神のみぞ知る

吉野玄冬

神のみぞ知る

「記憶にございません」

「しかしですね、総理。確かな証拠があるんですよ。文書どころか映像や音声まで。客観的に見て、総理の不正行為は明らかです」


「私も拝見しましたが、確かにそこに表されているのは私のように感じました」

「それは不正を認めたということでよろしいですか?」


「いいえ、あなたが提示する証拠が本物だという証拠はありますか? 今の時代、この程度はいくらでも偽れるのではないでしょうか」

「もちろん、第三者機関に念入りにチェックしてもらい、全て一切改竄のないものであると太鼓判を押してもらっています」


「なるほど。しかし、その第三者機関でも見破れない程の完璧な偽造だったとすれば?」

「いい加減にしてください! 少なくとも、現代社会における最先端技術での確認を行っています。もしそれ以上が必要だと言うのであれば、総理の手配で改めて確認していただいても構いません」


「分かりました、ひとまずその証拠は疑いようのないものという前提で進めましょう。ただその上で言わせていただきたいのですが、やはり私の記憶とは噛み合わないのです。私にはそのようなことをした覚えはまったくないのですから」

「人の記憶とはひどく曖昧なものです。知らず知らずに事実とは大きく異なった記憶になっているケースも多々あります。その為にこういった記録があるのです。主観的ではなく客観的に確かめる為に」


「そうかもしれません。ですが、私はどうしても“この”私がやったことだとは思えないのです。あなたの提示した証拠を確認しても、私の記憶が反応することは僅かもありませんでした。それは紛れもなく、知らない私による行いなのです。私は私の世界でありますがゆえ、その不正を素直に認められるものではありません」

「今時、独我論でも語ろうというのですか? あなたが認識するもの以外は実在しない、あなたが信じないものは幻だ、と? 馬鹿馬鹿しい」


「では、あなたは素朴に実在論を信じているのですか? 世界も、他者も、何もかもが実在している、と?」

「もちろんです。私も総理も、この世界も、今ここにあるし、これまでも実在してきたものじゃないですか。これ以上の証明が何か必要ですか?」


「私もそれに関しては否定的ではありません。肯定的でもありませんが。水槽の脳あるいは世界五分前仮説といった思考実験が示すように、あなたが実在と呼んだものは、脳に何者かの意図した情報が入力されているだけだったり、上位存在に記憶を書き換えられていたりするだけかもしれません」

「そのような考えには蓋然性がありません。どこまでいっても思考実験でしかなく、本気でそうだと主張するのであれば、蓋然性のある根拠を示していただく必要があります」


「同感です。人間の認識には蓋然性──ある程度確かだと言えることがつきものです。むしろ未来予測へのそれこそが生物としての根源にあると言っても良いでしょう。それゆえ私自身、自らの記憶を客観的な証拠として提出できれば、どれだけ良いだろうかと思っております」

「仮にそれが叶ったとして、あなたの記憶の中から不正の証が出てきたならば、その時こそは素直に認めていただけるのでしょうか?」


「それが現実とならなければ分かりませんが、もし、今と同様に“この”私がやったことだと思えなければ、私の態度は変わらないでしょう」

「……総理、この下らない問答をいつまで続けるつもりですか? 私たちがあなたから聞きたいのはそのような話ではありません」


「分かりました。私が問いたかったのはたった一つです。あなたは自分がやったとは思えない不正を認めることが正しいことだと、善いことだと、美しいことだと、そう思いますか?」

「それは……客観的に示されたのであれば、そうするべきでしょう。客観的な証拠の数々を否定し、己の主観的な真実だけを掲げるのであれば、陰謀論でしかありませんから」


「なるほど。暫定的な結論を下し続けるしかないのが人間社会の常。であれば、私は社会の判断に従いましょう。皆でじっくりと話し合い、決まった結論に従う。それが民主主義というものですから」

「ソクラテスのようなことを言って、最後まで哲学者気取りですか。それでは、これで終わりにしましょう。改めて問います。総理、あなたは自らの不正を認めますか?」


「記憶にございません。それゆえ、私が不正を認めることはありませんが、社会の判断は受け入れます。以上です」

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