06

「くわぁー!」


 ソファーで寝転びながらスマホを弄っていると、腹のそこから轟く歓喜が響いた。


 スマホから視線をずらす。アヤちゃんがバスタオル一枚で腰に手を当てていた。空いた左手には銀色の缶。美味さに震えるように、白い歯をこぼしていた。


「こんなお姫様の姿を見れば、サークルの人たちも幻滅するだろうな」


 風呂上がりにバスタオル一枚で、アヤちゃんはビールを流し込んでいるのだ。淑やかさもなければたおやかさもない。リビングのど真ん中で堂々とする様は、おやじくさいことこの上ない。


「ん、なーに? リンも飲む?」


 僕の視線に気づいたアヤちゃんは、ニンマリしながら缶を揺らす。


「飲むわけないだろ」


「あー、そうだった。リンはまだ、飲んだら怒られるお子様だったもんね」


 マウントを取るように、アヤちゃんは得意げな顔をする。


「怒られるのはアヤちゃんも一緒だろ」


 後ろめたさもなく偉そうにするアヤちゃんに、投げやりに言った。


 アヤちゃんは大学一年生の十九歳だ。まだ飲んではいけないお年頃なのに、鼻歌混じりにニヤっとした。


「お姉ちゃんはいいのー。大学生にもなると、色んなお付き合いがあるんだから。大学からは飲むな飲むなと言われてるけど、みーんな堂々と飲みニケーションしてるんだよ」


「うちの姉は不良のようだ」


「どうせリンだって、大学に入った途端しれっと飲むに決まってるんだから」


 そう決めつけてくるアヤちゃんに、反論はしなかった。たしかにしれっと飲んでそうな自分の未来が、たやすく目に浮かんだからだ。


「はい、失礼」


 アヤちゃんが僕の足を押して、自分の座るスペースを作った。


 されるがまま膝を折りながら、渋い顔をアヤちゃんに向けた。


「バスタオルのまま座るな。ちゃんと着替えてからにしろ」


「長風呂した後は、拭いた先から汗が出るんだもん。下から濡れるのは気持ちわるいから、汗が引いたら着替えるの」


「いいからとっとと着替えろ」


「なにー、気になるの?」


 ニマニマした横目を送りながら、アヤちゃんはビールに一口つけた。


「まあ、リンもお年頃だもんね。……エッチ」


「なにが悲しくて、アヤちゃんの裸に喜ばなきゃならないんだ」


 そんなもの見せつけられたって、眉間のしわが深くなるだけだ。


 アヤちゃんは飄々とした表情を浮かべる。


「喜ぶ人はいっぱいいるよー。なにせお姉ちゃんの裸は、一攫千金に値するからね。この前だって街で『君は百年、いいや千年に一度の逸材だ』って名刺渡されたんだから」


「どうせAVの勧誘だろ」


 バカバカしいと鼻を鳴らしながら、スマホに目を戻した。


 ビールで喉を鳴らす音だけが、リビングに響き渡る。


「ありゃ、美夜宮みやみやミヤが炎上してる」


 ツイッターで人気Vチューバーがトレンドに入っていたので、脳死で開いたら炎上記事が上がっていた。


『人気Vチューバー、人気ゲーム配信者とお家デートを誤配信』


「お家デートを誤配信って……どんだけ脇甘いんだよ美夜宮ミヤ」


 なにをやったら誤配信するんだか。登録者数百万超えが聞いて呆れる。


 美夜宮ミヤはVチューバー界のガチ恋営業の代名詞だ。ファンの怨嗟と絶望、そして憤怒は酷かった。阿鼻叫喚の地獄である。


 この騒動はしばらく引きずるな、と思いながら怨嗟の声を眺めていると、


「ねー、リン」


 大人しかったアヤちゃんが呼んできた。


 スマホから目を逸らすと、ニマっとしたアヤちゃんと目があった。


「なんだよ」


「チラリ」


 バスタオルの胸元に人差し指をかけ、引き下げるように深い谷間を覗かせた。ふたつの突起が見えないギリギリを攻めている。


 咄嗟に湧いた感情は、ドキッ。ではなく、イラッ、である。


 無言でスマホを操作した僕は、カメラを向けてシャッター音を鳴らした。


「きゃー、口では言ってもやっぱりリンも男の子だねー!」


 語尾に音符がつきそうなほどに、アヤちゃんははしゃいだ声を上げた。満足そうにうんうん頷きながら、上から目線で物分り顔だ。


「まあまあ、お姉ちゃんは理解あるお姉ちゃんだから。こういうときは、なんて言うんだっけ? あ、そうだそうだ。しょうがないにゃー、いいよ?」


 どこでそんなネタを覚えてきたのか、アヤちゃんは猫撫声を鳴らした。


 僕はスマホを操作しながら、


「風呂上がりの姉がバスタオル姿で誘惑してくる件について。拡散希望」


「ぎゃー、それはダメー!」


 およそ姫と呼ばれる類が上げるとは思えない、ブサイクな低音が響き渡った。


 スマホを奪おうと、咄嗟にこちらに手を伸ばしてきたアヤちゃん。僕はそのまま万歳しスマホを引き離しても、更にアヤちゃんは前のめりに迫ってくる。そしてそのまま僕に倒れ込んできた。


「きゃっ!」


 顔に押し付けられた柔らかな感触と、鼻腔をくすぐる甘い匂い。


 溺れるようにジタバタする動きに合わせて、ふたつの物体は形を変える。


「――ッ!」


 自分の身になにが起きているのかわかった瞬間、スマホを手放し顔に当たるそれを押しのける。すくい上げるように掴んだものだから、ハッキリと形を変えた感触が両手に残った。


 カッと熱くなりそうな感情を、奥歯を噛みしめるように堪えた。


 覗き込むように上目で見ると、アヤちゃんは片腕で胸を隠していた。バスタオルは僕の身体に残ったままだから、まさに真っ裸である。この状況でもビールを離していないのは、呆れたというべきか、はたまたさすがと言うべきか。


「リン……」


 アヤちゃんは顔を逸したまま、ポツリと呼んだ。


 そんなアヤちゃんから視界を逸しながら、バスタオルを差し出した。


「……言っとくけど、事故だから。アヤちゃんが悪い――」


「それがFカップの感触だよ」


「うるさい!」


 バスタオルを投げつけた。


 こういうときくらい殊勝な態度は取れないものなのか。カナセといい、僕の周りの女は慎みのない女が多すぎる。


 これ以上相手してられるか!


 スマホを拾って部屋に戻ろうとすると、


「あーん、ごめんごめん! お姉ちゃんが悪かったから怒らないでー!」


「呆れてるんだ!」


 泣きつくようにわめくアヤちゃんに怒鳴りつけた。


 そのままリビングの扉に手をかける。


「待って待って。ちょっと聞いてほしい話があるから、ね? ね?」


 慌てて追ってきたアヤちゃんは、シャツを掴んで引き止めてくる。舌打ちしながら肩越しで見ると、真っ先に映ったのは缶ビールである。


 優先度のおかしいアヤちゃんは、バスタオルを放って追いかけてきたのだ。


「わかったからとっとと服着ろ!」


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