14

 最寄り駅でマリちゃんと別れ、駅構内から出てすぐのこと。


「だーれだ」


 塞がれた視界の中、昼にも聞いたセリフが耳元で繰り返された。


 こんな古典的な悪戯を、まさか一日に二度もされるとは。外でこんなことを恥じらいもなくできるのは、僕が知る中ではふたりしかいない。


 ひとりもはもう、そのカードを切り終えた。そんな消去法を使うまでもなく、この恥知らずが誰だかわかっていた。


「うざっ」


 名前を当てることすら鬱陶しくて、目隠しを払い除けて歩を進めた。


 ただでさえ今、顔を合わしたくない相手なのだ。そこでうざ絡みをされようものなら、こんな対応になるのも仕方ないだろう。


「あーん、ごめんごめん。お姉ちゃんを置いてかないでー」


 泣きをいれながら、アヤちゃんは縋るようについてきた。


 横に並んだアヤちゃん。その顔にはもう、当然のように反省の色は浮かんでいなかった。


「今帰りなの?」


「今から出かけるように見える?」


「もー、リンったらツンツンしちゃって」


 アヤちゃんが頬をつついてくるので、その人差し指を払い除けた。競歩とまでは言わないが、歩みを早めた。


 僕の様子がどこか変なのは、これだけで伝わったかもしれない。イライラしているわけではないが、とにかく今はアヤちゃんと顔を合わせたくなかった。


 でもこれで置いていかれてくれないのが、アヤちゃんである。


「マリとなにかあったの?」


 再び並んできたアヤちゃんは、優しく訊ねてきた。


 無言を貫き通したいが、それはなにかあったと答えるようなもの。


「なにもないよ。あるわけないじゃん」


 なるべく感情を声音に乗せないよう口を動かした。だが口にしてから、余計な一言を言ってしまったと気づいた。


「そもそも、なんでそこでマリちゃんの名前が出るのさ」


 それを取り繕うように言った。悪循環だとわかっていても、つい口が動いてしまったのだ。


「ほら、最近マリといい感じじゃん。今日だってふたりでお出かけでしょ?」


「別にアヤちゃんが考えてるようなものじゃないし。ただ買い物に付き合っただけ」


「世間ではそれを、デートっていうんだよ」


「デートじゃない」


「もー、そこまで意地はらなくてもいいのに」


 口元に手を当てながら、アヤちゃんは訳知り顔でニヤニヤとする。


「お姉ちゃんはリンの気持ちなんてお見通しなんだから」


「なにがお見通しだよ。節穴じゃん」


「はっはーん。もしかしてリン、マリはお姉ちゃんと似てるから、そういう目で見てるって思われるのが恥ずかしいのかな?」


 茶化すようにアヤちゃんは、こちらを肘でついてきた。


 悪意なんてない。多少からかう気はあったとしても、姉弟のコミュニケーションだ。アヤちゃんの平常運転で、いつもと変わらない姿だ。このくらいのボールは、呆れながら返されると疑ってすらいなかったのだろう。


「違う!」


 だから余裕なく叫ばれるなんて、アヤちゃんは考えもしなかったのだ。


「マリちゃんはアヤちゃんの妹だから……姉弟みたいなものだから。そんな風に見る対象じゃないから。アヤちゃんのこと……そんな目で見るわけないだろ」


 震える声を、俯いた先の地面に吐き出した。


 汚泥のように胸の中に溜まっていた感情。こんな風に誰かの前に吐き出すつもりはなかったのに、それを一気に放出してしまった。


 それを向けられたアヤちゃんも、自ら口にした言葉の重さに気づいたのか。あっけらかんとした様相は一変し、狼狽えながらかぶりを振った。


「ごめん、お姉ちゃんそんな心配してるわけじゃ――」


「嘘つけ! そうならないよう最初に壁を作ったのは、アヤちゃんだろ!」


「……え?」


 思い当たる節がないのか、アヤちゃんはただ目を丸くした。


 これ以上胸の中に溜まっていたものを吐き出したら、今までのようにはいられなくなる。もう遅いかもしれないが、それでもここで踏みとどまれば、しばらくギクシャクするかもしれないが、その内なかったことにできるかもしれない。


 でも僕はもう止まることはできなかった。


「自分のことを、急にお姉ちゃんお姉ちゃん言い出すようになったのって、そういうことだろ!? 丁度思春期になって、性欲とかを覚え始める僕に、自分たちはそういう関係にならない。そういう対象にならないって……血が繋がってないから、心配したんだろ?」


 元々アヤちゃんはずっと、僕の前でも一人称は私だった。それが中学に入って少ししてから、気づけば自分のことをお姉ちゃんと呼ぶようになっていた。


「お姉ちゃんお姉ちゃんって言い始めたのは、そうやって僕に自分たちは姉弟だって言い聞かせてたんだろ!」


「違う……それは違うのリン」


 アヤちゃんは僕の腕を掴むと、何度も首を横に振る。


「じゃあなんでだよ。まるでこだわるように、お姉ちゃんなんて言うようになったんだよ」


「それは、私はリンのお姉ちゃんだよって、言いたくて……」


「ほら、やっぱり――」


「だからそういう意味じゃないの……!」


 僕の言葉を遮るように、アヤちゃんは叫んだ。


 縋り付くように握った僕の腕に、アヤちゃんは俯きながら頭を乗せた。鼻息が荒い。今にも溢れ出しそうな涙をこらえるようだ。


「リンがさ、お姉ちゃんって呼んでくれなくなったキッカケ、覚えてる?」


 ポツリと、アヤちゃんは言った。


 なぜ急にそれを? と思ったが、話をはぐらかしているわけではないのはわかった。


「……ユリちゃんに、僕が呼んでるよって話を振ったときのことだろ」


「あのときはさ、リンったら恥ずかしがっちゃってって、軽く考えたんだけど……同じことをマリにやったら、すっごい泣かれちゃったんだ」


「その話、聞いた。ユリちゃんがもう、自分のお姉ちゃんじゃないって言われたようで傷ついたってさ」


「私ね、そこでようやく気づいたんだ。リンも同じ気持ちだったんじゃないかって」


「……え」


 唖然としながら、口をポカンと開いた。


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