1-05『景行想は営業をかける』

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 私立征心館せいしんかん学園高等部。

 他の都道府県と比べれば面積的には決して広くないはずの東京都、その限られた土地を贅沢に浪費した広大すぎる敷地が特徴の我が校は、基本的には中高一貫のエスカレーター式である。

 高校入学枠は非常に少なく、今年の一年では俺ひとりなのは前述の通り。


 さて、そんな征心館だが、他校と比べて珍しい特徴がふたつある。

 ひとつは、全校生徒の約三割が学力試験ではなく、一芸入試による受験だということ。

 なんらかの目立つ実績や経歴、あるいは特技が認められて入学している。

 聞くところによれば、芸術や音楽関係の受賞歴、または子役時代からの芸能活動などが《一芸》として多いらしい。

 珍しいところでは昆虫の研究や、ヨーヨーの技術で入学した者もいるとか。


 そんな感じで、まあ何かしら中学入試までに特筆すべき技能や経歴があれば、割と広く認められるという話だ。

 クラスには『三か国語を話せたから入れた』なんて奴もいた。


 ただ、この特徴は割と余談の類いに属している。

 少なくとも俺にとっては。


 試験で入ろうと一芸で入ろうと以降の扱いには違いがない。

 入学後は等しく定期試験に頭を悩ませる一般的な中高生の完成だ。

 高校から入学した俺にとっては、誰が試験入学で誰が一芸入学なのか、そもそも大半の奴がわからない。


 ゆえに個人的に大きいのは、この学校におけるもうひとつの大きな特色――。


 すなわち、生徒にことである。


 設備的には、おそらく国内の高校では最先端と言っていいだろう。

 何かしら《一芸》を伸ばすことに特化された教育方針も相まって、やろうとすれば様々な挑戦が可能なのが、征心館の大きな売りだ。

 この辺りが、おそらく学費の高さとセットになっている。


 景行かげゆき家だって、片親ながら決して貧乏ではないけれど、周囲の生徒は基本的にひと回りふた回り上の富裕層ばかりだ。

 バカ高い学費を払った上で、寄付金まで納めているような。

 一方、俺は学力試験で特待生を勝ち取って、学費免除の切符を手に入学している。

 元は母から勧められた進学先だが、特待でなければ征心館は選べなかった気がする。


 ――この学校は、そういう意味で《異世界》だった。






 午前の授業が終わって昼になったが、ひと息つく暇などない。

 昼休みに入った直後、俺は教室を飛び出すと、まず職員室に立ち寄った。それから用務置き場を経由して昇降口へ向かうと、そのまま革靴に履き替え校舎の外に出る。


 昼休みに靴を履き替える生徒は多い。

 この校舎にある学食は規模が小さいため、本校舎から出て別の建物にある学食を利用する者が大勢を占めるからだ。

 学食を利用せずコンビニや購買で昼食を買った生徒や、あるいは家から弁当を持参した生徒でも、外に出ることは多かった。

 すでに三年間、この学校で過ごしているから、各々お気に入りの昼食スポットのひとつくらいは抑えている――と、これは樹宮きみやに教わった。


 ただ俺の目的は食事ではない。

 もちろん《仕事ビジネス》である。






 話を請けたのは今朝、不知火しらぬいと別れて職員室まで戻ったときのことだ。

 借りた鍵を桧山ひやまに返して、不知火という生徒が利用していたことを俺は報告した。


「なるほど、それが確認できればいいでしょう。まったく時本ときもとくんは……」


 桧山は小さくぼやき、それから俺に礼を告げると、疲れた様子で首を振る。

 いったい何に納得したのかはわからないが、どうやら俺には関係のなさそうな話だ。

 かくして桧山からの頼みごとは終わりとなったが、話が続いたのは、その場に知らない上級生の女子生徒がひとり、なぜか同席していたからだ。


「さて。だそうですが、押見おしみさん。どうされますか?」

「えー? それ、私に訊くんですか?」


 報告を聞いた桧山は、その場にいた女子生徒――押見先輩にそう言った。


「ねえキミ、不知火ちゃんはどんな感じだった?」


 と、その押見先輩とやらは、なぜか俺に水を向けてくる。


「どんな感じ……ですか?」

「うん。あ、私は押見おしみあんずね。三年で演劇部の部長。こっちの桧山っちが顧問」

「一年の景行想です。で、こっちの桧山先生が担任です」

「あはは、知ってる知ってる。今年から入った子でしょ? いろいろ噂は聞いてるよ」


 快活に笑う先輩だった。

 髪の色も明るめに染まっていて、ひと目で印象強いタイプだ。


「ちなみに私も去年まで桧山っちが担任だったんだ。これはなかよくできそうだねー?」


 共通点を語る押見先輩に、俺も「そうだと嬉しいです」と笑顔で応じた。


 なるほど、初対面の相手とはこういうふうに打ち解けていくのもひとつの手か。

 樹宮などがわかりやすい例だが、目の前にいる相手の懐に入るのが上手い人は見ていてとても参考になる。

 俺は割と背が高いほうだから、ただでさえ威圧感を与えがちだし。

 その辺りは、せめて表情を和らげておくことでカバーしていた。


