1-18『押見杏は提案する』

「――――――――」


 音が止まる。

 視線の先で、不知火は難しい表情をして目線を少し下げていた。


 何を答えようともしない不知火の視線が、なぜかこちらに向けられる。

 俺がいるせいで話しづらいのかもしれないが、だとしたら最初から呼ばないでほしかったところだ。


 と思ったのだが、これはどうやら早とちりだったらしい。不知火は言った。


「どう思う?」

「えっ、なんで俺に訊く……?」

「え……いるから?」

「いるからって」


 いる以上は相談役くらいにはなれ、みたいな意味合いだろうか。

 俺が関わるような話題ではない気がしたが、水を向けられた以上は口を開いてみる。


「えっと。、ってことはもともと演劇部だったってこと……だよな?」

「厳密には中等部の頃に、って話だけどね。もちろん」


 と、これは押見先輩が言った。

 まあそうだろう。この一か月で入って辞めたわけではなく、中学時代は演劇部に入っていたが、進学を機に――あるいはそれよりも前に退部したという話なわけだ。

 不知火自身も頷いて、


「一年の夏くらいから……だいたい半年くらい? 中等部の演劇部に入ってたから」

「ん? 夏から……ってのは、また微妙な時期からだな」


 首を傾げた俺に、押見先輩が笑みを浮かべて。


「勧誘期間では入らなかったんだけどね。私が強く勧誘したってワケ」

「押見先輩が?」

「当時から有名人だったからね、不知火ちゃんは。金のリンゴが実ってたら勧誘くらいは普通にするでしょ」


 たぶんそれはリンゴじゃなくてタマゴだが、まあ言わんとせんことはわかった。

 下級生に有名な役者がいるなら、そりゃ演劇部としては是が否にも確保したいだろう。


「ただまあ、不知火ちゃんはちょっと、実績と実力がからさ」

「……、というと」

「この学校でも、さすがに入学前からバリバリ現役でやってる子となるとほとんどいないわけ。不知火ちゃんだけ抜きん出てる中で、私も上手に部を纏めきれなくてさ」

「それは、つまり……」

「――押見先輩のせいじゃないですよ」


 不知火はか細く言う。


 要するに、出る杭は打たれるというような話なのだろう。

 経験者がいるなら素直に教えを請えばいい、と安易に俺は思うが、まあ理屈はそうでも感情が追いつかないなんてのはよくある程度の話だ。

 ただでさえ中学生なのだから。

 嫉妬ややっかみで動きにくくなったとすれば、部を辞めた背景は想像に難くなかった。


「でも、高等部だったら状況が違うってワケですか」


 俺は小さく口にする。

 それに、押見先輩は首を横に振って。


「どうかな。いずれにせよ、それを判断するのは不知火ちゃんであるべきだと思うから」

「それは……そうかもしれませんね」

「もちろん中等部の頃よりは私も部を纏められてるとは思うけど。不知火ちゃんが居心地悪く思うようだったら意味ないからね。これは単に私のわがまま。しっかりとした形で、不知火ちゃんともう一回、ちゃんと舞台に上がってみたいな――ってだけのね」


 ――どうだろう?

