第4話 イズノールへ
「とりあえず止血を」
サガンと呼ばれた男はそう言ってレイルの腕の傷口に布を巻こうとしていたが、気づけばキリトは声を上げていた。
「待って、僕がレイルの傷を癒す」
これまで何度かロベルトの小さな傷を癒したことはあったが、ひどく体力を消耗するためロベルトからは力を使うなと言われていた。
だが自分を庇うために傷を負ったレイルを放っては置けなかった。傷を治すことは無理でも、せめて痛みを和らげてあげたい。
傷の痛みに顔をしかめ失血のためか少し顔色の悪いレイルを見て、キリトは微かに震える手を握りしめた。
レイルの腕の傷に両手をかざすと、目を閉じて手に力を集中する。途端に手のひらが熱くなった。不思議なことに、以前ロベルトを癒した時とは桁違いに力が大きく膨らんで行く。目を閉じているというのに視界が明るくなり、どこからか花弁がはらはらと降ってきて風に舞い踊った。
驚きながらも集中を切らさずに力を出し切ると、キリトは恐る恐る目を開いた。
「痛みがない...傷が消えている」
「まさか」
レイルとサガンが口々に驚いた声を出す。キリトもまた驚きながら傷が消えたレイルの左腕を見つめた。
********
サガンは朝日を浴びながら、少し前を歩く小柄なキリトとその横を歩く大柄なレイルの背中を交互に見ていた。
昨日の出来事を思い出して人知れず唸る。
立場柄、異能の者が力で傷を癒すところを目にしたことはあった。だがそれも大掛かりな模様を地面に描いて呪文を詠唱し、止血できて痛みが軽くなれば上出来な方で、傷を跡形もなく完全に治すなど聞いたこともなかった。しかも手を翳しただけの無詠唱で。
一体何者だ、という疑問が沸いた。
だがサガンの疑念を知ってか知らずか、レイルは当のキリトの荷物まで代わりに持ってやり、何やら笑って話しながら歩いている。
レイルが人の荷物を持つところを見ることがあるなんて、と妙な感慨にとらわれる。こんな風に笑うところも随分と長い間見ていなかった。
レイルとサガンは海辺の街で一緒に育った。レイルの遊び相手として臣下の子供の中から選ばれて連れて来られたサガンだったが、レイルは本当の友人のように接してくれた。
屋敷の外の街の子供達も一緒に、身分の差など関係なく砂浜を駆け回って棒を振り回して傷だらけになって遊んだものだった。観光都市のように青い海、白い砂浜とはいかなかったが、それでも太陽を受けた波は青緑色に照り輝き、鉱石の粒を含んだ砂浜はキラキラと光を反射していた。
「海が恋しいのか。」
第1王子と第2王子の派閥争いがひどくなるにつれ、笑顔が少なくなったレイルにサガンは言った。他に人が居ないのを良い事に、子供時代と変わらない砕けた口調で話す。
レイルは王宮の居室の豪華な椅子に座って、眉間に皺を寄せて窓から外を見るともなしに見ている。子供時代を思い出すことでレイルの憂さを少しでも晴らしたかった。
「海か、そうだな。私の胸にあるこの空虚な隙間を埋めてくれるのなら。」
空虚な隙間。思いのほか抽象的な言い様に、レイルに目で続きを促す。
「手紙が来たんだ。王位継承権を放棄しろと。」
サガンは驚いて言った。
「誰から」
「分からない。部屋のドアの下に差し込まれていた。」
レイルは折り畳んだ紙をサガンに渡しながら言った。紙を開くと差出人の特定を防ぐためにか、乱れた筆跡で一言”王位継承権を放棄しろ”と書いてあった。
「上の兄たちの派閥の者から、だろうな。継承権などどうでもいいが。」
「レイル、そう捨て鉢になるな。」
そんな会話をした数週間後、レイルの居室に黒ずくめの男達が抜き身の剣を下げて押し込んで来たのだった。
レイルとサガンは背中合わせに剣を抜き、次々と襲いかかる男達を一人、また一人と片付けたが、敵の数が多い。怒声が飛び交い血飛沫が散る。息が上がり剣も服も血に塗れて、勝ち目はないように思われた。
「イズノールへ」
敵の攻撃の隙をついて、苦しげな息の下でレイルがサガンの耳元でそう言った。
目線で示し合わせると二人で同時に二階の居室の窓を割って飛び降りた。派手な音がしてガラスが地面に飛び散る。イズノールで待ち合わせるべく、二人は別方向に走り出したのだった。
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