 なにせ中学の頃までは、他人と親しくなる方法なんて理屈で考えたことがない。

 それは考え始めると、どこまで徹底しても足りない底なし沼のような思考の坩堝だ。


「それで、不知火の話でしたっけ」


 確認すると、押見先輩は頷いて答える。


「そうそう。あれ、景行くんは不知火ちゃんと知り合い?」

「あー……どう、ですかね。知り合いじゃないわけではない、と思いますが…‥」


 直前まで余計なことを考えていたせいで返答が鈍った。

 幸い、言われた押見先輩のほうは、特に気にした素振りは見せない。


「そっかー。不知火ちゃん元気そうだった?」

「……そうですね。元気がなさそうではなかったと、言っていいような気はします」

「うぅん? なんだか、さっきから言い回しが微妙だね?」

「まあ、ちょっといろいろとありまして……」

「ふぅん……でも、なるほどねー……うん、わかった。それならいいのかな」


 自らを納得させるように先輩は言う。

 結局、話はそれだけだった。


「ありがと、景行くん。参考になったよ」


 と言った先輩にも、傍で黙っている桧山にも、どういうことなのか訊きづらい。

 流れからして、説明するべきだと考えていたら先に言っていただろう。

 何も説明しない時点で言う気がないことが察せられて、俺は掘り下げられなかった。


 まあ、見るからに変な奴だったもんな、不知火は……。

 何かしら事情があるんだろう。

 深くは考えることをせず、俺は先輩と並んで職員室を出る。


 ――押見先輩が、悪戯っぽい笑顔で話を振ってきたのはその直後だ。


「ところで、景行くん。聞いたんだけど」

「聞いたってのは……さっき言ってた俺の噂ですか?」

「そうだよー? ずいぶん面白いことやってるって話じゃん?」


 興味深そうに先輩は言う。

 おっと、これはセールスチャンスだろうか。


「いろんな部活の仕事を手伝ってるんだって? 友達から聞いたよ」

「できることだけですけどね。この学校の部活、マネージャーいないらしいんで」

「面白いトコに目をつけるよね。まあいちばん面白いのは、それで稼いでるトコだけど」


 ――その言葉通り、実は俺の《仕事ビジネス》は、初めは対象を部活動単位に設定していた。

 要はマネージャー代行というわけだが、これが意外にも征心館生の需要にクリティカルヒットしたのだ。

 中等部から征心館にいた、樹宮からでなければ出ない発想だった。


 まあ別に大した額じゃない。安ければジュース一本だし、金銭の代わりに食堂の食券を受け取ったりすることのほうがメインにはなっている。

 とはいえ仕事量と時間効率を考えれば、アルバイトより割はよかった。

 校則でバイトが禁止されていなかった、その法の網の隙間を突いた形である。


 ちなみに初めて請けた仕事は、《第一文芸部》という部活のホームページ制作だ。

 報酬もこれがいちばん高かった。

 その後は、基本的には運動部の雑用や買い出しなどといった普通のマネージャー的業務が多く、たまに大きめの仕事が入ったりする。


 初めから軌道に乗ったのは、これはもう完全に樹宮の顔の広さと信頼があってのもの。


 面倒な雑事はなるべくやりたくない。

 安く解決するなら対価を払うほうがいい。

 単純に面白そうだ。


 そんな風に考える生徒の数が多かったこと自体、征心館ならではの校風だと言えよう。

 その点に目をつけた、樹宮の視点が優れていたとも言える。


「なかなか評判いいみたいじゃん、執事くん?」


 押見先輩は、にやりと口角を歪めて言う。

 含みのある表情だった。


「樹宮の発案ですからね。顔を潰すわけにはいかないんで、俺も必死なんです」

「あっはは! まあ確かにね。ウチは結構いいトコの子が多いけど、さすがに名月ちゃんレベルはまずいないからね。樹宮グループの御令嬢なんて、いわば財界の頂点だし」


 そう。

 樹宮きみや名月なつきは、実はそういうレベルのお嬢様であるのだという。


 日本でトップクラスの、大金持ちの家の娘。

 そりゃどこかには実在するだろうが、実際にそこにいる――ということが想像しづらい肩書きだ。

 世界が違いすぎて、リアルなイメージを抱くことすら難しい。


 とはいえ樹宮自身は、別に経営に関わっているわけでもなければ、後継ぎだと決まっているわけでもないと聞いている。

 割と気楽ですよ、というのが本人の談だった。

 ぱっと見のスポーツ少女然とした印象も相まって、外から見る分には、本物のお嬢様であるということが実感しにくい。


 まあ、普段の丁寧な口調を取れば、こちらは確かにお嬢様な雰囲気があるが。


「というわけで。押見先輩も、何かあったらぜひご用命ください」


 営業スマイルを浮かべた俺に、押見先輩もまた笑みを深めて。


「またまたー、わかってるくせに。用がなかったらこんな話は切り出さないって」

「……何かお手伝いできることがあるんですか?」

「そうだね。評判もいいみたいだし、名月ちゃんの紹介だし、――ひとつ頼んでもいい?」

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