1-09『樹宮名月の頼みごと』

 これで午後の授業の活力を補おうと、樹宮きみやとふたりで食べる場所を探す。


 できれば人目を避けておきたいイベントだ。

 こういうときは無駄に広い敷地がプラスに働いてくれる。

 今日みたいに天気さえよかったら、座る場所はいくらでも見つけられた。


 敷地の片隅の木陰のベンチで、樹宮の手作り弁当を頂くことにする。

 すぐ傍らに掃除機を置くことになったのがちょっと雰囲気的にアレだが、それは無視で。


「どうぞ、召し上がってください」

「いただきます」


 手渡された包みを開いて中を確認する。

 ちなみに弁当はひとり分だった。


「……一応の確認で訊くけど、これ自分の分を俺にくれたりしてる?」

「違いますよ。ちゃんとそうさんのために作った分です。まあ、自分の分を用意していないことは認めますけれど。私は、もう学食で頂いてきましたので」

「なら前もって言ってくれれば……俺が昼を食べてたらどうするつもりだったんだ?」


 樹宮はにっこりと微笑んで言った。


「食べてましたっけ?」

「……降参です」


 素直に弁当に向き合うことを俺は決めた。


 意外、かどうかはともかく、中身自体はよくあるお弁当らしいメニューだ。

 メインにはガッツリからあげやハンバーグなどの肉類が並んでいて、その脇を和え物や煮物が埋めることで、見た目的にも栄養的にもバランスがいい。

 何から食べようか迷いながら、とりあえずいちばん目につくハンバーグを口に運ぶ。


「ん、お……美味っ」

「……それならよかったです。これでも少しは不安だったのですが」


 手を合わせて微笑む樹宮に俺は訊ねた。


「これ、冷凍食品じゃないよな? 朝から作るの大変だったんじゃ……」

「手作りって言ったじゃないですか。ちゃんと食材を買うところからやってますよ」


 冷凍食品でも手作りに含めていいとは思うが、まあそういう話じゃないか。

 どうしよう、やっぱり不安になってきた。

 めっちゃ美味いが美味いだけに怖さもある。


 お嬢様って普通のスーパーで買い物とかするのかな……?


 この弁当、もしかしたら驚きの高級食材とかが使われているのかもしれない。

 違いがわかる舌も、褒め称える語彙力も足りていないこちらの口が、もはや申し訳なくなるくらいの出来をしていた。

 黙々と食べていると、隣に座った樹宮は肩を揺らして。


「ふふふふっ。本当に気に入っていただけたようで嬉しいですねっ」

「ん?」

「いえ。想さん、食べ物だと意外と顔に出るみたいですから。男の子だからですかね?」


 ……ああ、それでずっとこっちを見てたわけね……。

 なんか恥ずかしいな。


 満面の笑みを浮かべる樹宮に、まじまじ顔を見られながら食べるのは落ち着かなかったけれど、貰った弁当の代金だと思えば安すぎるくらいだろう。役得と言っていい。

 空腹だったことを差し引いても、箸を進める手が止まらなかった。


「女の子にお弁当を作ってもらったのは、そういや生まれて初めてだ。本当ありがとな」

「わお。想さんの初めて、頂戴しちゃいましたね。がんばってよかったです」

「……降参だから、もうからかわないでもらっていい?」

「そんなつもりじゃなかったんですけど、照れてる想さんも珍しいもので。すみません」


 などと話しているうちに、気づけば全部食べ終わっていた。

 そう量が多いわけでもなかったが、俺は割と燃費がいいので問題ない。


「ご馳走様。めちゃくちゃ美味しかったです。箸と弁当箱は洗って返せばいいかな?」


 手を合わせて頭を下げ、樹宮に弁当のお礼を言う。


「お粗末様でした。箱はそのまま返していただいて大丈夫ですよ。それよりも、掃除機を返しに行かないとお昼が終わってしまいますし」

「そうか……? 悪かったな、いろいろと気を遣わせちゃって。今後は気をつけるよ」

「別に、また作ってきてもいいんですよ?」

「そこまでされたら二度と頭が上がんなくなるな……」

「別に、ずっと下げててもいいんですよ?」

「――樹宮さん?」

「冗談ですっ♪」


 いつも態度やテンションが変わらないから、彼女に言われると本気に聞こえて怖い。


 なにせ名家の御令嬢なわけだし、あながち冗談でもないからな……。


 なんとなくイメージされた恐ろしい未来予想図は、頭を振って忘れることに。

 わざわざ弁当を作ってくれたことに対しての、恩返しだけ考えよう。


「貰う一方じゃ申し訳ないし、今度何かで埋め合わせしたいんだけど」


 何かしてほしいことはないかと口火を切った俺に、やはり笑顔のままで樹宮は言った。


「そうですか。ではひとつ、お願いしたいことがあるのですが」


 ――おや?


