混沌怪奇譚 夢幻を生きる者たちよ

ラットマン

一章 蒼葉アキルは静かな明日が欲しい

快楽の雨

 私、雨月霧子うづききりこは雨の日は好きだ。

 ざあざあ降りの雨音は邪魔な雑音達を消してくれる。

 冷たい雨は暑く火照った体を静かに冷やしてくれる。

 雨音は私にとっての嬉しい知らせ、快楽へと誘ってくれる音色。

 だから、私は雨の日になると出かけるの。

 お気に入りの真っ赤なレインコートを着て、外へと繰り出すの。

 目指すのは食屍鬼街グールがい予玖土町よくどちょうの一区画、その昔地下鉄駅を作ろうとして失敗した場所。

 今じゃ、廃駅と廃墟と如何わしいお店しかない寂れた場所だけど。

 けれど、その方が私には都合がいい。

 食屍鬼街にいるのは如何わしいお店目当ての人が殆どで、その大半がオジサンばかりで吐き気がするけど、たまに私好みの綺麗な女性もいる。

 何故なら、女の子同士でをするお店もあるから、そんなお店をチラチラと見ている人を私は探すの。

 そうして、私好みの人を見つけたらこう声をかけるの。

「お姉さん、あっちで私と気持ちいいことしない?」って。

 私、自分の見た目には自信があるから。

 大抵の人はちょっと怪しがった後に顔を真っ赤にしながら私についてきてくれるの。

 そうして、路地裏の人気のないところまで一緒に行くの。

 ここまでくると、大抵の人はもう我慢できないって顔をして、荒い息遣いになって今にも襲って来そうになるの。

 だから、私はゆっくりとその人に近づいて、袖下に隠しておいたダガーをバレないように取り出して、一気に心臓へ深々と刺してあげるの! 

 相手の人は最初、何が起こったのか分からなくて、けれど痛みは感じるから、ただただ目から涙を流すの! 

 しばらくすると、状況を理解したのか泣き喚き始めたり、果敢にも私に反撃しようとするのだけど、そんなのは無駄、だって、私、急所は絶対外さないもの! 

 そのまま、刺したダガーをグリグリと捻ると綺麗な声でみんな鳴いてくれるの! 

 今にも消えてしまいそうなかすれた声は最高に私の加虐心を刺激してくれるわ! 

 その声が私の下腹部を酷く熱くする、もっと私を昂らせる! 

 もっとその声が聞きたい、もっと必死に生きようとする様が見たい! 

 だから、私はより一層強くダガーを突き刺して捻る。

 相手の人は反抗する事すらできずにただただ悶え泣くの! 

 その姿が、無様で、けれどすごく愛おしくて! 

 あぁ、あぁ! 

 今にも死んでしまいそうな彼女の足掻きが、目から光が失われて行くのが、体が少しづつ冷たくなって行くのが! 

 その全てが愛おしくて綺麗でたまらない! 

 一つの命が終わるその寸前、生命の最後の輝き、死の絶頂が! 

 綺麗で! 気持ち良くて! 儚くて! 彼女が事切れたその瞬間、軽く絶頂ってしまった。

 そうしてそこに残ったのは、私に快楽を与えてくれる人ではなく、ただの死体に成り下がった肉の塊だけだった。




 雨は好きだ。

 昂って火照ってしまった体と心を優しく冷やしてくれるから。

 眼前に転がる死体を見下ろす。

 毎回思うのだけれど、なんで死ぬ前はあんなに綺麗に思えるのに、死んだ後はただの肉の塊にしか思えないのかしら? 

 やっぱり、生きているからこそなのかしらね? 

 生きているからこそ、死に抗おうとしてくれるからなおのこと殺したくなるのかしら? 

 まぁ、そんなことはどうでも良いわ、死体にはなんの興味も湧かないもの。

 それより、アイツはまだ来ないのかしら? 

