1-14『砂金奈津希はたぶんやばい』
「――お待たせミナっ!」
なんて声とともに現れたのは、この第二文芸部の唯一の部員――
俺と水瀬の視線が同時にそちらへ向き、逆に砂金の視線がこちらを捉えて。
「あれっ、カゲくん!? 来てたの!?」
苗字の前二音を取るネーミングセンスは砂金由来らしい。
ともあれ、俺は砂金に向き直って言った。
「お邪魔してるよ」
「なになにどういうことっ!? まあいいか! いらっしゃいカゲくん!」
今日の砂金は、なんだか昨日よりもテンションが高いようだった。
瞳を爛々と輝かせた明るい様子は、なんだか外見よりもあどけなさを感じさせる。
と、そこで水瀬が、現れた砂金に言葉を向けた。
「どうだった?」
「購買は全滅だった! 人混みはやっぱり駄目だねっ。お昼は抜き!」
「まあ、だとは思ってたけど」
「えー!? だったらミナが買いに行けばよかったじゃん! ねえ、やっぱボードゲームで決めるのやめようよー。あれ、わたしじゃミナに勝ち目ないんだけどー!」
「……罰ゲームは罰ゲームだから」
「むぅ……これで二日続けてお昼抜きになっちゃう」
昨日はランチパックを食べていたと思うが。
それはともかく、会話の流れはなんだか都合のいい方向に進んでいた。
俺は言う。
「よかったらパン食べるか?」
「え?」
「多めに買ってきてあるから貰ってっていいぞ。飲み物も」
「え……なんで? どういう意図? あとから施しの代わりに言うこと聞けとか……」
「言わねえよ。俺のことなんだと思ってんだ。別にいらないならいいけど」
「いるいる! 貰います! わたし、お腹減ってたんだよ!」
言うなり砂金は部屋に飛び込むと、嬉しそうにビニール袋を覗き始めた。
上半身をほぼテーブルに乗せるような体勢になったせいで、机に乗った胸が強調されて目に悪い。
思わず視線を逸らすと、そんな砂金を、ただ無言で見つめる水瀬が視界に入った。
そういえば、さきほど彼女は何を言いかけたのだろう。
うやむやになってしまったが。
「じゃあ、これとー。あとこれ!」
パンをふたつを選んだ砂金は、俺に笑顔で向き直った。
相変わらずテーブルに寄りかかるような目に悪すぎる姿勢で、
「ありがと、カゲくん!」
「どういたしまして」
「いくら払えばいい? 五万くらい?」
「別にいらな――高えよ! どういう見積もり!?」
「嫌だな、別に円とは言ってないよ」
「ああ、そう……」
「米ドルのつもりで言ったよ」
「レートが円より上がってるだろ!」
「あははー。まあそんなには払えないけど! でも、それなら何をしてほしいの?」
笑顔のまま、座る俺を上目遣いに見上げるように砂金は問う。
「いや、別にいいよ、タダで。勝手に買ってきただけだ」
「……そうなの? 本当に? 本当に何もしてほしくないの? どうして?」
「えぇ……?」
まっすぐ問うような砂金の視線が俺に突き刺さっていた。
それは本当に、俺の行動が心底から理解できないと言いたげな表情だ。
――そのほうが俺には理解ができない。
「まあ、言ったらこの部屋は使わせてもらってるから、一応その分のつもりだけど。でも友達と会うのにパン買ってきたくらいで、いちいち貸し借りにする気はないよ」
だから俺は言った。
その言葉に、
「あ」
と水瀬が呟いて。
「――――!」
砂金は何も言葉を発さず、ただとても嬉しそうに顔を輝かせた。
そして言う。
「カゲくんって、わたしと友達のつもりだったんだ!?」
「――――――――――――――――」
ち……致命傷! キッツ! 大ダメージ!
そ、そんなつもりなかったんだ?
そっか……それ結構ショックかもです、俺!
