第40話 今でも生きた心地がしない
「沼地に異変が起こっている?」
「ああ、間違いねぇ」
冒険者ギルドに戻ってきたギエナは、沼地の異変について報告していた。
報告相手はこの街のギルドのトップであるギルド長だ。
Cランク冒険者はこの街の主力であるため、直接ギルド長と面会するのもそう難しいことではない。
そのギルド長は元Cランク冒険者で、年齢は四十代後半。
ギルド長としては少々現役時代の実績が足りていない部分があるためか、あるいは運営能力に問題があるからか、正直それほど周りからの評判はよくなかった。
「本来なら珍しいはずのエルダーリザードが、明らかに沼地に増えている、か。……ギエナ、お前の予想としてはどうだ?」
「そうだな、あくまでオレの予想でしかねぇが……マザーリザードが出現した可能性がある」
「な、なんだと!?」
ギエナの口にしたその魔物の名称に、ギルド長は思わず椅子から立ち上がった。
「マザーリザードは危険度B級の魔物だぞ!? 討伐には最低でもBランク冒険者が複数人、必要だ!」
危険度というのは、その魔物を討伐するのに要求されるリスクを示したものだ。
そのため必ずしも魔物の強さをそのまま表しているだけではないが、おおよそ比例するとされていた。
マザーリザードはその名の通り、リザードマンの最上位種。
本体の戦闘力自体ならせいぜい危険度C級程度のものだが、リザードマンをゴブリン並みに繁殖させる力を持ち、巨大なリザードマンの群れを形成することから、B級に認定されていた。
「かつてあの沼地にマザーリザードが現れたときは、リザードマンが沼地から溢れ出し、この辺り一帯がトカゲ地獄と化した。無論、この街も大きな被害を受けた。俺がまだ新人冒険者だった頃だ。あのときのことを思い出すと、今でも生きた心地がしない……」
ギルド長は青い顔でぶるりと肩を震わせる。
「リザードマンの数は毎年、多少の増減があるし、豊殖の年にはエルダーリザードの割合も少しは増える。だが、ここまでエルダーリザードが増加しているのは明らかに普通じゃねぇ」
「そ、そうか……しかし、生憎と今この街に滞在しているBランク以上の冒険者はいない……すぐに応援を呼ぼうにも、Bランク冒険者の招集には大金が必要だ……もし予想が外れていた場合、金をドブに捨てるだけに……」
「いやいや、んな悠長なこと言ってる場合かよ! とっとと呼びつけろ!」
もし本当にマザーリザードが出現したとすれば、放置していると際限なくリザードマンが増えてしまう。
増えれば増えるほどマザーリザードを守護する戦力も増えるため、討伐が非常に難しくなるのだ。
「わ、分かった分かった! 俺だって、もうあんな地獄は見たくない!」
ギエナに一喝され、ギルド長は慌てて頷く。
「それともう一つ。場合によっちゃあ、こっちの方がもっと深刻な可能性もあるんだがよ」
「なっ、マザーリザードよりも深刻な事態だとっ……?」
「ああ。実はよ、誰がどうやって倒したのか分からねぇリザードマンの死骸が、最近あの沼地で大量に見つかってんだ」
リザードマンの謎の大量死。
その傷跡を見ると、どれも剣のようなものですっぱりと鱗を斬り割かれていた。
「冒険者の仕業じゃないのか?」
「その可能性は低い。というのも、死骸の近くに、人間のものと思われる足跡が一切残っていねぇんだ。人間の冒険者じゃ、そうはならねぇ」
「おいおい、じゃあ一体、誰の仕業だっていうんだ?」
「オレにも分からねぇよ。だがな……」
いつも勝ち気なギエナにしては珍しく、頬を引きつらせながら告げた。
「もしかしたら……リザードマンとは別の、もっと凶悪なナニカが、あの沼地に棲息しているかもしれねぇ」
◇ ◇ ◇
沼地の最奥。
水草が大量に繁茂し、鬱蒼とした一帯に、巨大な蜥蜴の姿があった。
全長は軽く十メートルを超え、その威容はさながらドラゴンだ。
大きく避けた口腔には、大木すら軽く嚙み千切れそうなほど鋭く分厚い牙が並んでいる。
マザーリザード。
冒険者たちが予想した通り、この沼地にリザードマンの最上位種とされる凶悪な魔物が出現していた。
マザーリザードの巨体の長い尾の近くには、無数の卵が積み上がっていた。
すべてマザーリザードが産み落とした卵だ。
一個一個は鶏の卵ほどの大きさしかない。
それがマザーリザードの巨体から、今も次々と産み落とされ続けていた。
そして一つまた一つと卵が孵り、そこから小さな蜥蜴が這い出していく。
この小さな蜥蜴が、リザードマンの幼体だ。
魔力濃度の高いこの一帯では、小さな幼体が僅か数週間でリザードマンの成体へと成長することができる。
マザーリザードの出現と共に、沼地にリザードマンが溢れかえるのも当然のことだろう。
増え続ける我が子の様子を、マザーリザードはどこか満足そうに見ていた。
『コノ世界ヲ、我ガ勢力デ埋メ尽クス』
彼女の存在目的はただ一つ。
自らの子供を無限に増やし、世界を支配すること。
マザーリザードの寿命は短い。
己の命を削りながら、大量の卵を産み続けるためだ。
だが彼女が死んでも、リザードマンたちは繁殖を続ける。
さらにいずれは子供たちの中から第二、第三のマザーリザードが誕生するはずで、そうなれば繁殖速度はもっと加速するだろう。
『我ハ、始祖デアリ全テノ母』
しかしこのときの彼女はまだ気づいていなかった。
その崇高な目的の前に立ちはだかる、恐るべき影たちの存在を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます