1-17『不知火夏生は基本チョロい』

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 そうして学校まで辿り着いた。


「はあ……いや結構疲れたな……!」

「そ、そうだね……っ。駅からノンストップで走ると、意外と距離あるよね……ふぅ」


 俺も不知火もそれなりに息は上がっていたが、まあ遅刻するよりはマシだろう。

 集合は五分前が基本である。

 いや別に俺が行く必要はまったくないのだが、こうなった以上は乗りかかった船だ。

 引き留めた責任もあることだし、最後まで送り届けておこう。


「……ったく。一時間前には想像もしてなかった事態になったもんだ……」

「た、確かにそうだね……あはははは」

「いや、笑いごとじゃないけどな。……ははっ」


 言いながらも、自然と笑みが零れてくる。

 不知火と顔を合わせた瞬間、何をやってるんだろうなと素に戻ってしまったせいだ。


「景行ってさ」


 笑いが収まってきた頃、不知火はふと言った。

 その視線は、なぜか不知火自身の右の掌に注がれている。


「……どした?」

「あ。や、その……なんでもないよ。ちょっと懐かしい気がしただけで」


 不知火は右の拳を、左の手できゅっと握り込むようにしながら。

 視線だけをこちらに戻して、俺の顔をまっすぐ見つめながら笑みで言った。


「景行、もしかして意外と優しい?」

「よく言われる」

「あはは。否定しないんだ?」

「肯定もしてないけどな。別に誰も彼もに優しくはしてない。本来なら代金を取るとこだ」

「お金取んの!?」

「仕事だったらそうだけどな……ま、今回は仕事じゃないから別に」

「…………」

「友達が困ってるのを助けるくらいなら無償でいい。じゃないと悪徳すぎるからな」

「……そっか」


 おかしそうに肩を揺らして。

 それから、不知火は俺にこう言った。


「景行って面倒臭い性格してるね」

「お前に言われたくねえ……!」

「あははは!」

「はあ……で? 待ち合わせ場所はどこなんだ?」


 現在、俺たちがいるのは校門を通り抜けた辺り。

 待ち合わせまでは残り五分ちょっと。本校舎なら間に合うところだが、


「だ、だいじょぶ。待ち合わせ、校門のはずだから……!」

「そうか。なら問題ないな」

「うん。――あ、ちょうど先輩も来たみたい」


 不知火の視線の先を追えば、確かに向こうのほうから歩いてくる押見先輩が見える。


「あれー? なんだか珍しい組み合わせじゃない? どしたの、執事くん」


 驚きながらも、なんだか愉快そうに目を細める細身先輩に、俺は頭を下げて。


「どうも。――まあ、なんというかなりゆきで」

「あははっ! いったいどんななりゆきならそうなるのさ!」

「執事くん……?」


 隣に立っている不知火が、妙な俺の呼び方に首を傾げた。

 別に説明する必要もないだろう。そんな風に呼ぶのは今のところ押見先輩だけだ。


 そして間に合った以上は俺も留まる必要がない。

 視線を不知火に戻して、


「間に合ったんだから問題ないよな?」

「あ、それは、うん。……送ってくれてありがと」


 こくりと小さく不知火は頷く。

 俺は軽く肩を竦めて、


「いや、いっしょに走っただけだけどな」

「でも応援はしてくれたし。それがなかったら走れなかったかも」


 軽く微笑みながら言う不知火は、これまでの様子とは打って変わって自然な表情だ。

 こんなに素直な性格なら最初からこの顔で来てほしかったところだ。

 いや、ある意味で強いギャップを感じさせられて面白い気分にはなるが。


「へえ……不知火ちゃん、執事くんには素を見せてるんだね」


 ふと、目を丸くしながら押見先輩は言った。

 俺は答える。


「それもなりゆきです」

「それこそなりゆきでは見せないと思うけど……ねえ不知火ちゃん?」


 不知火は顔を赤くしながら答えた。


「た、単に覗き見られただけですからっ」

「えぇ、覗き見られた?」

「いや違います」「はいそうです!」


 俺と不知火の、正反対の答えが被る。

 むっとした様子で不知火はこちらを睨んで、


「違わないじゃん。そういえば昨日も部屋にいるとこ覗いてきたし!」

