い部屋の中に居た。だが壁や天井の作りに見覚えがある。王宮の一室のように思われた。すぐそばに男が一人立っている。
「...なぜ、こんな...」
男はキリトの言葉には答えずに言った。
「これが何だか、分かりますか?」
男は手のひらに小さな瓶を載せて言う。
「...」
「これは、毒です。」
「なんで、そんなもの...」
「私はいつでもレイル様の食事にこれを入れることができる。あなたが私に逆らえば...分かりますね?」
男はゆっくりとキリトに手を伸ばして肩を掴むと、キリトの首元に顔を埋めた。
「ふ、う、ぃや」
首筋を舌が這う感触に堪えきれず、キリトは男を突き飛ばした。
「...今は駄目でもいずれは。あなたは、私のものだ」
男は暗い声で言った。
「あなたには、東の国境の砦まで行って頂きます。捜索の騎士達を十分に引き付けて、王宮の警護が手薄になるように、時々目撃情報を残して、ね。もし逃げようとすれば、分かるでしょう?」
「…こんなこと、上手く行くはずない...」
キリトの言葉に、男は密やかに笑った。
********
レイルは雨に足止めされて、小さな集落に一軒だけだという宿屋に居た。
窓から次第に強まる雨を見て一人言葉を漏らす。
「キリト…どこにいる」
********
キリトは大きな木箱の中に入れられて、馬車の荷台に積まれて移動していた。時折、男に付き添われて人通りのある街道を歩かされては、また木箱に戻される。
先ほどから雨が降ってきて、男の一人が今日は集落の宿屋に泊まるのだとキリトに知らせた。
木箱ごと宿の部屋に運ばれて、やっと外に出してもらえた。長い時間手足を縛られて、縄の跡がくっきりとついて痛かった。
窓から降りしきる雨を眺めて、キリトは呟いた。
「レイル…助けて…」
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