サバトキングダム・零

なるみ

0章 邪神殺しの誕生秘話

第1話 転生したら捨てられました……

前世については何も思い出したくない。ただ一つ言えることは嫌なことばかりだった。だから今度こそ幸せになりたい。そう願って俺は転生することを選んだ。


温かい光に包まれて目が覚める。さて今度の親はどんな人だろうか? 俺を抱いているこの人はおそらく父親だろう。そして目前で息を切らしている女の人こそ母親に違いない。


どちらも美しい人だ。きっと今度の人生では俺も容姿に恵まれるだろう。人間見た目は重要だ。それだけで人生や価値観は大きく変わる。美しい人間はそれだけで愛されるし、醜い人間はそれだけで憎まれる。


「あぁなんと醜い子でしょう」


母の第一声はそれだった。俺の顔を覗き込んだ彼女はまるで汚物でも見るかのように顔をしかめた。


「そう落ち込まれるな瓊具羅須よ。失敗ならば海に流してしまえば良い。流してやり直すだけのこと」


そう吐き捨て、父親は俺を小さな船に乗せた。なんと無責任な親なのだろう。そのまま父は手を離し容赦なく俺は海に捨てられた。


「さらば穢れの子」


当然俺は彼らを憎み呪った。しかし水面に映る自らの姿を見た瞬間、そんな気持ちはすっかり失せてしまった。


その姿は怪物とか異形とかそんな言葉で表せない程に醜悪だった。干上がった皮膚が幾重にも重なり目も鼻も口もどこにあるのか分からない。手や足には骨がなく、皮膚はぶよぶよとたるみ、どこを動かすこともできない。


こんな仕打ちあんまりだ。俺はそんな思いを口に出すことさえ出来ず、第二の人生を終えるのであった。ゆらゆらと揺れながらただ餓死するのを待つか、あるいは波に飲まれ海の藻屑となるだけの人生である。運命を悟った俺は考えることを止めた。


どれぐらいの時間が経ったのか、いつの間にか船はどこかの陸地に漂着していた。幸運にも水死体になることだけは避けられたようだが状況はそれ程変わっていない。


今度は獣や虫に襲われるリスクが増えた。こんな体では何の抵抗も出来ないだろう。どうせ死ぬのなら痛いのは嫌だ、静かに海で果てる方がまだ良かった。


もう日が暮れる。見渡す限りどこにも助けてくれそうな人の姿はない。あるのは鬱蒼と生い茂った木々と水浸しでぬかるんだ泥、背中に広がる暗い海だけだ。


ぬらぬらと枝が揺れている。まだ発達していない赤子の嗅覚でさえ感じとれる獣の臭気。こちらに何かが近づいて来ている。


それが何であろうと俺にできることはない。まだ意識もはっきりしない赤子なら少しの恐怖もなく甘き死を迎えることができただろうに。神はあまりにも残酷だ。意識はクリアだ、死を前に感覚が鋭くなっている。


幾つもの足音が俺を囲むように近づいてくる。いつの間にか奴らは俺の目の前にいた。その生物は未知であった。


俺はいったいどれだけクソな世界に来てしまったのだろう。こんなにも冒涜的で奇怪な者がこの余に存在していいはずがない。


奴らは奴だった。無数の足と虫のような胴、真っ黒な顔を持った一匹の怪物、そいつは笑いながら俺のことを見下していた。しばらくの沈黙の後、真っ黒い顔が裂け、いやらしい口があらわになる。強烈な臭気が鼻をつき、粘りけのある体液が俺の体を絡めとる。規則正しく並んだ人型の歯から殺意の圧力が伝わってくる。


今から俺はどことも知らぬ世界の何やら分からぬ生物に食い殺される。それが運命、それが転生の代償。


絶望的な死の瞬間、それでも生きたいと願った。生前は神など信じず、祈ることもなかった。それでも俺は見苦しくも願った。生きたい生きたい生きたいと。


ほんの少しまだ陽の目は残っていた。その人はあまりに眩しく、あまりに美しかった。


長い黒髪は宇宙のようで、白い肌はまさに太陽。その力強い拳には銀色の長剣が握られていた。


白い光が獣を裂く。抗う暇さえ与えずに、もたらす結果はただ「死」のみ。化け物は黒い血を撒き散らしながら滅びゆく。


太陽のような彼女は慣れた手つきで剣の血を払い、異形のむくろを越えてこちらにやって来る。彼女は屈むと、なんの躊躇もなく俺に触れた。彼女が容赦なく殺した化け物以上に醜くい俺に救いの手を差し伸べてくれた。


「貴方はまだ善でも悪でもない」


「生きたいと望むなら私は貴方を育てよう」


「死にたいと絶望するならば私は貴方を痛みなく殺そう」


「選ぶのは他の誰でもなく貴方だ」


迷うことはなかった。生きたいから手を伸ばした。彼女の手にしがみつこうと、よろよろの指を必死に動かす。しかし骨がないから思うようには動かない。それでも諦めず、死にかけの虫みたいに体を蠢かせる。なんとか浅黒い俺の指がぴたっと彼女の手に触れた。


「そうか生きたいのか。なら貴方は私の家族だ」


そう言った彼女は晴れやかな表情で俺を抱き上げ、歩み始めた。


「もうすぐ日が暮れる。家に帰ろう」


森の鬱蒼が消えるまでにそう時間はかからなかった。天上に広がる黄昏たそがれの空は壮大で、無数の星たちが煌めき始めている。


「私は天神あまのがみイザヤ。ねぇ貴方の名前決めても良い?」


彼女は俺の頬を撫でながら、その名前を口にした。


「天からの賜り物、海からの賜り物。あなたの名前は天神ノア。どう? 気に入ってくれる?」


これ以上ない程に良い名前だ。なんとか思いを伝えようと俺は必死に声を絞りだすが、顔に空いた穴から情けない音が出るだけで、ちっとも人間らしい声を出すことはできなかった。


「やっと産声が聞けた! ノアは元気な子だね。きっとこんな世界でも私たち二人なら生きていける」


この日俺は生まれて、捨てられ、救われた。イザヤは俺に命と名前、希望を与えてくれた。あぁ本当にこの人と出逢えて良かった。

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