 いつもなら、見計らったかのようにすぐ来るのに、今日に限って妙にくるのが遅い。

 しばらくして、周囲に強い臭いが立ち込める、アイツがきた合図だ、ただ今日は気持ちいつもよりは臭くない気がするけど。


「よう、今回もまた随分美人じゃねぇか? やっぱそう言う趣味なのか? え?」


 ニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべながらそう聞いてくる。


「別に私がどんな奴を殺そうと構わないでしょ? まぁ、強いて言うなら綺麗な方がいいからだけど」


「へぇ、そうかよ」


 つまらなそうにそう返す女は藤原杏果ふじわらきょうか、私の頼もしい掃除役だ。


「そう言うあんたもだいぶ趣味悪いと思うけどね、わざわざ腐らせるなんて、死人ってだけでも不味そうなのに」


「へ、それこそ嗜好の違いってやつだよ。そもそもお前だって肉食うだろ? そこまで違いはねぇよ」


「そう言うものかしら?」


「そう言うもんだよ」


 杏果は人じゃない、よく似てはいるが全く別の存在……食屍鬼グールと言うやつだ。

 いや、杏果は食屍鬼ともちょっと違うのかしら? 

 彼女は赤ん坊の頃に食屍鬼たちに盗まれて、今まで食屍鬼たちに育てられた。

 妖精伝承などで語られる取り替え子チェンジリングという奴だ。

 最初は私もただのカニバリストの戯言だと思っていたけれど食屍鬼達が隠れ家変わりにしている廃駅での光景を見て考えを改めさせられたのは、今となってはいい思い出だ。

 食屍鬼は腐った肉、特に人肉を好むそうでこの街に住み着いている食屍鬼はヤクザやマフィア共から死体処理の名目で人肉を手に入れているそうだ。

 だけど、最近は死体の入りが悪いそうで、私みたいな奴からも死体を恵んでもらっているわけだ。

 こっちとしては、死体処理の手間が省ける上に死体はこいつらの腹の中に消える訳だから警察にも見つかりにくくなる。

 食屍鬼側は食屍鬼側で労せずして人肉が手に入る訳だから、お互いウィンウィンの関係なのだ。

 ほんと、臭いと食事の趣味以外はいいんだけどなぁ、顔も取り替え子だからか他の食屍鬼たちに比べてだいぶいいし、私好みの顔をしてるし、本当にもったいない。

 私がそんなことを考えている間に杏果は手際よく死体を持ってきたスーツケースに詰める。

 小さめのサイズのスーツケースに綺麗に収まるものだ、と少し感心してしまう。


「あ、ヤッベ、足折れたかも……まぁ、いいか! どうせ食うんだし!」


 訂正、やっぱ雑だわこいつ。

 そうして、雑ながらも死体は綺麗にスーツケースに収まったのでした。


「ふぅ、収まった、なぁ、ちょっと今回のやつデカくねぇか? 170くらいあるじゃんお前長身フェチなの?」


「違うわよ、偶々今日は良さそうなのがそれだけだったのよ。私好みの子なら身長はどうでもいいのよ」


「へぇ、なあなあ、気になったんだけどよぉ、アタシはお前的にどうなんだよ?」


 予想外の質問に少し困惑する。

 こいつ、その質問がどういう意味かわかってるのかしら。


「あんたはねぇ、顔は満点よ。けど、臭いで全部ダメにしてる! たまにはちゃんとお風呂に入って清潔にしたら?」


「そんなこと言うなよー、アタシだってたまに傷つくんだぜ? それに、今日はそんなに臭わねぇだろ? この前霧子と会った時に散々な言われようだったから今日はわざわざ家で風呂入ってきたんだからさ」


「あぁ、道理でいつもよりくるのが遅かったわけね、確かにいつもよりは臭いはマシだけどまだまだよ、もっと毎日洗いなさいな」


「えぇー、これでも結構念入りに洗ったんだけどなぁ」


「まぁ、頑張りは否定しないわ。後はそれを継続するだけね」


「へいへい、どうも人間の感性はワカンねぇんだよなー」


「あんたも元人間でしょうに……まぁいいわ、そう言うことよ」


「そっか、じゃあまた次の雨の日にな! 今度会う時は文句のつけようがないくらい綺麗にして相手してやるよ!」


 そう言って杏果は死体の詰まったスーツケースを持って廃駅の方へと向かって行った。

 まぁ、理由はどうであれアイツが綺麗になることには文句はないが、いかんせん顔が良いから次に会う時は少し気をつけなくては……

 うっかり手を出しかねないからね。

 もし、アイツが私に殺されそうになったら一体どんな顔をするのだろう? 

