1-15『樹宮名月にも驚く日はある』

     3



 昼休みが終わるより早く、俺は第二文芸部室を逃げ出し――もとい抜け出してきた。


 もう帰っちゃうの? まだいてよ? ていうか午後はサボらない? いっしょにゲームしようよ!

 ――等々といった砂金の波状攻撃をいなし、なんとか平穏を取り戻す。


 やべえ奴に目をつけられてしまった。

 でも、こんなことになるなんて予想がつくはずもないので仕方がない。

 どうあれ進捗はあったのだ。

 連絡先を入手できたのは大きな進歩だった。

 はず。


 そうか?

 本当にそう?

 何も進んでないとしか言えなくないかコレ?

 かもね☆


「……まっずいなあ……」


 現在、六限。

 俺は授業を聞き流しながら砂金と水瀬について考えている。


 結局は今のところ、ふたりがどんな一芸を持っているのか聞き出せてはいない。

 安易に触れていい話題かわからないから慎重にはなるべきだし、そう思えば親しくなることができただけ順調かもしれないが……なんというか、予想より親しくなりすぎた。

 何それ?

 という感じだが、でもいたんだよな、姉貴の友達にも砂金みたいな奴……。

 ものすごく美人でモテるんだけど、どこか残念なタイプの人。それと近しいものを感じていた。


「あの、想さん」


 姉貴の友達の場合は男を見る目が終わっているタイプの人だったが、砂金の場合は少し違いそうか。

 どうも男友達というものに、思うところがあるらしい。


『想。あんたはこういう女に近づかないようにしなさいよ。絶対引っかかるから』


 という姉貴の教えは、今回まったく活きなかった。

 いや、そんな簡単に見抜けねえよ。気づいたときには手遅れだったもん。


「想さーん?」


 ――ともあれ。

 こうなったら並行して不知火のほうにもコンタクトを取りたいところなのだが、昼休み終わりに確認したところ、どうやら今日は体調不良で早退しているらしかった。

 となると再び砂金と水瀬に話を聞くほかないが、……なんかこう少し気が乗らない。

 砂金が重い。あらゆる意味で。


 ――などと考えているうちに六限終わりのチャイムが鳴った。放課後だ。

 無意識のまま帰り支度を薦めつつ、俺は一度、スマホを確認した。

 水瀬や砂金から、特に連絡は来ていない。

 昔、中学生の頃に一度だけ、例の姉貴の友達にメンタルクリニックとして認識されたという経験があったのだが、あの頃は一日に多いと百回以上の連絡があったものだ。

 あのときは最終的に姉貴がキレて終わりになったが、ともあれそれと比べるなら、特に連絡をしてこない辺り砂金も意外と普通なのかもしれない。

 少し希望が出てきた。


 よし。

 ――今日は帰るか。


 そう決意を固めたところで、ちょうど隣の席の樹宮が立ち上がった。


「あ、樹宮。ちょっと――」

「…………むぅ」


 声をかけると、こちらを振り返った樹宮が実に不服そうな表情を見せる。

 いつも笑顔の彼女にしては珍しい表情だ。何か気に障るようなことをしただろうか。

 思わず不安になるも一瞬、樹宮はすぐにいつも通りの様子に戻って。


「なんですか、想さん?」

「いや、ちょっと話があったんだけど、樹宮こそ今……」

「大丈夫です」

「でも、」

「大丈夫です」

「……うぃっす」

「その話は、またいずれ詰めるとしますので」

「……………………」


 だとしたらあんまり大丈夫じゃなさそうなのだが。

 笑顔を見せる樹宮に、食い下がるような勇気は俺にはなかった。

 仕方なく俺は、最初に言おうと思っていた思いつきをそのまま口にする。


「あー、樹宮? 今日って、これからなんか用事あるか?」

「え」


 俺の問いに、ほんの一瞬だけ樹宮は狼狽えたような様子を見せて。

 けれどすぐに持ち直すと、こくりと頷きながら答える。


「あ、そ……そうですね。今日は、バレーボール部にお呼ばれしていましたが……」

