雪に覆われた世界で生きる。

@imhereforyou

第1話 積雪

 深々とした積雪から片足を抜き取り、硬直したそれをなんとか折り曲げ、そしてまた積雪の中に踏み込ませる...そんなあほらしいことを何度繰り返したことでしょうか。随分と前から感覚を失ってしまったそれらで前に進むことは、まるで知らない機械を操ることのようで、多大な労力を要する割にはぎこちなく、自分が本当に前に進んでいるかの確証さえも持てないのです。


 吹き付ける吹雪のせいで、外気に触れている顔に焼けるような痛みを覚えます。極端な温度にさらされた時、たとえ熱かろうと、寒かろうと、人間はたった一種類の感覚しか抱かないようです。

 しかし、今はむしろそういう痛みに安堵あんどすら覚えてしまいます。私は死んでいない、確かに生きている、そんな安心感...


 というより、どうして私は生きているのでしょうか。朦朧もうろうとした意識でそう自問しました。記憶はなんだか混濁としている。確か私は殺された...でもまた生き返って...そして気づいたらこんなところにいて...?

 確かに自分の記憶のはずなのに、そうと信じられないほどに突拍子もない。自分さえもが信じられないというのは、ひどくもどかしいことでした。


 荒々しく息を吐き出しながら、私はようやく、第何面かとも知れない建物の残骸にたどり着きました。荒々しい鉄筋がむき出しになっている崩れたコンクリートの壁。この廃墟にはこのような残骸がありふれています。私一人を北風から匿ってくれるくらいの高さはありましょう。

 背中を壁に預け、息を整えます。そして、ゆっくり壁面に沿って体を滑らせて腰掛ける。両足を積雪から抜き取り、少しでも接地面積を減らそうと、体育座りをして、両腕で膝を抱え、顔をその中にうずめます。


 冷たい気流を吸い込み、そして吐き出す。空っぽのお腹が膨らんではすぐに萎んでしまう。

 喉の奥から感じる焦げ付くような痛み。胸骨の少し下から感じる物足りなさ。歩いているときには大して気にならなかったのですが、手持ち無沙汰になってしまった今はやけに空腹感が耐え難く感じられます。

 だけども...

 腕で作った輪っかから頭を上げて、周りを見渡します。

 雪、雪、雪、廃墟。

 ...

 我慢しましょう。

 再び顔を腕の間にうずめます。


 ...

 ...

 ...


 てついた空気が鼻から吸い込まれ、それが体中を駆け巡り、口から白いもやが吐き出される、呼吸、そんな呼吸が行われるたびに、私は自分の体温が着実に、抗いようもなく奪われていくのを感じてしまいます。

 少し眠くなってきましたので、顔をあげます。気のせいでしょうか、風の音が少しばかりか弱まってきたような気がします。

 眠気を少しでも減らそうと、自分の頬をぺちぺちと叩いてみます。引き留める疲労と倦怠感を振り切って立ち上がり、壁に手をかけ、ゆっくりとその端まで移動します。


 確かに吹雪は随分と収まったらしい。ここに逃げ込む前と比べれば随分と風が柔和にゅうわなものになったように感じる。壁裏から顔を出し、私は足を踏み出します。


 どこに?

 そう誰かが聞いてきた気がしました。

 あてなんてありません。

 私は、きっと死を前にしてあらがっている自分が好きなだけなんですから。


 =*=*=


 また随分と歩いた気がします。

 

 この世界には目印になるものが何一つとして存在しない。

 積雪、廃墟、疲労感、たとえどれだけ歩いたって、この世界はその姿を変えようともしません。

 渇き、空腹、絶望感。状況は悪化していくばっかり。


 北風はいよいよ強くなっていき、一歩前に進むことすらままならなくなる。吹雪はほとんど水平に顔に叩きつける。幸いにして、少し前に、そう大して遠くない向こうに、私一人を匿えそうな壁が見えました。根性というものももはや残されていない。曖昧な意識の中、体に残された本能によって体が前に駆り出される。


 吹き荒れる北風と私の膝にまで届く積雪のせいで、そう大して遠くないこの距離のわりに果てしなく長い時間を要したような気がします。ようやく"避難所"の近くにたどり着いた頃には、さっき見たときと比べればなんだかこぢんまりとした印象を受けます。それでも、私一人ならなんとか匿ってくれそうな気がします。

 

 壁に向かって手を伸ばす、その直前に、足が何かに引っかかったような気がします。勢いのまま倒れこんでしまいます。

 疲れた。

 寝返りを打つ気力さえない。顔を下に向けたまま目を閉じます。波のように畳みかける倦怠感が心地よい。訪れる暗闇に身を任せます。

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