1-06『砂金奈津希は疲れちゃって動けない』

 ――以上が今朝の顛末だ。

 昼食も取らず、一直線に外へ向かったのはそれが理由だった。


 今朝も辿った第二部室棟への道を進む。

 今朝とは違ってそこかしこに昼休みを楽しむ生徒の姿が見られた。


 ときどきちらちらとこちらを見るような視線が向けられてくるが、これはそこまで気にならない。

 いかに征心館広しと言えど、さすがに片手に掃除機を持って歩く生徒など俺くらいしかいないからだ。

 何度か二度見されたが、気持ちはわかる。

 逆の立場なら俺だって見る。


 そんな感じで第二部室棟の前に辿り着いた。

 例の寄宿小屋を覗いてみようかと少しだけ迷ったが、その意味も時間も持っていない。

 だから迷わず部室棟に入ったところで――声は、すぐ横合いから響いてきた。


「きゃっ!?」


 体を揺さぶるわずかな衝撃。少し高い声で響く悲鳴。

 すぐ脇の階段を飛び降りてきた誰かが、避け切れず俺にぶつかってしまったらしい。


「う、ぉ……?」


 幸い大した勢いもなく、ほとんど痛みも感じない程度だった。


「っと……、大丈夫か?」


 ぶつかってきた誰か――肩ほどの黒髪の中に、派手な桃色が混じった女子に目を向ける。


 彼女のほうは、どうやら衝突の反動で尻餅をついたらしい。

 ぽとり、と何かが倒れている少女の、お腹の辺りに落ちるのが見えた。


 ランチパックだった。


「…………」


 状況を見るに、どうやらランチパックを咥えた少女とぶつかったということらしい。


 そこは朝に食パンで転入生じゃないのかよ、とツッコみたくなる状況だが、昼にランチパックで、新入生はこちらである。

 なかなか外してくるじゃないか。


「…………」


 尻餅をついた少女は、自分のお腹の上に乗っかったランチパックを見て無言のままだ。

 身動ぎひとつしない様子が心配になってきて、俺は再び声をかけてみる。


「……おい、大丈夫か?」


 その瞬間、きっ――と睨むような視線がこちらに刺さった。


「……、……!」


 だが何を言うでもない。彼女はただ睨んでくるだけ。

 細く鋭く、けれど意思の強さを感じさせる力のある双眸だった。


 が――その眼に、じわりと涙が滲んでいく。


「お、おい! どこか痛めたのか……?」


 さすがに泣かれると弱る。尻餅をついた以外、どこかをぶつけた様子はなかったのだが。

 安易に助け起こすのも憚られて、その場で立ち往生するしかない。


 そんな俺の耳に、ここでようやく――小さくか細い、震えた声が届けられた。


「……化けて出てやる」

「まだ死んでないよ!?」


 怖い怖い怖い。なんで尻を打っただけで死後の想定が返ってくるんだ。

 もはや慄然とする俺の目の前(むしろ下)には、潤んだ瞳で訴えかけてくる謎の少女。


「痛すぎる。死ぬかと思った……」

「わ、悪かったよ。そこまで強くぶつかったとは思ってなかったんだ」

「でもおしり打った」

「だから悪かったって!」

「私の丸いおしりが平面になっちゃう」

「そ、そんなこと言われても……」

「ランチパックのように」

「…………」

「ランチパックのように」

「二回言われても!」

「化けて出してやる」

「こっちをですか!?」


 どうしようめちゃくちゃ恨まれている。


 そうなの?

 どうだろう。

 わかんないかも。


 無駄に目まぐるしい会話が止まり、俺は言葉に詰まった。

 少女は未だに立ち上がらず、お腹に軟着陸したランチパックを再び咥える。

 そして、それをもしゃもしゃと(尻餅のままで)食べ始めた。


「…………」


 なんでこのタイミングで食事を再開するんだコイツ……。

 いやなんで?

 俺、これを見てないとダメなの? どういう状況コレ?