「そっか。まあそうだよな。すまん、じゃあなんでも――」

「――待ってください」


 待ってください。

 と、樹宮は言った。


「待って、ください」


 しかも二回。


「お、おう。待つけど」

「想さん。それはいったいどういった意図の確認なのでしょうか?」

「え……いや、ほら。いろいろ世話になってる分の埋め合わせでもしようかと思ったんだけど、まあ前もっては言ってなかったし――」

「わかりました」


 言うが早いか樹宮はスマホを取り出すと、超高速でそれを操作する。

 そして瞬く前に再び仕舞い込むと、こちらに向き直って。


「今日は暇になりました」

「……樹宮。もしかして今、断りの連絡を、」

「今日は暇になりました」

「…………、オッケー。実は俺も暇なんだけどさ」

「はい」

「このあといっしょに、お茶でもどう?」


 樹宮はわずかに微笑んで、小さくこくりと頷いた。


「喜んで、お付き合いさせていただきますねっ」


 ――ということで、俺たちは揃って校舎を出て行くこととなった。

 恩返しのつもりが逆に気を遣わせたまである気もしたが、まあ樹宮は嬉しそうだ。

 ならいいだろうと納得する。


「ふふ。まさか、こんないきなり想さんからお誘いいただけるとは思いませんでしたっ」


 並んで道を歩く中、口元に手を当てて樹宮は言った。

 心なしか足取りも跳ねて見えるが、これは俺の勘違いじゃないと思っていいのか。


「いや、これでも一応、機会は窺ってたんだけど」

「そうですか? いかにも思いつきという気配が垣間見えましたけれど」


 そこはばっちり見抜かれてんだな……。

 別に機会を窺っていたこと自体は嘘じゃないんだが。


「いろいろやることがあると思ってたから。俺だけじゃなくて、樹宮も」

「想さん、今は生徒会からのお仕事がありますからね。忙しいのは仕方がないです」

「それがそんなに急ぐ仕事ってわけでもなさそうだからさ。久々に息抜きをしようかと」

「それで私ですか」

「あー……この言い方だとアレだけど。基本的には、今日までの恩返しのつもりで」

「わかってますよ。とても楽しみにしています」

「そう言われるとハードル上がるな……」

「気にしなくても大丈夫です。そうですね、駅前の喫茶店でどうですか?」


 駅前に喫茶店は二店舗あったが、どちらもありふれたチェーン店だ。


「そんなんでいいの?」

「高い店じゃないと納得しないような女に見られてます、私?」

「じゃ、そこにしよっか。もちろん払いは持つよ」

「はいっ。甘えちゃいますねっ」


 そんな会話をしながら、ふたりで最寄りの駅まで向かった。

 駅前に二軒ある喫茶店のうち、駅正面にあるアクセスのいいほうはひと気が多い。

 帰宅途中に遊ぶ生徒は、基本的に電車に乗って大きめの駅まで出るが、それも全員ではない。


 俺たちは駅の内部を抜けて、反対口側にあるもう一軒の喫茶店へと向かった。

 こちらは、少なくとも征心館の生徒の数は少なめだ。

 樹宮といるとどうしても人目を惹くから、こちらのほうがベターではあるだろう。

 店に入って、並んで注文を済ませてから向かい合って席に座る。


「いただきますね」


 と樹宮がカフェラテを持つのを見てから、俺も慣れ親しんだブレンドに口をつけた。

 チェーン店でも、俺の舌なら余裕で満足してしまうのだが。

 果たして樹宮レベルでも満足行くものなのだろうか。想像はつかなかった。


 と、そこで樹宮は言う。


「美味しいですね」

「…………」


 一瞬、心を読まれたのかと思ったが、単に感想を言っただけだろう。

 笑みを作って頷く。


「それならよかったよ」

「想さんといっしょだからかもしれませんね」

「なるほど。道理で俺も、いつもより美味く感じるわけだ」

「お上手ですね? ですが、そう言われて悪い気はしませんよ。ありがとうございます」