 そう、押見先輩は視線だけで不知火に訊ねる。


 だが当の不知火はといえば、再び縋るような目をこちらに向けて。


「景行はどう思う?」

「や、だから俺に訊かれても答えようがないんだが……」

「それはそうかもだけど。でもほら、景行は中等部の頃のこと知らないから、ある意味で誰より客観的に見られるんじゃないかと思って」

「それは悪く言えば無責任にモノを言えるってだけのことだろ。不知火の好きにしろよ」

「わたしの好きに?」

「ああ。そういうのは他人の意見に流されないほうがいい、……と俺は思う」

「じゃあそうする」


 なんだか素直な態度で、こくりと一度だけ頷く不知火。

 それから彼女は視線を押見先輩に向けて、静かに頭を下げた。


「すみません。やっぱりわたし、今さら演劇部に入るというのは……、ちょっと」

「だよね。大丈夫、最初に言った通り、私もダメ元で言っただけだから」


 押見先輩はあっさりとした様子ですぐに引いた。

 不知火はなんだかほっとしたような様子で息をつくと、目線をこちらに向けてわずかに微笑む。

 もしかして、不知火は俺のことを保護者か何かと勘違いしているのだろうか。

 俺が思うに、押見先輩の《本題》はこれではないと踏んでいるのだが。


「じゃあ部には戻ってこられないとして」


 現に押見先輩は言葉を続ける。

 ぽんと軽く両手を叩いて、


「座組を組むだけだったらどうかな? 私と不知火ちゃんのふたりで」


 きょとん、と不知火は目を丸くして零した。


「え?」

「一公演限りの企画ユニット。うちの部とは無関係に、不知火ちゃんとも組める子だけを集めて公演を打つってわけ。それだったら不知火ちゃん的にも問題ないんじゃない?」

「え、と……」

「不知火ちゃんも舞台には興味あるんでしょ? 一度は入部したわけだし」

「それは、まあ……」

「どうかな? 今度こそリベンジ。私としても思い出ができるのは嬉しいからさ」

「……………………景行ぃ」

「だからなんでこっちを見るんだよお前は」

「いるからぁ……」


 ニュアンスがもう《居る》じゃなくて《要る》に寄っていた。

 そんな目で見られても、俺は縋りつく藁としてはちょっと脆すぎると思いますよ。

 藁視点、そもそも話にあまりついて行けていない。


 とはいえ弱々しい目でこちらを見る不知火を放ってもおけないため、俺は口を開いた。


「えっと……ユニットというのは、つまり押見先輩と不知火が個人的に演劇をやるためのグループをゼロから立ち上げる、みたいな認識で合ってますか?」

「おおむねそんな感じ。別に珍しい話じゃないよ。ウチの部でも、定期公演以外に公演を打ちたいときは有志で座組を組んで企画を進めるからね」

「そうなんですか? すみません、その辺り俺にはわからないんですけど、劇をやるなら裏方とかだって必要になりますよね?」


 実際にどんな役割が必要なのか知らないが、役者ふたりじゃ無理なことはわかる。

 押見先輩も俺の質問に頷いて。


「そうだね。ちゃんとしたものをやろうとすれば、やっぱり人手は必要になってくる」

「だとすると、やっぱそれなりに専門知識のある人が必要になるんじゃ?」

「いや、必要なのは知識より単純に数だね。そこさえクリアできれば大丈夫だよ」


 ふと不知火を見れば、彼女のほうも小さく俺に頷きを返してきた。


 ふむ。まあ考えてもみれば、ちょっとした照明や音響の操作なら文化祭のステージ上や学校集会でも行われている。

 というか、思い出してみれば俺も手伝ったことはあった。

 まあ照明のオンオフを指示されたタイミングで切り替えただけなのだが、あの程度なら確かに誰でもできる。

 勝手にハードルを上げていたが、その延長なら難しくはないか。


「実は、執事くん――景行くんを呼んだのも、そっちが狙いだったりしてね」


 押見先輩はそう言った。つまり、


「俺もそのユニットに入ってほしいって話ですか」

「今なら枠は空いてるからさ。なんなら役者で入ってくれてもいいけど」


 部室の掃除を頼まれていた段階で、押見先輩はそこまで見越していたのだろう。

 ともあれ、そう言われては俺としても断れなかった。


「役者はアレですけど、裏方とかでできることがあればお手伝いはしますよ」


 実際、そこまで演劇に興味があるわけではないけれど。

 ただ不知火を見ていたことで、演技というものには少しだけ興味が湧いてきた。

 あのレベルまでとは言わなくても、身につければ役に立つかもしれない。


「ありがとう、景行くん! 不知火ちゃんはどうかな?」


 再び不知火のほうに視線を向ける先輩。

 不知火は俺を一瞥すると、今度は何も言わずにただ頷いた。


「ほんとっ!?」


 ぱっと、押見先輩の瞳が輝く。


「はい。押見先輩にはお世話になってますし、わたしでいいなら……」

「やったっ! じゃあ今日から三人で結成ってことで! ――イエーイ!」


 手に持ったペットボトルを掲げて、押見先輩は快哉を上げた。

 不知火は一瞬、はっとした表情を見せたあと、自分でもペットボトルを持って。


「い、いえーい……!」

「イエーイ!」


 ふたりの視線が俺に向く。

 あ、そうなんだ? もうそういう感じなんだ、すでに?