 呆然とする俺を見上げて、黒桃の少女はこくりと頷きながら。


「……ダメ。やっぱり食べてもおしりが回復しない」

「ああ、そういう回復アイテム的な発想で食べ始めたんだ……」

「よいしょ」


 せっかくツッコんだのに、彼女は俺をガン無視してふらふらと立ち上がろうとする。

 だがそれも束の間、すぐに脱力したように再びその場にへたり込んで。


「あ、まずいかも……今ので今日の可処分エネルギーが一気に消費されちゃったあ……」

「なんでだよ。回復するために食べたんじゃないのかよ」

「でも食事って結構、体力使うよね。野生の獣も狩りは命懸けだよ?」

「野生じゃ通用しないだろ、お前は……」

「あぅ。なぜこの人は、わたしをこんなに痛めつけてなお突っ込みを入れてくるのかー」


 見た目に反してやたら弱々しい奴だった。虚弱まである。


「はあ、あまりに運がないよ……。こんなに酷い目にばっかり遭うなんて……」

「そこまで酷い目に遭わせたつもりないんだよなあ……」

「だ、だってだって! ゲームは負けるし罰ゲームで買い出しに走らされるし、こんなの酷いと思わない!?」

「だとしたらその事情に、俺なんも関係ないけど」

「その挙句に、変な男にぶつかっておしり痛くなったんだから責任取ってよぉ!」


 あくまで俺のせいだと言いたいらしい。

 どっちかと言うと俺のほうが被害者だと思うが、まあ言っても意味ないか。


「うぅう……はあ、本当に最近いいコトない。どうしてだと思う?」

「ついに訊かれちゃったよ……いや、言うほど酷い目かな」

「だってこないだも君かわいいねって声かけてきた男には結局お金ばっかり貢がされたし最後にはメッセージ二行で捨てられちゃったしていうかずっと男を見る目がないし……」

「……………………」


 重っ。


「いっつもそう。最初はみんなかわいいねって言ってくれるんだよ? だから、わたしもがんばってかわいくしようとか、いっしょの時間を楽しく過ごせるように努力するのに、いつも気づくと捨てられちゃうんだよね。これってホントは魅力がないからかなあ……」

「わかった、ごめん! なんかごめんね!? 思ったより酷い目に遭ってたかもです!」

「なんだろ? わたしって結局ずっと死ぬまでひとりだったりするのかな? どう思う? 別にいいじゃんね、わたしだって女子高生だし、人並みに憧れくらいあったってね……」