 酷く激昂するのかしら? 

 それとも、酷く絶望するのかしら? 

 あぁ……どちらにしても良いわね、少し昂ってしまう……

 ダメね、家に帰って少し冷静になりましょう。

 ちょうどこの前手に入れた古い本、アレでも読みながらこの昂りを沈めましょう。




 幻夢街の外れにある寂れたマンションの一室が私の家だ。

 部屋の中には適当な古本屋や胡散臭い露店で買った無数の古い本が粗雑に積まれている。

 そのどれもが、神話や地域伝承に関する本だ。

 杏果……食屍鬼達の存在を知ってからその手の話に興味を持つようになったのだが、我ながら随分増えたものだ。

 そんな中、唯一綺麗に整頓されたテーブルの上にこの前買った本は静かに鎮座している。

 ほんのりと紙の香りがする酷く状態の悪いタイトルのない本。

 どうやらこの本は元となる別の本があってその一部を抜粋して日本語に訳し、さらに色々と書きたした物らしい。

 この写本をのが最近のもう一つの趣味だ。

 読み解く、というのもこの本自体が状態が悪く、所々文字がかすれているのもあるが、それ以前に内容がかなり難解なのだ。

 内容としては、ある神に関する記述なのだが、その神が私の知っている神話体系からかなりかけ離れた存在なのだ。

 ある程度神話や伝承に対する知識には他者より自信がある方だが、この神はそのどれとも合致しない。

 悍しく、壮大で、恐ろしいこの神に私の知的好奇心は大いに刺激されたのだ。

 その神の名はNyarlathotep。

 ここだけ英語での表記になっているため正確な読み方は分からないが、おそらくニャルラートテップ、ナイアーラソテップと言ったところだろうか? 

 どうやらこの神は最高存在というわけではなく最高存在に使える存在という立ち位置らしい。

 肝心の最高存在については文字がかすれすぎて読めないが……

 こいつはその最高存在の意思に基づいて様々な行動を起こすメッセンジャーのような立場らしい。

 ただ、こいつ自身もかなり上位の存在らしく断片的だが様々な記述が書かれている。

 私的には、この神の性質は北欧神話のロキなんかがだいぶ似ているように感じるが、この神には決定的な違いがある。

 カタチが無いのだ。

 大抵の神として描かれる存在には何かしらの決まったカタチがある。

 だがこいつはそれが無い。

 化身と呼ばれる存在が複数あるようだがそのどれもが本質とは違う……らしい。

 そんな特異性に私の心は更に惹かれた。

 決まったカタチが無いというミステリアスさ、それと矛盾するかのような化身の多さ、そして何よりもその在り方が私には美しく思えた。

 これが信仰心という奴なんだろうか? 

 とにかく、私はこの神に魅せられてしまったのだ。

 今まで人を殺すことでしか快楽は得られないと思っていたけれど、この神に出会えればもしかしたら……

 と言うのも、この本にはこの神以外にも食屍鬼についての記述もあったのだ! 

 その記述は私がよく知っている食屍鬼達と全く同じだったのだ! 

 つまり、この本に書かれていることは限りなく事実に近いはず、というわけだ! 

