第3話

「――……ならコッチの会社は……あぁゴメン。これも高等学校か、専門校を卒業した者のみが面接可だね」


 予想通り――できれば、その予想は裏切られて欲しかったが――俺に見合った職場は、ひとつも見当たらなかった。


 普通は、十八歳で高等学校を卒業したと同時に就職するか、もしくは各分野を学ぶ専門校へ進学するかが、この国でのスタンダード。


 だが俺は、高等学校でも専門校でもない、軍人学校の士官生徒だった。

 しかも在学中に戦争が始まって動員され、そのまま終戦を迎えたため、卒業証書は貰っていない。


 とはいえ魔法が得意で、宮廷魔導士試験に何度も挑戦できる者など、本来は国全体を見渡しても極少数。ひと握りの、優れた頭脳と技術の持ち主であるはずだ。

 その部分を(我ながら自慢っぽく聞こえたが)説明しても、「でも結局、合格しなかったんでしょ?」で終わり。


 終戦して平和な時代となり、戦後特需や復興事業、さまざまな産業の盛り上がりは落ち着いて、人材も雇用し終わっている。

 戦地帰りで、資格試験のために何年も浪人していて――そんな人間に与えられる仕事など、当然だが限られていた。戦後間もない頃ならまだしも、八年も経過したのだから。


 結局残されたのは、建設現場での肉体労働くらい。

 もしくは魔法の実力が使えそうではあるが、危険な害獣退治や魔物討伐の仕事。

 そして、老人達を集合施設で世話する介護職だけ。


「ほ、他には何か……良い所、ないですかね。もっと……こう、魔法の研究機関とか……」


「うーん、流石に元軍人で高等学校の卒業歴もなく、職歴すら空欄だとねぇ……」


 職業斡旋所を何軒もハシゴし、最後に訪れたココでも仕事が見つからなければ、かなりマズい。

 だが担当してくれる中年男性は、薄い頭をぼりぼり掻きながら、空白の目立つ履歴書を眺め、眉間に皺を寄せている。


「お国のために戦ってくれた兵隊さんには、そりゃあ良い仕事を紹介してあげたいよ? けど、こればっかりは……。スマンが恨まないでおくれよ」


 終戦直後ならば、傷付いて行き場を失った兵士達のために、国が率先して再就職先を工面してくれていた。

 宮廷魔導士試験への推薦状だって、本来はそうした救済策の一つだったんだ。 


 ただ、試験に落ちたのが悪いだけで。貰ったチャンスを無駄にしたのは、俺自身だ。


 祖国や、周囲の環境や、それこそ目の前のオジサンを恨む道理なんて、あるはずがない。


「……あぁ、コレなんてどうだい? 行商人と一緒に各地を回って、魔物や盗賊から積み荷を守護まもる仕事なら……」


「あ、いや……。家で養母の介護をしているので、なるべく短時間で帰れる仕事の方が……」


 言葉に出してから、何と無茶な要望だろうかと自分でも思った。

 しかし、日常的に婆ちゃんの世話をしないといけないのは事実だ。長く留守にはできない。行商の旅に同行するのは無理だ。

 普通の職場だとしても、朝いつ起きるか分からない婆ちゃんの食事と着替えを終わらせ、昼も食事のため家に戻り、晩飯の支度もあるので、夕方までには帰っておきたい。


 だがそんな都合の良い職場はないよな、と心の中で思ったのと、担当職員オジサンが口に出すのは、同時だった。


「悪いけど、そんな職場ないよ。学生の小遣い稼ぎアルバイトじゃないんだ。お兄さん、ちょっと世の中を甘く見てるんじゃないの?」


 辛い経験を死ぬほどしてきた帰還兵が、勲章持ちの『カノン平原の英雄』が、まさか「世の中をナメている」と言われる日が来ようとは。

 もし相棒が左隣の椅子で聞いていたら、ゲラゲラ笑う状況だろう。

 だが俺としては、笑えない事態だ。


 結局、その日は成果ナシで終わった。

 イヨ婆ちゃんに貰った金で夕飯の食材と、婆ちゃんの好きな飴玉を買って――昼に家を出た時と変わらぬ『無職』のまま――トボトボと帰路についた。




***




 小高い丘の上へと続く道を登って、桜の木が植えられている家へ向かう。


 今は枯れ木のような姿だが、春が来れば、美しく開花するだろう。

 宮廷魔導士になりたいという俺の夢は結局、芽吹かなかったが。それでも庭先の桜は、俺の人生と関係なく、毎年見事に咲き誇っていた。