無垢すぎる感想が俺の心臓を抉っていた。
思わず血を吐きそうだ。
何も言えずに俺は絶句してしまう。
その目の前で、砂金はすっと立ち上がると。
「えへへ。わたし、男の子の友達ができるのって初めて!」
「え、」
「そっかそっか! カゲくんは、わたしと友達になってくれるんだ……!」
言うなり砂金は一気にこちらへ距離を詰めてきた。
その無垢な表情と、無防備な身体が、ほとんど目の鼻の先まで詰め寄ってくる。
「い、砂金?」
身を引きながら俺は言う。
どうやら、友達になるのを断られたわけではないらしいが、――しかし。
この言い知れない不安感はいったいなんなのだろう。
なんだかついて行けてない俺の目の前で、ふと砂金は右手の小指だけを立てると、俺の前に差し出して笑顔で言った。
「はいっ。カゲくんも、指出して?」
「こ、こうか……?」
俺は言われるがままに右手の小指を前に出す。
砂金は俺の指を、自分の指で絡め取ると、そのまま目を細めて。
「じゃあ約束ね! わたしたちは友達だよっ!」
「や、約束? なんの?」
「ずっとなかよしでいる約束! ふへへ、わたしずっと男子の友達が欲しかったんだあ」
「え? あ、お、おう……」
「うん! だから絶対に裏切っちゃダメだからね!」
「…………」
「もし裏切ったら許さないから!」
「……………………」
「ゆーびつーめたっ!」
指切りのテンションで、微妙にニュアンスが違うことを砂金は言う。
切れ。詰めるな。
いや言葉の意味的には似たようなものだが。
「よっし、これで友達だね!」
「お、おう……」
にこにこ笑顔でご満悦状態の砂金は、続けて言う。
「これからはたくさん遊びに来てね!」
「それは、まあ……、うん」
「わあ、楽しみだなあ、何しよっか!? とりあえず来月の一か月記念日は今から空けておくからね! ふふふふ、何しようかなあ。ねえ、カゲくんは何したい? あ、ていうかカゲくんってお誕生日はいつ!? 前もって準備しなきゃだし先に教えておいてほし――」
「――ゴメンちょっとストップ」
「わかったっ!」
なんだろう。
なんだこれ。
何かを――わからないが、とにかく何かを致命的に間違ったような妙な空気を、俺は強く感じ取っていた。
何、この……何?
とりあえず怖い。
俺は半ば助けを求めるような感覚で、傍にいる水瀬のほうへ視線を向けた。
ちょうど水瀬も俺を見ていて、お互いの視線が宙でぶつかる。
その瞬間、水瀬は合掌するように両手を静かに合わせて。
「……景行さん。パン、ご馳走様でした」
「あ、……うん」
「それから、――ご愁傷さまでした」
「それどういう意味で言ってる!?」
その問いに水瀬が答えることはなかった。
代わりに、まだ俺の指を捕らえたままの状態で砂金が言う。
「ねえカゲくん、今日はヒマ? 放課後はいっしょに遊びに行こうよ! あっ、ていうかわたし、カゲくんの家に行ってみたいな! えへへへ、お土産買っていかないとぉ」
「ちょちょちょ待って? ねえ、距離の詰め方エグくない?」
「――、ダメなの?」
砂金は一瞬で真顔になった。
……えっ、こわっ……。
怖い。
何これ。怖すぎる。あまりにも断りづらい。
俺は感じていた。
自分の中に眠っていた本能が、逃げろと警鐘を鳴らしていることに。
だが俺の小指は今も絡め取られている。
逃げたら詰められるので詰みですコレ。
おかしいよな。
指切りも指詰めも言ってること実際同じなのに。印象値が違うもん。
にっちもさっちも行かなくなったところで、助け船はようやく現れた。
「景行さんって電車通学?」
と、静かに水瀬が言ったのだ。
「あ、ああ……そうだけど」
俺は頷く。
その瞬間、砂金がショックを受けたように叫んだ。
「そうなんだ!? じゃあダメだね、電車は無理だあ……人混みに行ったら死んじゃう」
めそめそと悲しそうに砂金は肩を落として言った。
俺は水瀬に視線を向ける。
水瀬はやはり無表情だったが、無表情のままでぐっと親指を立てて見せた。
――天使か?
