1-19『幕間:景行謡は兄に訊く』

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「……なんだか妙なことになったな……」


 などと中身の薄い感慨を、闇に溶け込ませるように静かに零す。

 時刻は、ついさきほど零時を過ぎた頃合いだ。

 さきほど自室で宿題を終わらせて、今は寝る前にお茶でも淹れようと居間に降りてお湯を沸かしている。


 放課後の寄宿小屋での話し合いは、結局あのあとただの飲食会になった。

 俺はキリのいいところでふたりと別れ、先に家まで帰ることにした。

 もともとはいないはずだったわけだし、俺抜きで話したいこともあっただろう。

 そう思ったからだ。


「――――」


 薄暗い部屋でティーポットを眺めながら、ようやくになって今日のことを回想する。


 これから忙しくなりそうだ――なんて言えるほどやることはない。

 そもそもこれまでも充分すぎるくらい忙しかったのだ。

 その意味では、特に変化のある一日ではなかった。


 それでも、俺には今日この日がひとつの転機に思えてならない。


 理由ならわかっていた。

 そのために、と決意を持って入学した学校で、目標への一歩を明確に踏み出したという実感があるからだ。

 だから、いつもよりちょっと疲れている。


「――あれ? 想兄?」


 ふと、背後から声をかけられて俺は顔を上げる。

 同時に、最小になっていた部屋の照明が一気に明るくなった。


「あ、お茶淹れてんだ? じゃあわたしのもお願い」


 景行家の下の双子の片割れ――妹のうたいが、不思議そうに首を傾げながら言った。

 母も姉も帰宅していないため、今いるのは三人だけだ。

 寝間着姿の妹に、俺は訊ねる。


えいは二階か?」

「うん。でも、もう寝てると思うよ。だからふたり分でオッケー」

「了解」


 インスタントのパックで済ませようかと思っていたが、ふたりいるなら急須を使おう。

 茶葉や湯呑を揃えていると、背後で食卓についた謡がふと静かに言った。


「なんか元気ない?」

「ん……、そう見えるのか?」


 訊き返した俺に、中学生になった妹は半笑いで。


「あ、じゃあアタリか。いいねいいね。何か悩みがあるなら、妹に話してみ、想兄?」

「兄に悩みがあると知っての感想が『いいね』なのおかしくない?」


 俺は割と下の双子をかわいがってきたつもりなのだが、当の双子からの俺への当たりが微妙に強いのはなぜなのだろう。

 特に謡は、詠よりもひときわ厳しくて悲しくなる。


「で、どしたの。恋愛相談?」


 中学生みたいなことを言う謡だった。事実、中学生なのだが。

 相談することは前提になってしまったようなので、俺はお茶を淹れながら語ってみる。


「まあ、ちょっと学校で仕事が重なってね」

「……仕事ねー」

「そうだよ、仕事だ。俺はあくまでも打算的契約関係を旨として高校生活を過ごす男だ」

「やだよなー、こういうこと言い出す兄……。妹は悲しくなってきます」


 兄も悲しくなってしまったが、事実なのだから仕方がない。

 恋愛や青春の全てを捨ててでも、俺はビジネスライクに高校を過ごすと決めている。


 打算で計算して、試算を検算して。

 高校生活三年間の人間関係を構築していくと。


 そんなことを考えている兄の姿を見て、賢い妹は呆れたように溜息を零した。


「こういうの高二病って言うんだっけ?」

「まだ高一のはずなんだけど、となるとだいぶ成長が早いな、俺は」

「やれやれ……まったく、りゅー姉の言った通りだよ」

「姉貴の?」


 突然出てきた名前に首を傾げると、謡はこくりと頷いて。


「うん。どうせ入学してひと月もする頃には、打算で人付き合いするのに引け目を感じてヘラり出すから――って。そういうの、想兄はホント引くほど向いてないから」

「俺、そんなふうに思われてたのかよ……姉貴の奴」


 それを直接は言ってこない辺り、実に姉貴らしいと言わざるを得ない。

 どうやら謡も、その件があったから急に話を振ってきたようだ。


 もう言葉もない俺に、謡は静かな口調で。


「後悔してんの?」

「それは違う」


 俺は即答で首を振った。そんなことを言い出すつもりはない。

 やると決めたことをやっていて、そのことに後悔するなんてのは馬鹿げた話だ。


「ただまあ……、ってちょっと思っただけなんだ」

「……ずるい?」

「いや、ただの泣き言だ。忘れてくれ」


 首を振って、俺は話を打ち切った。

 急須にお湯を注ぐ。

 謡も、それ以上は何も言ってこなかった。


「ほらよ」


 淹れ終わったお茶を食卓まで運んで、謡の前に置く。


「ん。ありがと」


 そう言って受け取る妹を正面に見ながら、俺は対面の椅子に腰を下ろした。

 お茶を啜る。何度か謡が、こちらの表情をちらちらと伺っていることには気づいていたが、特に反応はしない。

 やがて謡も、諦めたように湯呑へ口をつけた。



 ――少し濃いめに淹れすぎてしまったかもしれない。

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