1-13『水瀬懐姫は暴露する』
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その後、午前中の授業の間は平和な時間が続いた。
まあ波乱に満ちているほうがおかしいが、入学から今日まで割と激動の日々を過ごしてきた実感があるため、少なくとも今すぐやることがないという意味では貴重な平穏だ。
たとえるなら、台風の目にでも入ったみたいな感覚か。
言い換えれば今後は忙しくなる予兆であり、今やることがないのは単に何も思いついていないからに過ぎないわけだが。
――いや本当、これからどうしたものだろう?
「昼休みかー……」
四限の授業が終わってから五分ほど、俺は席に座ったまま漫然と教室を眺めていた。
そういえば、昼休みにこうして教室に居残るのは久し振りだ。
大抵は仕事をしていたり、でなければ仕事を探したりと、基本的に外へ出かけている。
ということで、いっしょに昼を食べるような友人も特にいない俺が完成していた。
……いや別に浮いてはいないと思うんだけど。
たとえば
ただまあクラスメイト視点だと、基本的に俺はお昼にいない存在として認知されているというか。
忙しそうにしているから気を遣われている的な、そういう感じなのだと思う。
――それもそれで悲しくないか?
という感じで、振り返ってみると俺はむしろ、クラスメイトよりもクラスの外に知人の輪が偏っている気がする。
ちょっと教室での立ち振る舞いを考え直しておくべきか。
普段は樹宮がいるからなんとかなっていただけで、彼女がいないとお昼ご飯に誘われることすらないのだから割と問題だ。
あれ、やっぱ俺って浮いてる……?
「……よし」
まあ、そのお陰でひとつ思いついた案があるのだから、今日のところはいいとする。
いつも通り教室を出て、俺は目的地を第二部室棟と定めて歩き出す。
ただし今日は途中で寄り道をした。
と言っても、購買に寄ってお昼ご飯を買うだけだ。食堂のメニューがそんなに安くない一方、購買部は非常にリーズナブルでお財布に優しい。
ひとつ百円の総菜パンやサンドイッチを、少し多めに買い込んでから校舎を出た。
そしてその足で、相変わらず無駄に遠い第二部室棟へと向かう。
「不知火は……いなさそうか」
一応、ついでなので寄宿小屋を確認してみたが、誰かがいる様子はなかった。
まあ構わない。今日のところは、目的は砂金と水瀬のほうだ。
部室棟に入って、第二文芸部の前へ。
ここまで来て初めて、同じ学年なんだから本校舎を出る前に教室を確認してから来ればよかったと思い至ったが、これは今さら遅すぎる。
当初の予定通り部室に来ていることに賭ける形で、俺は扉をノックした。
数秒待つと、中から部室の扉が開かれる。
「よう。約束通り遊びに来たぜ」
そう言った俺に、ターゲットのうちのひとり――水瀬
「いらっしゃい、景行さん。だいぶここが気に入ってくれたみたいだね」
「そういう水瀬は、いつも昼はこの部室にいるのか?」
「そういうわけじゃないけど。ただ」
「うん?」
「――もしかしたら、景行さんが来るかもと思って」
嬉しそうでも嫌そうでもない、いつも通りの無表情にも慣れてきた俺は。
実はこれでも、彼女なりに歓迎してくれているのではないかと思い込み始めていた。
なんであれ親しくなりたいのだから、都合よく考えておくが吉だ。
「お昼まだだよな? いっしょに食べようと思ったんだけど」
俺が言うと、水瀬はほんのわずかに小首を傾げる。
「私と?」
「まあ、砂金がいないなら」
「気が向いたら来るかもしれないけど、今は私だけだよ」
「じゃあ、ふたりで食べようぜ。購買のパンでよかったらお裾分けするよ」
果たして俺の言葉を、水瀬はどう捉えたのか。
表情から読み取るのは難しかったが、少なくとも拒否はされなかったようだ。
「どうぞ」
と告げる水瀬に誘われて、三度目になる第二文芸部室にお邪魔する。
これでどちらも第二文芸部員ではないのだから、どうなんだろうという気もするけど。
椅子のひとつを借りて腰を下ろし、テーブルの上に購買のビニール袋を置いた。
「こんなに食べるんだ?」
買い込んだパンの量を見て、少し驚いたように水瀬が言った。
――観察していると、徐々にわかってくる。
水瀬は表情の変化がかなり少ないが、その中でも眉や目元は、何かあればわずかに動きがある。口元よりそちらを見たほうがいい。
「いや、さすがに多めに買ってきた」
「私がいなかったらどうしたの……?」
「まあ、賞味期限が切れるまでには消費できる量だよ。水瀬は昼は?」