 暖かくなったら婆ちゃんを車椅子に乗せ、花見がてら、少しは外の空気を吸わせてあげよう。


 そう思いながら、夕飯の食材を買い入れた紙袋を片腕に抱え、丘を登っていると――。

 陽が沈んで、強烈に冷え込んでいく冬の空気の中に、『焦げ臭いもの』を嗅ぎ取った。


「ん……?」


 有機物が焦げる臭いは好きじゃない。嫌でも戦場を思い起こされる。

 そこから連想して、人の肉が焼ける悪臭と光景もフラッシュバックする。戦争が終わって暫くは、食事や睡眠も満足にできない日々を過ごした。


 だが『これ』は違う。

 これは何か、料理を煮込んでいるような……それでいて、鍋の底が焦げ付く時の臭いだ。

 料理上手だったイヨ婆ちゃんの足腰が悪くなって以降は、俺が代わりに食事の用意をするようになった。最初の頃は不慣れな調理で、鍋底を焦がしてしまっていたから、よく覚えている。


「……まさか……!」


 家に近づくたび、臭いは強くなる。

 雪の残る傾斜で転びかけながら、急いで走り出した。


「――婆ちゃんっ!」


 玄関を開けると、すぐに気付いた。やはり焦げ臭さの原因は、家の中からだ。

 そしてイヨ婆ちゃんの部屋に入るが、ベッドの上はもぬけの殻だった。


 悪い予感は当たってしまった。台所に駆け込むと、そこではイヨ婆ちゃんが杖をつきながらも、腰を曲げて台所に立っていた。

 震える手に包丁を握り、皮を剥かず土も付いたままの人参を、まな板の上で切ろうとしている。


「何してんだよ……!」


「あぁ、おかえりゴウファ。もう少しで夕飯が出来上がるから、手を洗って待ってなさ……」


 婆ちゃんの脇では、鍋に入ったシチューが、マグマのようにボコボコ泡立っていた。そこから黒い煙が上がっている。


 シチューは昨夜も今朝も食べただろうに。

 ゴウファはもう死んで、帰ってこないんだ。

 夕飯の食材なら買ってきたのに。

 一週間の食事のメニューを考えて、俺なりの献立で食材を消費していくプランが、台無しにされた。

 鶏肉も豚肉も使われてしまった。

 牛乳の瓶は空だ。

 野菜もだいぶ減っている。

 何でもかんでも鍋に入れて、雑に煮込んでシチューにしてしまったらしい。


 ラストチャンスの資格試験は不合格で、職も見つからず、今日は良い一日じゃなかった。


 追い打ちでをされて、こんな目に遭うほど――俺は、何か悪い行いをしたか?


「勝手なこと、しないでくれよ!!!」


 我慢できず、予想外に大きな声が出た。


 婆ちゃんの肩は跳ね上がり、包丁が床に落ちる。

 痴呆の老人を叱っても意味はないと、さんざん理解させられてきたのに。怒鳴らないよう、日頃から心がけていたはずなのに。

 自分でも思ったより苛立っていたのか、声量の調節ができなかった。


「火事になるから! どうして部屋で大人しく、俺の帰りを待っていてくれなかったんだ! 普段は寝てばかりいるくせに!!」


 感情的に注意すると、イヨ婆ちゃんの目は怯えたような色へと変わる。


「あ、あの……私……っ。ご、ごめんなさい……」


 その目を見て、ようやく俺は冷静さを取り戻した。自分の態度に気付かされた。


「あ……」


 婆ちゃんはただ、息子の帰りを待っていただけだ。美味い飯を食わせてやろうと、その一心だったんだ。


 それなのに、俺は――。


「……とにかく、部屋に戻ろう。後片付けは、しておくから……」


 火を消し、部屋まで付き添って、ベッドに寝かせてやる。


 黒煙を上げていたシチューは捨て、焦げた鍋は外に出しておいた。焦げがこびり付いて取れそうにない。使い勝手が良く、愛用と呼べるほど長年使った鍋だが、もう捨てるしかない。

 まるで、古くからの友人が遠くの地へ行ってしまって、二度と会えないかのような、そんな気分だった。


 夕飯を作り直す気にはなれなかったので、買ってきた食材を簡単に切ったり焼いたりして、それで二人の晩飯として済ませた。

 俺はゴウファの部屋で食事を摂ったが、胃がゴロゴロして、消化不良のようにムカムカして――味はほとんど分からなかった。

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