 手伝うとは言ったものの入るとは言ってなかったような気がするのだが、こうなっては今さら言い出せない。

 その辺りは追々考えようとかぶりを振って、俺もボトルを掲げた。


「イエーイ!」


 ――三人分の喝采が小屋の中で響く。


 こうして、俺と不知火と押見先輩による演劇ユニットは流れるように結成された。

 放課後の時間は決起集会へと様変わりする。

 はむはむと芋をむ不知火に顔を寄せ、俺は小声で訊ねてみた。


「……よかったのか?」

「ほえ?」


 アホみたいなリアクションをする不知火だった。

 なんだそのあざとさ。樹宮を少し見習ったほうがいいと思いますよ。


「ほえ、じゃない。いや、なんか流れで決めてないかって話を聞いてるんだよ」


 不知火は役者活動よりも学校生活に重きを置いている。

 実際それがあったから生徒会から俺に話が降りてきたわけだろう。

 だから確認してみたのだが、不知火はなんでもない表情で。


「そう言われたら確かに流れで決めたけど、別にいいよ」

「そうなのか……?」

「うん。こういうふうに、みんなで集まってなんかするみたいなの、憧れてたし」

「……なるほど」


 納得した。それが不知火の憧れる青春の形なのだろう。

 言いたいことは俺にもわかる。

 実際、高校に入学するよりも前の俺は同じようなことを考えていたからだ。


「――むしろ、景行こそありがとねっ」


 不知火はそう言って笑った。

 俺は言う。


「……礼を言われるようなことをした覚えがないんだけど」

「だって、入ってくれたじゃん。それ、わたしのことがあったからだよね?」

「――――――――」

「さっき思わずいろいろ零しちゃったし。じゃなきゃ景行が手伝う理由ないもんね」

「いや、……俺は」

「それくらいはわかるよ。だから、ありがと。――嬉しかった」


 にへへへ、と恥じらうような笑みを零しながら、不知火はそんなことを言う。


 思わず俺は顔を背けた――その無垢な表情を見ていられなくなったから。


 彼女の言葉は間違っていない。

 俺がこの話を断らなかったのは、確かに不知火のことがあったからだ。

 だがそれは、断じて不知火が想像しているような理由じゃなかった。


 ――単にだ。


 生徒会からの依頼を達成するには、彼女の傍にいるほうが効率はいい。

 向こうから俺を入れてくれるというのだから、断る理由などなかったわけだ。

 この思考は善意じゃない。


 だからこそ、俺の胸には粘つくような罪悪感がずっと引っかかり続けてしまう。


 打算や損得勘定で他人と付き合うのは難しい。

 善人ぶっていることのほうが、俺にはずっと気楽に思えた。


 それでも。


「いいよ。俺も不知火が舞台に立ってるところ、見てみたいって思ったし」


 それでも俺は告げる。


 嘘ではない。

 建前でもない。

 それは紛れもなく偽りのない俺の本心だったけれど。


 自分のことも、また間違いのない事実だった。


「うぁ……かげ、も……、もおっ!」


 俺の言葉を聞いて、不知火は顔を真っ赤にすると、手をぶんぶんと振った。

 どうやら喜んでくれたらしい。

 それだけでも言った甲斐があるし、そんな計算を抜け目なくしている自分が――嫌になりかけるのを気合いで留めた。

 選んで決めたことをして、自己嫌悪なんて馬鹿らしい。


「うん、でも、そっか。見たいのかー。それなら、ちょっと気合い入っちゃうなっ」


 小さくガッツポーズを作る不知火から視線を逸らし、押見先輩に向き直る。


「――それで。具体的には、これから何をしていくんですか?」


 話を誤魔化したに過ぎないけれど。

 先輩は頷いてからこう答えた。


「まあ、真っ先にやるのはもちろん面子集めからだよね」

「なるほど」


 俺はこくりと頷いて。

 それから言う。


「いきなり役に立てそうにないですね」

「わたしも!」


 隣で不知火も笑顔で言った。

 笑顔で言うな。


「俺はともかく不知火はもうちょっとどうにかならんの?」

「いや、そんなこと言われても……わたし、この学校に友達いないから……」

「……………………」


 有名子役なんて肩書き、学校生活ではなんの役にも立たないということらしい。

 いや、さすがにこれは不知火がちょっとアレ過ぎるだけだと思いたいが。


「うーん、これは前途多難だ!」


 押見先輩はけらけらと笑う。この人は基本ずっと楽しそうだ。

 しかし考えてみれば結構、大きな課題ではあるだろう。

 たった三人では人手が足りなすぎだ。俺は押見先輩に向けて問う。


「どうします、これ?」

「ま、その辺りは私のほうでどうにかしてみるよ。最初から部員の何人かにも応援は頼むつもりだったから。もちろん、不知火ちゃんと軋轢が出ない人選で。いいよね?」

「えっ? あ、はい。だいじょぶです」


 こくりと頷く不知火。

 枠として部活じゃなければ大丈夫なのだろう。たぶん。

 押見先輩はそこに続けて、


「とはいえ結局、ウチの部員ばっかりになるようじゃあんまり意味ないから、ふたりには外に向けての勧誘をお願いしたいところだけど……」

「むぐふぅ」


 と不知火は唸った。

 そして一瞬ちらっとこちらを見てから、


「……それは景行がどうにかします」

「お前さあ……」


 仮にもテレビに出ていた芸能人とは思えないコミュ力の低さしてんな……。

 いや、芸能人ならコミュ力があるってのも、ある種の偏見なのかもしれないけどね。


 まあいい。確かに、そこは俺が担うべき部分だろう。

 演劇そのものへの造詣が深くない以上、ほかで役に立てなければ俺がいる意味がない。

 せいぜい売り込んでいこう。


 これでも俺は新入りなんだが……それでも、不知火よりはたぶんマシだ。


「まあまあ、長い目で見て行こう。目標は、ひとまず来年とかになりそうだし」


 押見先輩のひと言で纏められ、かくして方針は固められる。



 ――果たしてこれは、生徒会に対して《成果》として伝えられる内容なのだろうか。

 このとき俺は、そんなことを頭の片隅で俺は考えていた。

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