「人聞きが悪すぎる言い方をするなよ」

「でも事実だもんっ。わたし、本当はもっとクールなキャラで通すつもりだったの!」

「それお前には無理だよ」

「どぉしてそーゆーことゆーかなぁ、景行は!? 意地が悪いよっ!!」

「――なっははははははは!」


 俺と不知火のやり取りを見て、押見先輩は豪快に笑った。


「先輩っ! 笑いごとじゃないんですけどぉ!」

「いやいや、こんなの笑っちゃうって。仲がいいのはいいことだけどね、うん」

「な、なかよしって、そんな……ま、まだ早いですっ!」


 いつならいいんだろう。

 顔を真っ赤にする不知火を、押見先輩は笑って見つめていた。


 どうやらかなり親しい関係らしい。

 そんなようなことは、確か樹宮も零していた。


「そうだ!」


 ふと、そこで押見先輩が勢い手をぽんと叩いて言った。

 首を傾げる俺と目を丸くする不知火の目の前で、先輩は笑みを深めながら。


「どうせなら執事くんもいっしょにどう?」

「いっしょに、とは?」

「せっかくだからキミにもお話を聞いてってもらおうかなって」

「……?」


 不思議な提案ではあった。

 少なくとも、ただ遊びに行く予定があって誘われている、という言い振りではなさそうだ。何かしら明確に、話すべきことがあるらしい。


 ただ、それなら俺が呼ばれる意味がわからないところだ。

 疑問に思う俺の目の前、押見先輩は不知火のほうに向き直って。


「不知火ちゃんもそれでいいでしょ?」

「え? はあ……まあ、わたしは構わないですけど。何かわたしに話があったんじゃ?」

「もともと執事くんにも聞いてもらいたかった話だから大丈夫。時間は平気?」


 視線が再びこちらに向く。

 時間が平気じゃなかったら不知火とじゃれているはずもないので、俺は頷きを返す。


「俺も特に予定はないですけど。なんのお話ですか?」

「ちょっとした頼みごと――っていうか相談? みたいな感じ」

「相談……」

「まあちょっと聞いてってよ。場所は……どうしよっかな。駅前の喫茶店とか行こうかなって思ってたんだけど、それでいい?」

「――――――――」


 一瞬、俺と不知火の視線が合う。

 そして意見も一致した。


「別に学内で大丈夫じゃないですか?」

「そう? どうせなら何か奢らせてもらおうかと思うんだけど……」

「それは悪いですから」


 とか言ってみたが、もちろん本音は、また戻るのがアホらしかっただけだ。

 横では不知火も同じように頷いていたため、押見先輩は考え込むような仕草を見せて。


「じゃあどうしよっかな。部室は綺麗になったばっかだから誰かいそうだし……となるとここは、不知火ちゃんの秘密基地を借りよっか。鍵はあるんでしょ?」

「あ、はい」


 こくりと頷く不知火。

 彼女の秘密基地というのは、あの古びた寄宿小屋のことか。


「じゃ、ちょっと先に行って待っててもらえる? こっちは少し準備してくるから」


 俺たちが頷きを返すと、先輩は「じゃ、あとで!」と手を振って、来た道を戻るように校舎のほうへと引き返していった。

 俺は不知火に視線を向けて、彼女に向かってこう訊ねる。


「押見先輩とは仲いいのか?」

「この学校の上級生は、みんな中等部からの先輩だからね。付き合いは長いよ」

「それはそうだろうけど……お前そんな知り合い多いタイプじゃないだろ」

「それどういう意味かな!?」

「他意はないよ。だいぶ親しそうに見えたけど、って話」


 しばらく不知火は、むっとしたような目をこちらに向けてきたけれど。

 やがて小さく息をついてから、こくりと頷いて俺に言った。


「まあね。一応、押見先輩は同業者でもあるわけだから」

「ああ、そういや押見先輩も役者をやってんだっけ」

「先輩は舞台系の人だから厳密には違うと言えば違うんだけどね。そのよしみ」

「ふぅん……」


 役者のジャンルの違いの機微はわからないが、同じ学校で同じ芸能系なら、まあ親交があっておかしくないというわけだ。


「ま、行こうよ。今日はちゃんと招待してあげるから」


 笑みを見せて不知火は言う。

 俺も笑って、


「あの小屋に入るのに不知火の許可が必要だとは知らなかったよ」

