球児と球女 〜The hope of No.1〜

真洋 透水

運命との再開

第1話 運命との再開①

 扇の中央は、混沌に満ちていた。


爆音、汗、猛暑、そしてこのツーアウト満塁の大ピンチ。目の前で睨みを効かせる打者は城壁、マウンドを取り囲むランナー達はさながら敵の包囲網。


アルプススタンドから響き渡る大演奏は打者の背中を押し、投手の不安と緊張を煽る。今日1番の大歓声。最終回ツーアウト満塁の場面が齎す緊張感は、選手だけでなく観客達の呼吸すらも忘れさせる。



《ツーアウト満塁! 勝てば興治おきはる高校日本一の大一番!! 男女混合野球の頂点に向けて、抑えられるか更科さらしな!!》


 真夏の灼火は体を蒸し、込み上げる勝利への信念は気温以上の暑さを生み出す。


甲子園夢舞台に立つ体はこの瞬間の為、またこの瞬間の為に技を磨いて来た。


 ——その切符の行く先は、神のみぞ知る。


泥に舞うのは球児と球女。夢にまで見て、恋焦がれて、泣いて、汗に塗れて。


恥も外聞も要らない。あるのは勝負に懸ける矜持と想いだけ。


そして最後は、どこかで見守ってくれている勝利の女神に全てを託す。そんな矛盾に命を懸け、闘志を燃やす瞬間——。



《決まったーー!! 空振り三振!! 興治おきはる高校、日本高校男女混合野球大会の頂点に立ちましたーーっ!!》



 大歓声。ジェットコースターの下り坂のような迫力が、投手の体を宙に浮き上がらせた。


マウンドで人差し指を突き立て、皆と喜びを分かち合う。泥だらけになった男と女が入り乱れ、泣き、笑い、そして抱き合う。


 ただボールを投げ、打ち、走り、追う。人からすればただの球遊び。けれど人が本気になればなるほど、星の数程のドラマが生まれる。


そんな野球というスポーツの熱い魅力が、世界一暑い夏を創り上げるのだった——。


 




△▽



「……ん」


 夕焼けの混じり始めた日差し。靡くカーテンが、寝ぼける頭を優しく撫ぜた。


私はとても良い夢を見ていたような気がする。いや、そうに違いない。恋焦がれた甲子園のマウンドを夢に見たのは何度目だろう。


甲子園。全野球人の憧れ。この私・更科朝霞さらしなあさかは、その舞台に立つのが夢なのだ。


「ふぁ〜……」

「あ! 朝霞あさかちゃん!」

「あ、日々花ひびかだ」


 耳に開けたピアスが目を引く。野球のユニフォームに身を包み、茶髪をお団子に纏めた彼女は、とてとてと音を立てて私の席にやってきた。


「こんな所に居たんだ。今日は練習しないの?」

「練習……?」


 時計を確認する。その時、寝ぼけていた頭はは我に返った。


「やば、もう放課後じゃん!」

「そうだよ。来ないから心配した」

「ごめん! 昨日遅くまで野球見てて……すぐ着替えてくるから!」

「はーい」


 私、更科朝霞さらしなあさか興治おきはる高校、2年A組。


好きなものは、野球。


——そして夢は、甲子園のマウンドに立つこと。


「はっ、はっ、はっ……やっぱ日々花速いなぁ」

「長距離ランニングは得意だからね」


その為ならどんな厳しい練習にも耐えられる。


……耐えられる——のだが。



「……は、廃部!?」

「そうだ」


 翌日。穏やかな昼下がり、私の声は職員室に小さく響き渡る。怪訝な面持ちの先生方にも気付かず、「廃部」という言葉を反芻し続ける。


担任であり顧問の平山静音ひらやましずね先生は私の反応に溜息を吐きながら、肩周りの長い黒髪を背中側に払った。


「活動実績も結果も無い。おまけに人数不足で公式戦にも出られない。今朝の職員会議で検討も視野に入れると校長先生から話をされた」

「か、活動実績って……私達ちゃんと練習してますし、去年の夏は試合に出てますよ?」

「そうだ。だが校長先生は、君達の事もしっかりと見てくださっている」

「……?」

「人数不足を解消する努力は出来ていない、真面目に練習をしているのはお前達2人だけ。他のメンバーは理由を付けて帰るか部室でたむろするか……そんな部に予算を回したいと思うか?」

「ぬぐぐぐ……」

「それに更科、お前はキャプテンだろう。キャプテンとして、部員をしっかりと練習に向かわせろ。それが出来ていない以上、文句は言えないぞ」

「きゅうっ……」


 言い返しのしようも無い。全くその通りだ。現状、キャプテンとしての務めを果たせているとは言えないのは事実……。


しかし天はまだ見放してはいなかった。首根っこを掴まれた仔猫のようになった私に、平山先生は「だがな」と続け、


「同時に、校長先生はチャンスを与えてくださった」

「チャンス!?」

「……試合を組んでくださった。ウチの校庭を使わせて貰える事になっている」

「練習試合!!」

「もう、落ち着いて朝霞ちゃん。試合って言っても、私達人数足りませんよ?」

「それも含めて解決し結果を出せ。またとない機会だ、助っ人を借りるなどという醜態を晒してくれるなよ。そうなれば廃部は確実だ」

「それはいつですか!?」

「今週土曜日朝9時。遅れないように周知徹底、良いな」

「よぉし! やるぞお!」

「落ち着いてってば。それで、相手はどこですか?」

「ああ、相手はウチの硬式野球部だ」

「こ、硬式野球部……!?」

「ああ。厳密に言えばソフト部との合同チームという事になるが、主力を選抜するらしい。校長先生が直々に観戦し、廃部の是非を決めるとの事だ」

「……それ、試合になるんですか……?」

「それは君達次第だ。部を残したければ努力したまえ」

「は、はぁ……」

「——よぉーし! そうと決まれば何が何でもあと1人集めて勝つぞぉ!」

「その意気は良し。話は以上だ、授業に遅れないようにな」

「はい! ありがとうございました!」

「ああ、御苦労」

「……」


 と、廊下に出るや否や。日々花の溜息が小さくこだまする。


「何だよ日々花、溜息なんかして」

「朝霞ちゃん分かってる? 相手はウチの硬式野球部とソフト部の主力なんだよ? 私達以外ロクに練習してないのに、勝てるわけないよ……」

「強ければ強いほど燃える! 絶対勝つぞぉ!」

「はぁ……こういう時、打川君が居てくれたらなぁ」

投一とーいちか。確かにとーいちが居てくれたら百人力だなぁ」


 呼び起こされる記憶。小中学校時代の同級生で、私の少年野球時代の相棒は、昔から凄いやつだった。


中学時代。当時弱小だった部を全国に導いたその剛健明晰は、テレビ取材の依頼が舞い込むほどのもの。未来のプロ野球選手と呼ばれた彼は、スポーツ推薦で強豪私学へと進学した。


「もう2年生か。時間経つの早いな。あいつ何してるんだろ。もうレギュラーとか取ってんのかな」

「どうだろ……」

「まあ良いや。また会ったときに聞こう! よーし! そうと決まれば行動だぁ!」

「あ……もう。待ってよ朝霞ちゃん、私も手伝うから」


 あいつだって頑張ってる。私も負けてられない。あいつが甲子園に行くなら、私だって。


負けているわけには、いかないんだ。

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