 ならば、この神もほぼ確実に存在するはずだ。

 だからこそ、私はこの本を読み解かなければならない、この神に近づくために。

 私がこの神に近づく手がかりはこの本しかないのだから。




 数日の間、晴天の日が続いた。

 今までだったら暇すぎて死んだような日々を送っていただろうけど、今は本を読み解くことで忙しいからちょうど良かったかもしれない。

 おかげで、だいぶ多くのことを理解することができた。

 まず、Nyarlathotepを故意に呼び出す手段が存在しないこと。

 この本によれば、Nyarlathotep以外にも様々な神が存在するが、その一部は魔術的な儀式を行うことで故意に呼び出すことができるようだ。

 だが、Nyarlathotepに関しては呼び出す手段が記述されていなかった。

 写本になる際に写されなかったかはたまた文字がかすれすぎて消失したか定かでは無いが、この神を呼ぶ手段は確認できなかった。

 実に残念だが、無いものはしょうがない。

 それに良いこともわかったのだから。

 それは、この神は多くの化身を有し、そしてその化身は人としての形のものもある、ということだ。

 人の形をとったこの神はカルト宗教の司祭等として人間社会に入り込み人々が破滅する様を楽しむそうだ。

 そして何より重要なのは、神父として予玖土町に一度現れているという記述があったのだ! 

 この神は過去にこの町に出現している。

 その事実だけで声を上げそうになってしまいそうだ! 

 この神は実在する。

 なんならまだこの町にまだいるかも知れない、この数日間、柄にもなく町の老人達にこの本に書かれた神父についての話を聞いて回った。

 そして、実際にその神父は実在していたことがわかった。

 だが、五十年前に突如としてその神父は姿を消してしまったらしい。

 なんでも教会の近くで大規模な火災が起こり、その日以降見つかっていないそうだ。

 今は廃墟となった教会が町外れに残っているだけだ。

 けれど、ここまで調べ上げたのだ、こうなったらその教会跡地にいくしか無いだろう? 

 期待に胸を膨らませ、私は教会跡地へと向かった。




 教会跡地はひどい有様で、焼け焦げた基礎の木材と瓦礫の山があるだけだった。

 遠目から見れば形こそ教会だと辛うじてわかる、そんな有様だ。

 恐る恐る廃墟の中へと入る。

 中は暗かったが、懐中電灯を持ってきているので問題なさそうだ。

 建物が倒壊したら……まぁ、助からないだろうな。

 あるのは埃と瓦礫くらいか? 何か手掛かりになるものがあれば良いのだが、期待できなさそうだ。

 もう少し奥に進んでみる。

 奥の方には開けた場所がありその中心に祭壇のような物が鎮座していた。

 祭壇の付近は妙に綺麗でここが廃墟とすら感じさせないほどだ。

 祭壇へと近づく。

 祭壇の上には黒い石? が入った小さな小箱が開いた状態で置かれていた。

 よく見ると、石には赤い筋が入っており、箱の内側から伸びる奇妙な形の支柱に支えられ箱の底に石が触れないようになっていた。

 見惚れてしまうほどにその石は美しく妖しく輝いていた。

 全てを吸い込むような黒色と血液を想起させるような赤色の筋が私を魅了する。

 無用心だとは思うけれど少し触ってみたくなってしまうほどだ。

 私の白い指が石に触れそうになった瞬間、不意に冷たい視線が背中に走った。

 驚いて振り向くとそこには赤いスーツ姿の綺麗な女性が佇んでいた。


「ん? どうした? 続けると良い」


 凛とした声で彼女はそう囁く。

 あぁ、あぁ! 間違いない! この人が、いや、このお方こそが私が探し求めていた方だ! 


「あ……貴方がニャルラートテップ? いやそれよりもナイアーラソテップの方が発音として正しいかしら?」


「ほう……」


 彼女は口元に笑みを浮かべる。


「私を知っているか、ならば私も貴様を無碍にはできんな、名前は?」


 威圧に満ちた声で彼女は私に問う。


「雨月霧子」


「では、キリコよ何故私を探した?」


「それは……」


 そうだ、私はなぜ彼女を探し続けた? 

 人を殺せない間の暇つぶしの為? 

 ——違う

 新しい快楽を得る為? 

 ——違う

 あぁ、そうか、私はこのお方に仕えるために探し続けていたんだ。

 このお方に私をつかってもらう為に、この命を消費してもらうために、そうだ、そうに違いない……


「貴方様に仕えるために……」


 Nyarlathotepは笑みを浮かべる、まるで嘲笑う様に。


「そうだろうよ」


 意識が薄れていく、自分が自分じゃなくなっていく。

違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!

 私は……

 そこで私の意識は暗闇に塗りつぶされた。

 遠くからは雨の音が聞こえた様な気がした……

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