婚約

「ヤダヤダ! 絶対ヤダー!!」


 只今ベッドの上で盛大に手足をばたつかせて絶叫している私。


 嫌なものは嫌なのだ。


「何で婚約?! 有り得ないでしょー!!」


 どんなに絶叫して嫌だと叫んでみた所で、流石に王家からの打診を伯爵家如きが蹴る事は難しい。


 婚約者として相応しくないそれなりの理由があればいいのだが、生憎と今回は凄ぶる健康な体に生まれてきたおかげで、健康上の理由から断る事も出来ない。


 精神を病んでいる等のそれっぽい理由を考えてみたが、私が健やかに育っている事を家族や使用人を始め領地の人達まで知っている。


「少々元気過ぎるけど、とっても素直で可愛いご令嬢」


 なんて事を言ってくれる人までいる。


 あー!! 何で婚約?? 家格的に考えたら、遊園会には公爵家や侯爵家のご令嬢もいたはずなのに!!


「まさか間接キスがいけなかった?」


 間接キスした事で『これはもう責任を取って嫁いでもらわねばならない』って事に……なる訳あるかー!!


「あー!! 本当にヤダー!! 何で婚約? 友達じゃ駄目なの?」


 百歩譲って友達としてなら許せる。友達なら妃教育はしなくていいし。


 でも婚約者になるのはどうしても嫌だ。


 相手は恐ろしい程の美男子とはいえ俺様系王子。好きになれる気が全くしない。


 余りにも上から目線で来られたらムカついた末に殴りそうな気がしてならない。


 そんな事をしたら私だけじゃなく我が家自体が危険な気がする。


「王子の婚約者になんてなったら、自由に楽しくのびのびと生きてく計画丸潰れじゃん!」


 前世の記憶があるからなのか、私はこの世界の身分社会がどうにも苦手だ。身分によって人としての扱いまで変わる事がどうにも納得出来ない。頭では理解していても心が受け付けるのを拒否しようとするのだ。


 平民だからと人を物のように扱う高慢ちきな貴族を見ようものなら、棒っきれを振り回して殴りに行きたくなるのだ。


 人の命は等しく平等で、尊い物だと教えられて生きてきた前世。


 実際にはお金や権力で命の重さが変わるなんて現実はあったものの、貴族だから尊い、平民だから軽いなんて事はなかった。


 そう考えると良い世界で暮らしていたのだと思う。


 皆が平等に学べて、病気になれば治療を受けられ、貧富の差はあったものの皆が平和に暮らしていたように思う前世の世界。


 こうなると途端にその世界が恋しくなってくる。


「あー!! 本当にイヤー!! 神様、助けてよー!!」


 叫んでみた所で神様はうんともすんとも言わない。


 私が転生したのだから神様的な存在がいるのだろうが、転生させましたー! はい、さよならー! と丸投げ状態で放っておくだけなのだ。


 少し冷静になってきた所で、この状況が何となくお決まりのパターンなのでは? と思えてきた。


 少しだけ齧った乙女ゲームでは、攻略対象には決まった婚約者がいて、その婚約者がヒロインの邪魔をするのがお決まり。


 大抵乙女ゲームの攻略対象キャラには王子が含まれ、その王子には見た目がキツい、性格もキッつい婚約者が付き物だった。


 正直に言って私の見た目はキツい。十歳の時点でも、黙っていると冷たい感じがする見た目をしている。


 姉と兄は垂れ目なのに私は若干の吊り目で、髪色はシルバーに淡い水色を溶かし込んだような不思議な色合いをしていて、瞳の色は真っ赤。


 ヒロイン顔ではないだろう。どちらかと言えば悪役令嬢顔だ。


「あー、私、本当に悪役令嬢に転生したの? この婚約ってシナリオの強制力的なやつなの?」


 天井に向かってボヤいてみても答える者はない。


「あー、もうヤダ! もう考えない! なるようになる! 寝る!」


 考えてもどうにもならない事でウジウジしているなんて勿体ない。


 私は何とか眠りについた。



 正式に私と第二王子の婚約が結ばれたその日、私は王子宮に招かれていた。


 白と細い黄緑のストライプの壁紙が何とも爽やかな部屋には、ソファーにふんぞり返って座る俺様王子。


「はぁ、帰りたい」


 小声で独り言ちた。


 王子は私の姿を確認すると一瞬嬉しそうに破顔したのだが、ハッとしたような顔をした。


「き、来たか! こっちに来い!」


『はぁ?! こっちに来いだ?!』


 そう思ったが顔にも口にも出さずなかった私を褒めて欲しい。


 ソファーに近付くと、ポンポンと隣を叩く王子。


「特別に僕の隣に座る事を許可してやる!」


『許可なんてしなくて結構だっつーの!』


 なんて思いながら隣に座った。


 会話なんてあるはずもなく、気まずい沈黙に逃げ出したくなっている私とは対照的に、何故か隣でソワソワしている王子。


『トイレに行きたいのかな? 王子だから恥ずかしくて言えないとか?』


「トイレならどうぞ行ってきてください」と言おうとした時、王子が口を開いた。


「ぼ、僕の婚約者になったんだ! 光栄に思えよ!」


──カチン!