見たところ何かを食べている様子はない。
もう食べ終わったとするなら、だいぶ早かったように思うが。
「まだ食べてない」
「昼は抜くつもりだったりするか?」
「ん……いや、これならあるけど」
言って水瀬が取り出したのはinゼリーだった。
まあ割とイメージ通りではあるか。
昨日の昼に来たときも、ランチパックを咥えていた砂金と違って、水瀬には食べている様子がなかったことには気づいていた。
同じ部屋にいて、片方が食事をしていたのにだ。
だいぶ燃費のいい奴らしい。
かなり細身だから、まさかダイエットでもないだろう。
「食べないってわけじゃないなら好きなヤツ持ってってくれ」
「……じゃあ、ひとつ貰うね。……ありがとう」
水瀬がフルーツサンドを手に取ったのを見てから、俺はからあげパンを取る。
「ペットボトルも持ってっていいよ」
「なんでそこまで……?」
「いやまあ、手土産くらいは必要かなと思って」
「賄賂?」
「そう、袖の下。こちら、お納めいたしますので、何卒」
「……うむ。では、よきに計らいたまえ」
割とノリのいい水瀬であった。
ペットボトルの紅茶も贈賄しつつ、俺は緑茶を選択して。
「いただきます」
「いただきます」
と、揃って手を合わせてから食事を開始する。
しばらくの間は、パンを消費することのほうに時間を使った。
買ってきたパンをまずはふたつほど消費しながら、両手ではむはむと仔リスみたいに食べる水瀬を眺める。
「……どうかしたの?」
と、まじまじと見過ぎだったのか、水瀬に問われた。
三個目に手を伸ばしながら、俺は雑談がてら彼女に訊ねる。
「いや。水瀬は第二文芸部員じゃないんだよな」
「そうだけど」
「知った上で来といてなんだけど、いいのか? ここ自由に使っちゃって」
「はむ」
答える代わりに、水瀬はフルーツサンドをひと口、頬張る。
こくこくと頷きながらそれを咀嚼し、飲み込んでから彼女は言った。
「そんなことイサは気にしないから」
「いや、まあ砂金は確かにそんな感じだけど……ほかの部員だっているだろ?」
「……あれ、昨日言ったけど。第二文芸部員はイサだけだよ」
「え……あれ? そんなこと言われたか?」
覚えがない気がして俺は首を傾げたが、視線の先では水瀬も不思議そうにしている。
昨日は……ああ、そうか。
俺は遅れながら水瀬が言っていた言葉を思い出す。
『第二文芸部員はイサだけだよ』
確かに水瀬は、そう口にしていた。
俺は話の流れから、てっきり(水瀬は違うから)砂金だけだ、という意味だと認識していたのだが、アレは(第二文芸部に所属する生徒が)砂金だけという意味だったのか。
「すまん、言葉の認識を間違ってたみたいだ。第二文芸部って砂金しかいないんだな」
「そう。部員ひとりだけの部活。今この部屋を使ってるのはイサと私だけ」
「そうだったのか……じゃあ上級生はみんな卒業したってことか」
それでも部活って成立するもんなんだな。
なんて納得しかけた俺に、けれど水瀬は首を横に振った。
「それは違う」
「え?」
「春までは第二文芸部にももっと人がいたよ。ただ今はいないってだけ」
「……、それはどういう……?」
「イサが入ったから」
淡々と。特に感慨もなく。
ニュース原稿を読み上げるような音程で水瀬は言う。
「だからほかの部員は全員辞めた」
「…………」
「第二文芸部に部員がひとりしかいないのは、それが理由。だから私もここを使ってる」
言葉が、咄嗟には出てこなかった。
何を言えばいいのだろう。
まるで予想していなかった言葉を突きつけられている。
絶句してしまった俺の目の前で、水瀬はフルーツサンドの最後のひと口を食べていた。
やはりこくこくと首を動かしながら食べきり、れろ、と妖艶に指を舐める。
そして言った。
「景行さんが知らないのは仕方ないけれど、ひとつ訊いてもいい?」
「――――――――」
いいよ。
という、当たり前の返答が咄嗟にはできなかった。
それを自覚したあとで、俺はなんとか頷くことで答えを返す。
水瀬はそんなこちらをまっすぐ見ながら、小さな口を動かして――言った。
「景行さんの理想のバストサイズってどのくらいだろう?」
「あれ? ごめん、ちょっと何か聞き間違ったかもしれないから、もう一回頼める?」
「景行さんがいちばん興奮できるおっぱいの性癖を教えて」
「訊き方が変わってるだろうがよ」
「聞こえてたんじゃん」
「聞こえなかったことにしたかったんだよ……!」
なんだそれ。なんでそんなことを訊かれてるの俺?