 お上手なのは樹宮のほうでしかなかったが、まあひとまず及第点か。

 樹宮が相手だと、なんというか自然と言葉を選んでしまう節が俺にはある。

 意外なのは、それが悪い気分じゃないことだろう。楽しんでほしいなと、他意なく思えている。


 気を遣っているわけではなく。

 気遣ってあげたいと、自然に感じている。

 それが樹宮の持つ、ある種の人徳なのだろう。


 目を細めて、正面にいる樹宮を眺めながら、そんなことを俺は考えた。


「樹宮は……すげえよな」

「想さん?」


 ほとんど無意識で零れた言葉に、樹宮が首を傾げる。


「ん……ああ、ごめん。ちょっと感想が、無意識に零れただけ」

「そ、そうですか……そこまでまっすぐ言われてしまうと、少し気恥ずかしいですが」


 少しだけ困ったように、樹宮は薄くはにかむ。

 照れた様子で前髪を弄る仕草が、なんだかとても愛らしかった。


「樹宮が照れるのは意外だな。普段から褒められ慣れてそうなもんなのに」

「むぅ。想さんこそ、意外と意地悪なことを言います。あまりからかわないでください」

「別にからかってるつもりはないよ。ちゃんと本心」

「そうですか? いきなり想さんに評価されることをした覚えはありませんけれど」

「まあ、いろいろ。樹宮は、ちゃんと頭を使ってる人間だからさ」

「使っている、ですか」

「そう。別にいい悪いの話じゃなくて、頭なんて使うか使わないかだと思うんだよな」


 と、亡くなった父からの数少ない受け売りを、俺は語った。

 頭のいい悪いなんて、大きな目で見れば、誰だってそんなに大差がない。

 どれほど頭がいい人間だろうと、他者の思考を完全に読み取ったり、未来を確実に当てるような真似ができるようになったりしないのだから。


 なら違いがあるとすれば、それはどれだけ思考を止めずに、考え続けることができるかどうかの差だ、――そう俺は教わっていた。


「樹宮は、何をするにも何を話すにも、いつだってそれがどういう結果を生むのか考えてやってるよな? どんなことでも適当にはしないっていうか」

「そう言われると、なんだか腹黒だと指摘されているような気分になりますけれど」

「いや、そんなつもりじゃなくてさ。本当に、そういうところは尊敬できると思ってる」


 そうやって告げた俺に、樹宮はしばらくきょとんとした表情を見せたが。

 けれどすぐにふっと視線を逸らすと、小さな声で呟いた。


「……またすぐそういうこと言うんですから……悪い男ですね、想さんは」

「えっ、そうかな? そう見える?」

「どうして嬉しそうな反応なんです……?」


 いい奴と言われたことは数あれど、悪い男と呼ばれたことはなかったものだから。

 昔と変わっているのなら、どうあれ俺としては歓迎すべき進歩ではあった。


「……まあ、想さんが楽しそうならそれでいいですが」


 こくりと小さく頷きながら、ふと樹宮は言った。


「樹宮?」


 と首を傾げる俺に、彼女は目を細めて。


「それです。それ」

「え?」

「こうしてふたりきりでお出かけまでする仲だというのに。未だに想さんは、私のことを苗字でしか呼んでくれませんから。正直、私としては少し悲しいです」

「う、……それは……ごめん」


 考えてみれば、少し申し訳ない話かもしれない。

 頭を下げて謝る俺に、樹宮は小さく首を振って答えた。


「いえ。まあ確かに、学年だけで四人もいますからね、同じ名前が」

「……そうだね」


 名前で呼べない理由はそこではないのだが、それは言えないので訂正しない。


 ――でも。

 と、それでも樹宮は、俺の目をまっすぐに見て言った。


「できれば想さんには――私のことは、名前で呼んでほしいと思っています」


 言って樹宮はカップを持つと、目を閉じるようにして口をつける。

 その言葉に、――けれど俺は肯定を返すことができない。



 ――

 ――