 まだ抑えられるレベルだったが一瞬本当にカチンと来た。危ない、危ない。


「情けをかけてやったんだ! 僕に感謝するんだな!」


──カチーン!


 またまたカチンと来たがまだ大丈夫。まだ平気だ。イラッとはするが我慢出来る。


「ここで座っているだけではつまらないだろう? 僕の自慢の庭を特別に案内してやろう」


 ほんの少しだけイラッとしたけど、ただソファーに並んで座っているだけよりは断然マシだと思い、庭を案内してもらう事にした。


 遊園会の時にも思ったが素敵な庭だ。一緒に歩く相手が王子でなければもっと素敵だと感じている事だろう。


「この薔薇は僕が生まれた時に、父上が特別に取り寄せたとても珍しい薔薇なんだぞ!」


 真っ白な花弁の中央からすっと伸びるように一筋紫色が走る見た事もない薔薇。


「綺麗ですね……初めて見ました」


「そうだろう! 下々の者がなかなか目にする事は出来ない薔薇だからな!」


 本当にこの王子、いちいち癪に障る言い方をする。下々の者って何?! その下々の者達の税収入でお前はこの薔薇を贈られて、贅沢な暮らしをしてるんだろうが?!


 でも我慢我慢……。私は出来る子、大丈夫……。


「この薔薇はな、とってもデリケートなんだ! ここまで育てるのはとても大変だったんだぞ!」


「へぇ……殿下がお育てになったのですね」


「はぁ? お前は馬鹿なのか? 僕が薔薇の世話などする訳がないだろう! そんな事は身分の低い者がする事だ! 高貴なこの僕がする事ではない!」


──カチーーーン!


 あー、キレそう……でも我慢、我慢だ私!


「薔薇のお世話に身分も何も関係ありませんよね?」


「そ、それはそうだけど……だ、だが!」


「身分で言ったら私だって殿下からしてみたら身分の低い者ですが?」


「いや、その……じゃない、そ、そうだな! お前は身分が低い! 僕なんかの足元にも及ばない!」


「ではそんな身分の低い者が婚約者なんて殿下の恥になりますね」


 にこやかにそう告げると王子の顔色が青くなった。


「は、恥、だが、婚約はしてやる! お前のような女は、僕がもらってやらないと嫁の行き手もないだろうしな!」


──ブチッ!


 何かが切れる音がした。


「僕が婚約者なんてお前も鼻が高いだろう! 自慢していいんだぞ、特別に許そう!」


──ブチブチッ!


 また何かが切れる音がした。


「僕にとっては恥でも、お前やお前の家族にとっては誉れだろう? 家格が若干低いがその点は、その、」


 王子が何やらごにょごにょと言っていたがもう耳には届いていなかった。


 気が付いたら私は後退し助走をつけて王子の腹に飛び蹴りをかましていた。数十cm程派手に吹っ飛び、涙目で腹を押さえながら呻く王子。


「恥だと思うなら婚約なんてしなきゃいいでしょ! 婚約なんてこっちから願い下げだっての! ねぇ、聞いてる?」


 腹を押さえて蹲る王子の前で仁王立ちで立っていた。


「そもそも私、俺様系って大っ嫌いなの!」


「お、俺様系?」


「あんたみたいに上から目線で偉そうにしてるやつの事よ!」


「でも……だって兄様が」


「兄様?!」


「あ、兄様が『女には強気で高慢な態度の方が好かれる』って言ったから……」


「どんな基準よ! そんなの好き嫌い分かれるわよ! 少なくとも私は大っ嫌い!」


「嫌いなの?」


「えぇ、嫌い、大っ嫌い! 私は優しくて明るくて大らかで、いざっていう時に頼れるような人が好きよ! あんたとは真逆!」


「真逆……」


 そこまで言って我に返った。私、やらかしたよね?! マズイ、非常にマズイ!


 何故かお付きの人が誰もおらず、王子とは二人きりだったが、言い付けられたら確実にマズイ!


「も、申し訳ありません! 怒りの余り我を忘れました! 罰するなら私だけを罰してください!」


 その場で土下座をしてひたすらに謝った。


 するとクスクスと言う笑い声が聞こえてきて「いいよ、許すよ」と、それまでとは違った口調の王子の声が聞こえてきた。

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