ありがとう水瀬。
よくわからないが、きっと俺は今、命を救われたのだと思う。
「うぅ……じゃあじゃあせめて、連絡先だけでも交換しよ?」
めそめそ肩を落としながら、スマホを取り出して砂金を言った。
なんだかもうそれすら断りたくなってくるが、小さな両手でスマホを抱え、泣きそうな顔でこちらを上目遣いに見つめてくる砂金に「ダメ」と告げる勇気は俺では持てない。
「わ、わかった……いいよ」
「えへへ、やったっ。ありがとカゲくんっ!」
顔をキラキラと輝かせる砂金。めちゃくちゃ嬉しそうなことだけが救いだった。
俺は横にいる水瀬にも視線を向けて、半ば助けを求めるように。
「水瀬も教えてもらっていい?」
「いいよ」
「ありがとう……ッ!」
「なんだか景行さんとは長い付き合いになりそうだし」
かもしれない。
俺ひとりでは、砂金に対処できる気がしない。
――かくして俺は、生徒会からの指令にあった三人のうち二名の連絡先を入手した。
それを成果や進捗と言い張るには、あまりにも流れが想定外だったが。
「やったあ! ふへへ、見て見てカゲくん!」
トークアプリの《友達》欄に表示された俺の名前を、砂金はわざわざ見せてくる。
これを見て、どうしてだろう。
まるで心臓を掴まれたみたいな気分になっている俺に、彼女はあくまで嬉しそうに。
「えへへぇ。これでいつでもお話しできるねっ」
「……男の友達、本当に俺しかいないのか?」
正直そんなタイプに見えない、というかむしろ正反対にすら見えるのだが。
そう思って訊ねた俺に、砂金は満面の笑みで頷いた。
「いないよ! ――友達は! あっ、今は友達以外もいないけど!」
「どういうこと?」
「ほかに知ってた男の子の連絡先は全部消したから! 今!」
「――――――――」
今ってどういう意味だっけ。
なうって意味だっけ。
「まあずっと消そうと思ってたんだけどね。あんまり使わないから忘れてて。もともとは二文の連絡用にって交換したんだけど、みんな辞めちゃったし」
二文、とはつまり第二文芸部の略なのだろう。
「辞めた連中は……友達じゃないってことなのか?」
「うーん、誰もわたしとは友達にはなりたくなかったみたいだから。悲しいけどね。男の子が相手だと、なんかすぐヘンな感じになっちゃうから、友達はカゲくんが初めてっ」
「…………ちなみに訊くけど、彼氏とかは?」
「うえっ!? なんでそんな酷いこと訊くかなあ!? でもいいよ、教えてあげるね」
言って砂金は、指をひとつずつ折り始めた。
「うーんと……三、四……五人? くらいいたっけ、今まで」
「…………」
「でも今まで全部向こうからフラれちゃった! わたしって人気ないから、あははー! はぁ、なんかやっぱり落ち込んできた……。どうしていつもみんな、ほかに女を……」
さっきまでの笑顔が、一瞬で泣きそうな顔に変わる砂金。
情緒が不安定というかいっそもう躁鬱というか、とにかく乱高下が激しい。
ただ俺はこのとき、さきほどの水瀬の言葉を思い出していた。
――イサが入ったから。
――だからほかの部員は全員辞めた。
言われたときは、どういう意味かわからなかったあの言葉も、今なら察しはつく。
つまるところ――砂金奈津希という女は。
たぶん、やばい。
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