「わかった、わかったって! 悪かったよ俺が! だからもう許してくれない!?」


 体力だけじゃなくてメンタルまで虚弱なのかよコイツ。勘弁してくれ。


 まあ確かに、外見だけなら相当の美少女だ。

 寄ってくる男も多そうな気はするし、その分だけ悪い男を引く確率も高いのかもしれない。

 でもそんなこと聞かされたって困る。


 いったいどうしたものか。

 どうにもできないまま見ていると、ふと彼女はこちらの顔を上目遣いに覗き込んで。


「はぁ……困ったなあ……。もう疲れちゃって、ぜんぜん動けなくってぇ……」

「オイ嘘だろコイツ」

「部室の椅子まで行きたいなァ」

「そんなこと要求してくる奴が妖精以外にいるとは思わなかったわ」

「大丈夫。わたし妖精並みにかわいいって評判だから」


 ――うっせえな、しばくぞ。


 と、言える勇気が俺にあったらよかったのだが、残念ながら持ち合わせはない。

 はあ……と盛大な溜息が零れた。

 その様子に不服そうな目を向けてくる少女に、仕方なしと俺は提案した。


「背負っていくのと、ここに置いていくの、二択ならどっちがいい?」

「……あれ、背負ってってくれるんだ?」


 意外そうに彼女は笑った。


「まあ責任を感じなくもないし。もし本気で言ってるんなら運んでもいいけど」

「あはは。まさかホントにやってくれるとは思ってなかったよ」

「ま、ちょっと友達がたくさん欲しい時期でさ。せっかくの機会は活かしたいとこなんだ」

「――――――――」


 その瞬間。彼女は無言になって、ぱちくりと目を瞬かせる。

 だが直後に薄く微笑むと、こちらに手を伸ばして彼女は言った。


「それ、いいね。にへへ――じゃあお願い」

「言っといてなんだが、本気だとは思ってなかったわ……」

「んじゃ、やめとく?」

「いや、やるよ。――ほら、背負ってってやるから乗ってくれ」


 俺はその場にしゃがみ込んで、背中を彼女のほうに向ける。

 しばらく待っていると、やがていそいそと背中に寄りかかってくる体重を感じる。


「で、どこまで運べばいいんだ?」

「第二文芸部第一部室」

「第……、何?」

「この学校、文芸部がふたつあるの。第一文芸部と第二文芸部」

「ああ……そういえば」


 初めて仕事を請けた部活が《第一文芸部》だったことを今さら思い出す。

 あまり気に留めていなかったが、考えてみれば、第一があるなら第二もあるわけだ。


「場所はどこだ?」

「二階のいちばん手前の部屋」

「了解。落ちないようにしっかり捕まっててくれよ」


 かくして俺は、見知らぬ少女を背負って階段を上がることになった。

 なんだか下のきょうだいが幼い頃を思い出す気分だ。


「……へへへ。なんかいいかもね、こういうの。自分で歩くより楽だし」


 軽い少女を背負ったまま階段を上ると、ふと耳元でそう囁かれる。


「特殊な感性してんな、お前……」

「えー、そうかなあ」

「そうじゃないか? 見ず知らずの男に背負われて平気なの、割と不思議だけど」

「わたし体力ないからさー。運ぶより運ばれたいんだ」

「運ばれるより運びたい奴いるんかな……」

「あっはは、どうだろ。ちなみにキミ、どっち派? 本当は背中に乗せて嬉しかったり?」


 ――どこか妙に甘い声音で、そんな問いが耳元に囁かれる。

 今さらになって、背中に女の子を担いでいる事実を強く意識させられた。


「……別に運ぶのが好きだから運んでるわけじゃないぞ」

「えー、そうなの? 残念」

「…………」

「でもわかる。わたしなんかもう、空気より重いモノは運びたくないまであるよね!」

「だとしたら箸すら持てないな……」

「わかってないね。箸が持てなければパンを食べればいいじゃない」

「どういう貴族? ていうか、まさかその理由でランチパックだったのか?」

「まあ、どっちにしろ手で持つことにはなるんだけど」

「そりゃそうだ」


 予想以上に軽い少女と、予想以上に軽い話をしながら上の階へ。

 さすがに、掃除用具は一階に置いたままにしてある。


「……一応訊くけど。わたし、重くないよね?」


 ふとそんなことを背中から訊ねられる。俺は少し笑いながら答えた。


「いや、大丈夫だよ。一応そういうの気にするんだな」

「うぇへへ、それならよかった。やー、わたしよく重い女って言われるからさー」

「それたぶん体重の話じゃないよね……?」

「さあ、どうだろ?」

「……まあ、体重はむしろ軽すぎるくらいじゃないか。これで最上階までって言われたら後悔したかもしれないけど」

「ふふ、そっかそっか。意外とそういう気も遣えるんだねー」

「別に持ち上げて言ってるわけじゃない。てか運んでやってる時点で気は遣ってるだろ」

「そうだね。持ち上げてるのは体のほうだもんね」

「まったくだよ。今どき妖精だって運んでもらった分の報酬はくれる。実とか」

「何言ってるんだか。報酬の実ならふたつあげてるじゃない」

「あ? それ、なんの話だ?」

「背中の感触の話」


 一瞬、歩く足が止まってしまった。

 すぐに再び歩き出したが、気づかれてしまっただろうか。

 彼女は言う。


「たわわに実ったものが、くっついてると思うんだけどー?」

「…………」

「女の子を背負ってるんだから、気づいてないわけじゃないでしょ? 結構、柔らかいと自負しておりますけれど、いかがなものかな?」

「…………」

「耳、赤くなってる。意外とウブなんだ、かわいっ」

「着いたぞ」


 話を誤魔化すように俺は告げた。

 こっちが考えないようにしていたことを平気で言ってきやがって、まったく。


「うい、お疲れー! ドアも開けてー?」


 あくまで自分では動かないスタイルの妖精に要請され、俺は《第二文芸部第一部室》と張り紙のされた扉を押し開いた。


 直後、雑然とした室内の光景と――そして座っているひとりの少女が目に入る。

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