 と。

 もし俺が勘のいい人間だったら、この時点で違和感に気づくことができたのか。

 わからないけれど、とにかくこのときの俺は何も疑問には思わなかった。


「想さん、今日の放課後は空いていますか? 三十分もあれば大丈夫だと思うのですが」

「それくらいなら。まだ特に何も頼まれてないから大丈夫だけど……三十分?」


 もしかして仕事の依頼だろうか。

 一瞬だけそう思ったが、考えてみればたぶん違う。


 多くの運動部で活躍する樹宮だが、どこか特定の部に所属しているわけじゃない。

 そんな彼女が、俺に恩を売った分を仕事の形で取り立てるのは奇妙な話だ。

 首を傾げる俺に、樹宮は笑顔のままで言った。


「実はこの学校の生徒会長から、想さんを紹介してほしいと頼まれてしまいまして」

「生徒会長が、俺に……?」


 少し嫌な予感がした。

 まあ学校における呼び出しなんて多くの場合で嬉しくはないが。


 にしたって、教師ではなく生徒会長からというのも不思議な話だ。

 ああいや、教師なら樹宮を経由しないで直接呼び出せばいいだけだから、そういう意味では納得だけど。


 ――俺の《仕事》が問題になった、ということなのだろうか。


 別にバイトが禁止されているわけじゃないから問題はないはずだ――と樹宮とは話していたのだが、目をつけられてしまったのか。

 それくらいしか理由が浮かばなかった。


「あ、いえいえ。別にお説教というわけではないと思います」


 不審に思う感情が顔に出ていたのか、少し慌てて樹宮は手を振る。


「そうなの?」

「生徒会が生徒ひとりを個別に呼び出して注意をする、なんてありませんよ」

「まあ、それをやるなら普通は教師か……」

「すみません、詳しい話の内容は私も聞かされていないんです。ただ、私と想さんが同じクラスだとは会長も知っていますから、親しいようなら話をつけてほしい――と」

「そっか……まあ、それくらいだったら別にいいよ」


 俺はそう言って頷く。断る理由は特にない。

 それに入学前の学校案内のときは、生徒会の副会長にしか会えなかった。

 これを機に生徒会長と繋がりが持てるならむしろ嬉しいくらいだ。

 この学校に入学した時点で、なるべく広く人脈を持っておくことは目的に入っている。


 と、そう俺は考えたのだが、樹宮のほうはなぜか意図して作っているような無表情で。


「よろしいんですね?」

「え……お、おう。いいけど……」


 ここまで話してようやく俺は、少し不安になってきた。

 なんだろう。

 何か話の流れに妙な違和感がある。


 そもそも考えてみればおかしな展開だ。

 生徒会長に俺を紹介するくらい、樹宮は普通に言い出せばよかった。なんの前置きもなく頼まれたところで、俺は断らなかっただろう。

 それくらいの恩が彼女にはある。

 というか、恩がなくたって無下にする話じゃない。


 にもかかわらず樹宮は、わざわざ手作りの弁当まで準備してから切り出した。

 もちろん弁当は別に用意していただけで、話とは無関係だったのかもしれないが、そう捉えるには少しタイミングが合いすぎだ。

 初めから交換条件のつもりだった、と見做すべきだろう。


 ――答えを間違ったのかもしれない。

 今になってそんな悪寒がする。

 樹宮きみや名月なつきという少女が、決して油断していい人間ではないということなら――初対面のときから理解できていたはずだったのに。


 けれど今さら手遅れだ。

 すでに俺は念押しの確認にも肯定の返事をしてしまっている。


「では本日の放課後、十六時半に生徒会室までお願いします」


 そう樹宮は時間を告げた。俺は予感を振り払い、彼女の言葉に頷きを返す。

 暗い想像ばかりしていても仕方がない。

 どうも俺は、警戒心ばかり強く抱きがちだ。

 今や俺もこの学校の生徒なのだから。

 無用な疑いを向けても仕方がない。


 生徒会長とコネクションができるのだから、むしろ歓迎すべきだろう。

 やはり俺ひとりではどうしても上級生と接点を作りづらいから、渡りに船と言ってもいいくらい。


「――――――――」


 だというのに。

 どうしても嫌な予感が拭えないのは、いったいなぜなのだろうか。

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