 かつて《なつき》から告げられた言葉が、リフレインするように脳内で響いた。

 結局、俺はあのときの想いに今も囚われているのだろうか。


「…………」


 しばらく、お互いに無言になる。

 すると何を思ったのか、ふと樹宮はカップを持ったままこちらに視線を向けて。


「見てください、想さん」

「うん?」


 それからカフェラテに口をつけると、彼女はゆっくりカップを降ろして。


「ひげ」

「――――っ!!」


 予想外の不意打ちに、思わず吹き出しそうになった。

 泡ひげを口元につけた樹宮は、してやったりの表情で楽しそうに微笑んで。


「お、やりましたね。予想以上にウケました」

「いやだって、まさかそんな、急に小ボケを入れてくるとか……くくっ」

「私だって、これくらいはできますとも」


 泡ひげをつけたまま、むふんと自慢げに樹宮は言う。

 かわいっ……くそ、かわいい……。

 多少のあざとさすら魅力でしかない。


「まったく、樹宮グループの御令嬢ともあろうお方がはしたない」

「むぅ。その言い方はどうかと思いますよ。確かに上品ではありませんけど」

「ごめんごめん」

「では謝罪の証として、このことは内緒にしてもらいましょう。みんなには秘密ですよ?」


 指を立てて、唇の前に立てるジェスチャー。

 そう言われては仕方がない。このことは秘密にせざるを得ないようだ。


「弁当の件といい、俺と樹宮の間には秘密が多いな」

「……かも、しれませんね」


 言って、彼女はカップをテーブルに置いた。

 それからこちらに向き直って。


「どうですか? その後、お仕事のほうは」

「ん、まあそうだね。一旦とりあえず順調と言って、……おきたい気分ではあるかな」

「それはまた微妙な言い回しですね。無理もないかもしれませんが」


 小さく苦笑しながら言う樹宮。


「そうか?」

「ええ。なにせまあ、皆さん難しい方たちですから」

「ああ……それは確かにそうかもしれない」


 砂金にしろ水瀬にしろ、それに不知火にしろ。

 そもそもとして面倒臭いタイプの連中であることは確信していた。


「ですが、少しだけ妬けちゃいますね」


 ふと樹宮は言う。


「え?」


 と訊ねた俺に彼女は続けて。


「だって、最初に想さんと親しくなったのは私なんですから。三人ともかわいいですし? たまにはこうして、わたしのことも構っていただかなければ拗ねるところでした」

「……そりゃ危ないところだったね」

「ですです。もしや想さん、意外とああいう子たちがタイプだったりするのです?」

「そんな風に考える余裕はないかな……親しくなるだけで精いっぱいだった」

「――なれたのですか?」


 きょとんと首を傾げた樹宮に、俺は頷く。


「不知火以外とは、まあ一応。砂金に初めての男友達だって喜ばれたわ。水瀬のほうは、何考えてるんだかよくわかんないけど」

「えっ」


 樹宮は目を丸くしていた。

 どうやら、これは驚かれるに値する発言だったらしい。


「……親しくなってしまったのですか」

「なってしまった……?」

「あ、いえすみません。失言でした。――でも、本当に砂金さんたちと?」

「俺って今、そんなに驚かれるレベルの発言してた?」

「そこまでは言いませんが……おふたりとも、交友の幅が広い方ではありませんから」

「ふぅん……そうなのか」


 そんな風にも見えなかったと思うが、まあ確かに変わってはいたか。

 個人的には、話していて面白いし割と好感度は高い。ちょっと怖いだけで。


「あとひとりをどうするかなんだよなー……」

「不知火さんですか」

「うん。初対面の印象が悪かったからちょっと嫌われ気味で、いったいどう――……」


 言葉が、途中で途切れた。


 視界の奥に、今ちょうど話題に上げた人間がいたからだ。

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