もうちょっとなんか、シリアスな話が始まるのかと思ってたんだけど?
「え、ごめん……これなんの話?」
「大事な話」
「大惨事な話じゃなく?」
「三次元の話」
「そう……」
「もちろん景行さんが二次元にしか興奮しないタイプなら話は変わってくるけど」
「俺を勝手に特殊性癖みたいに言わないでほしい……」
「やっぱり大きいほうが好き? 小さいのに興奮するのは一般性癖だと思う?」
「この話続くの? 食事中なんですけど一応」
「ある意味、食事の話だから大丈夫」
「大丈夫じゃねえだろ、その認識は」
「どう?」
どう話を逸らそうとしても誤魔化されてはくれないらしい。
あくまで水瀬は、まっすぐにこちらを見据えている。
この顔で見られると、本当に真面目な話なのかもしれないと思えてくるのが不思議だ。
「どうって……別に普通だと思うけど」
「普通って?」
「いや、だから普通だって。特に偏った好みはない」
「大きいほうが好きということ?」
「いやその」
「イサは」
と、一瞬の間を空けて。
水瀬は言った。
「すごく大きい」
「…………」
「この学校の一年生では、少なくともいちばん」
……そうなんだ。
へえ、そうなんだ……ふぅん。
いやその情報を求めた覚えは別にないんですけどね?
ただ確かに俺も昨日、砂金を背負ったときに「こいつ想像よりも……!」と思わなくもなかったことは認めざるを得ないところなのではありますが、――じゃなくて。
「気持ちよかった?」
「そんなことを真正面から訊かないでくれませんか……」
なんだか非常にいたたまれない気分だ。
まさか砂金だって、こんなところで友人に胸の大きさを暴露されているとは思うまい。
俺にはもう言葉もなかったが、水瀬は未だに(一見)真剣な様子を崩さない。
だとすればこれは、ともすればアレか。
「もしかして俺、砂金の胸に釣られてここに来てると思われてる?」
水瀬は表情を変えずに、首だけを横に傾げて。
「違うの?」
「違う。そんなものに俺は釣られない――とは言わないがそれ目的では来てない」
「じゃあ私? 小さいほうが好みだったり?」
小さいというほど水瀬が小さいとは思わないけど、いやそれはともかく。
「胸のサイズで他人を判断してない」
「童貞?」
「俺そこまで詰められなきゃいけないようなこと言ってますぅ!?」
確かに彼女なんてできた試しはありませんけれどね!
いっしょに昼を食べる友達すらいません!
なんか悲しくなってきちゃった!
「別に、そんな深い考えがあって来てるわけじゃない。俺はこの学校じゃ新入りだから、せっかく知り合った相手とは仲を深めたいと思ってるだけだ」
それとは別に、生徒会からの依頼の件もあるが。
それがなくても同じだ。
知り合った相手の性別も外見も、俺は気にしていない。
「……そっか」
しばらくあってから水瀬は小さく呟いた。
俺の言葉を、果たしてどう受け取ったのかはわからなかったが。
「なら、まあ……いいかな」
「……よくわからないが、お眼鏡に適ったってことでいいのか?」
「ううん。別に私は、景行さんが思春期の性欲に溺れていても気にしない」
「だとしたら気にしてほしいけど」
「むしろ親近感がある」
「だとしたら俺が気にするけど!」
「ただ、それだとむしろイサのほうが――」
部室の扉が、勢いよく開かれたのはその瞬間だった。
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