第39話 街歩き


キリトとレイルは王都の街中を連れ立って歩いていた。後ろからは護衛の騎士数名が一定の距離を保ってついて来ている。一見して護衛に見えないように、通りを歩く人々と同じような普段着を着て帯剣していた。


レイルは革鎧を付けて剣を下げた、旅の道中と同じ格好をしている。キリトはフード付きのマントを羽織って顔と髪を隠していた。マントは、目立たない方が良いから、という理由でレイルに着せられたのだった。


「国王陛下がこんなところ歩いてていいのかな?」


キリトが言うとレイルが答える。


「構わないさ。皆、俺の顔など知らない」


二人はお忍びで街歩きに来たのだった。キリトにとっては、以前カルザスとコルドールと三人で歩きに来た時以来の街歩きだった。


「あ、あれ美味しそう!」


キリトが屋台の肉の串焼きを指差す。炭火で焼いているようだ。煙と肉の焼ける良い匂いが辺りに漂っている。肉汁が滴っていて確かに美味そうに見えた。


「ああ、食べようか」


レイルが銅貨を出して二本買い、一本キリトに渡してくれる。屋台の横に立って齧り付くと、口の中に肉の旨みと香辛料の良い香りが広がった。


「美味しい!」


「確かに、美味いな」


「嬉しいな。実は前に見かけてずっと食べてみたかったんだ」


レイルは微笑んでキリトを見つめた。

食べ終わってまた歩き出すと、屋台が並ぶ場所を抜けて今度は店が軒を連ねる通りに出た。ガラス張りの展示窓の中に様々な商品が並んでいる。

剣や防具を扱う店、怪しげな占いの店、菓子を売る店などが入り混じっている。

首飾りや腕輪や宝石を並べた店の前でキリトは立ち止まった。


「どれか欲しいのか?」


キリトは首を傾げた。店に展示された緑色に輝く宝石を見て、ふと、レイルの瞳のようで綺麗だと思ったのだ。だが、自分の手元に置きたいわけではなかった。


「ううん、ただ、綺麗だなと思っただけ」


「店ごとでも買ってやる」


レイルはどこまで本気か分からない顔でそんな事を言う。


「い、いいよ。レイルにもらった腕輪があるもの」


キリトは左手首に手をやった。腕輪は風呂に入る時も寝る時もずっと身につけていて、すっかり体に馴染んでいる。レイルから贈られた、婚約の証だった。


初めは急拵えの少しゆったりしたサイズの腕輪を贈られたが、しばらく後になって、職人に作らせたという繊細な蔦と花の模様と二人の名前が細かな字で彫られた腕輪を、これが正式なものだといってレイルは贈ってくれた。その腕輪をキリトは片時も離さず身に付けている。


レイルは目をわずかに細めてキリトの左手を取ると、腕輪にそっと口付けた。太陽の光を受けて緑の瞳が明るく光る。さっき見た宝石よりも綺麗だとキリトは思った。


「ずっと付けていてくれるんだな」


「うん、その、嬉しくて…」


キリトは自分の頬に血が昇るのを感じた。自分がやがてはレイルと結婚するのだという事実に、いまだに信じられない思いがするのだった。



護衛の一人が近づいてきてレイルと話を始めた。この後の目的地についてでも話しているのだろうか。

キリトは手持ち無沙汰になって、ふらっと近くの店の展示窓を覗きに行った。大小の香水瓶が並んでいるのを興味深く見ていると、とん、と肩を叩かれた。レイルかと思って振り返ると、見知らぬ若い男が立っていた。


「やっぱり、思った通り可愛い。ね、俺とお茶でもどう?」


キリトが驚いて目を見開いたまま返事をしないでいると、男は突然キリトのマントに手を伸ばし、フードを取ってしまった。


「あっ」


「髪も黒いんだね、珍しい。だからフード被ってたの?」


「あの、僕…」


キリトは何と言って男をやり過ごせばいいのか分からない。


「俺の連れに何か用か」


レイルの低い声がした。ほっとして振り返ると、レイルが険しい顔をして立っていた。


「なんだ、男連れか。またね、かわい子ちゃん」


男はそういうと、キリトの頭をぽんぽんと叩いて去って行った。




「あの、ありがとう」


キリトはそう言ってレイルの顔を見上げたが、レイルの顔は険しいままだった。


「あなたは自分がどれほど魅力的か、自覚がないのか」


眉間に皺を寄せて、緑の目は陰りがさして深い色になっている。


「…ごめんなさい、その、機嫌なおして?」


「…口付けてくれるなら」


レイルはキリトの目をじっと見つめている。


「こ、ここで?」


人通りもある道の脇である。近くには護衛の人間も立っている。だが、レイルは言ったことを覆す気はないようで、キリトを見つめたままである。


キリトは顔がかあっと赤くなるのを感じた。


しばらく迷った後、キリトはマントのフードを被り直して背伸びをすると、顔の横のフードを少し引っ張って目隠しにして、ちゅ、とレイルに口付けた。


恐る恐るレイルの顔を見ると、レイルは目を細めて微笑みを浮かべていた。


日毎に風の冷たさが増す、王都の秋であった。


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