「すぐそういうこと言うよね景行は……友達少ないでしょ」

「そういう不知火は多いのか?」

「……………………ふきゅぅ」


 不知火は絶望的な表情になった。


「ごめん。俺が悪かった。悲しそうな顔しないでくれる? たぶん俺より多いよ!」

「高等部から入った景行より多くてもなんの自慢にもならない……」


 打たれ弱いなあ、こいつ……。

 このメンタルでよく芸能界なんて怖そうな世界にいられたものだ。


 ――なんてことを頭の隅で考えながら、ふたりで寄宿小屋を目指した。

 なんだかたびたび来ることが多くなった、征心館北東部は第二部室棟周辺。

 鍵を開ける不知火の後ろに続いて、俺は建物の中に入った。


「今さらだけど、なんで鍵を不知火が持ってんだ?」

「んー……まあいろいろとあって、かな」

「……なるほど」


 説明する気はないらしい、という意味で納得した俺に、不知火は続けて。


「ま、単純に近いうちに使えなくなるから、がいちばん大きいけどね」

「うん?」

「この小屋、今は一応、演劇部の管理なんだよ。ただ普通に使ってないし、だから一学期終わったら夏休み中に取り壊されるんだよね。本当は冬休みの予定だったらしいけど」

「そうなのか……。まあ、見るからに古いもんな」

「あはは。別に今すぐ壊さなきゃ危ないってほど老朽化してないけど。それはともかく、壊すまでの間は使ってていいって、押見先輩に許可を貰ってるってこと。本当はあんまりよくないかもしれないけど、まあ……桧山ひやまも一学期の間ならいいって言ってたから」


 そういえば、俺のクラスの担任の桧山は演劇部の顧問だと、押見先輩が言っていたか。


 俺は自然と小屋の中の様子を観察した。

 外から見るより確かに中は綺麗だ。ちょっとした部室だと思えば悪くはない。

 学校内にこんなパーソナルスペースを持てるというのは、なかなか贅沢な特権だろう。


「いいな。秘密基地だ」


 小さく零すように言うと、不知火は嬉しそうに笑った。


「へへへ。でしょ? でしょー?」

「ああ。正直、ちょっと羨ましいかもだ」

「そ、そかそかっ。景行もそんなに気に入ったんだっ」

「え? あ、うん……まあ」

「そんなに言うなら仕方がないね。景行にも使わせてあげてもいいよっ。特別にっ!」

「……そりゃどうも」


 めちゃくちゃチョロい不知火であった。

 別に使わせてもらいたくておべっかを言ったわけではなく、ただの素直な感想だったのだが……何もしていないのに勝手に落ちている。

 もはや心配になってくるな、こいつ。


「うんうん。どうせわたししか使ってないからねここは! お昼とか、よかったら食べに来てもいいんだよっ。わたしはいつもいるからねっ!」

「……ああ。俺は不知火を応援してるよ」

「どうして急に応援したの!? あ、ありがとう……って言うトコ?」


 元来、割と人恋しくしている奴なのだろう。

 だとすれば――不知火の普段の態度が、よりわからなくなってはくるが。


 意図して人を遠ざけるような、性格にまるで似合わない、刺々しく不愛想な振る舞い。

 なぜ不知火夏生は、あえてそうしているのだろう。


「はい! これ景行の分の座布団ね。どうぞっ!」

「……ん、サンキュ」


 少なくとも、嬉しそうに座布団を抱えてくる少女からは想像ができない事情だった。


 ――やがて押見先輩が、そう間もなく小屋までやって来る。


「お待たせー。飲み物とか買ってきたからどうぞ」


 どうやら購買に寄ってきたらしい。結局、気を遣わせてしまったようだ。

 もともと待ち合わせで現れたのにわざわざ引き返した時点で、これは予想しておくべきことだった。

 とはいえ、ここまで来て固辞するほうが悪いのでありがたく頂戴する。


 かくして俺たちは、先輩が買ってきたペットボトルや軽食を開けつつ座った。


「で、話なんだけどね」


 押見先輩は開幕でそう切り出す。

 はむ、と不知火が食堂のフライドポテトを口にする声が響いた。


「まずダメ元で相談なんだけど、――不知火ちゃん、演劇部に戻ってくる気はない?」

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