第1話 呉越同舟(ごえつどうしゅう)

 元治元年十月末――、長州征伐を前に、さっそくこの男が動いた。

 討伐軍参謀にして薩摩藩士、西郷吉之助である。

 彼は大阪城にいる討伐軍総督・徳川慶勝とくがわよしかつをを訪ねた。


 長州追討の勅命を受けて、尾張藩・越前藩および西国諸藩からなる征長軍せいちょうぐんが編成された

 諸藩の攻め口が、芸州口げいしゅうぐち石州口せきしゅうぐち大島口おおしまぐち小倉口おくらぐち萩口はぎぐち五道ごどうに定められ、長州・萩ではなく、長州藩主・毛利敬親父子もうりたかちかおやこのいる山口へ向かうと決定したのは、八月半ばのことだった。

 征長総督は、尾張藩の前々藩主である徳川慶勝である。

 総督は征長について、将軍から全権委任を受け、征長軍に対する軍事指揮権を掌握するとともに、長州藩への降伏条件の決定、征長軍の解兵時期について権限を持っていた。 

 

「尾張さま、こん長州討伐のこつでごわすが――」

「何か、問題でもあるのか? 西郷」

 御三家・尾張藩――、その尾張藩十四代藩主・徳川慶勝の弟には、京守護職である会津藩主・松平容保がおり、従弟には将軍後見職・一橋慶喜がいるという。

 そんな徳川慶勝だが、将軍後継者問題・条約勅許問題などから大老・井伊直弼らと対立し、安政の大獄によって強制的に隠居処分に処されたらしい。

 だが、その大老が桜田門外の変で暗殺され、慶勝の子・徳川義宜が第十六代藩主となると、慶勝は隠居として藩政の実権を掌握し、尾張藩は藩主と元藩主の二重支配体制となったという。

 

「問題は、ありもはん。じゃっどん、こん戦は国力の低下を招くだけで、誰も得をすることはなか。長州藩と交渉するのがよかと思いもす」

 西郷の提案に、徳川慶勝は胡乱うろんに眉を寄せた。

「西郷、それではこちらの立場がないではないか?」

「じゃっで、幕府に対し恭順きょうじゅんの姿勢を取ってもらうとじゃ。そいに、ここだけん話、こん戦には、多額の資金ばが必要になりもうす。おそらく財政難となるでごわんど」

 徳川慶勝は、唸り始めた。

「西郷――、長州藩がその案を受け入れようか?」

「尾張さま、現在の長州藩は、馬関海峡での戦の影響ば受けて、討伐軍と戦う力はありもはん」

 徳川慶勝の問いに、西郷は言い切った。

「しかし、そなたがそこまでいうとはの」

「ある男にいわれもうした。我々がするべきなのは、この国を立て直すこつじゃと。そん男、かなり変わってもうしたが、オイの考えも変わりもうした」

 

 その男の名は、坂本龍馬。

 勝海舟の下で学んでいたとだけあって、その男は目先のことより、もっと広い世界を見ていた。


 ――わしはの、西郷さん。わしはこん国を強くしたいがよ。けんど、幕府も藩も我が身ばかり護りゆう。それではこん国は、強くならん。


 西郷はそういう龍馬に「ならばどうするのか?」と聞いた。

 すると龍馬はにっと口角を上げ、思わぬことを口にしたのだった。


              ◆◆◆


 いぬこく――、京・伏見。

 

 寺田屋にいた龍馬は、盛大なくしゃみをした。 

「風邪どすか? 龍馬はん」

 妻・おりょう土瓶どびんを手に、首を傾げた。

 晴れて夫婦めおととなった二人だが、お龍だけは寺田屋に留まっていた。

 何しろ龍馬は、海軍塾が解散となってもいろいろなことに首を突っ込むお陰で、場所が安定しないのだ。

 第一、お龍は寺田屋にいれば安全なのだ。

 お龍は、そんな龍馬に文句はいわなかった。

「いや……、誰かが、わしの噂をしちゅう」

 龍馬は鼻の下を擦った。

 はたして、どんな噂をされていることやら。

 龍馬は、お龍がれてくれた茶に口をつけた。


 ――鹿児島に、来たもんせ。


 大阪・薩摩藩蔵屋敷で、西郷吉之助との会話の最後――、西郷は龍馬に、鹿児島へ来てはどうかと言った。

 実は龍馬は一度、薩摩の地を訪れかけたことがある。

 土佐から初めて脱藩したとき、長門にいた龍馬は薩摩に渡ろうとしたが、当時の薩摩国は他藩の人間の入国を拒んでいた。

 

 師・勝海舟が江戸に去り、神戸海軍塾は事実上の解散となった。

 龍馬たち土佐出身浪士は、勝の尽力にて薩摩藩の世話になることになった。

 薩摩藩としては、神戸海軍操練所で学んだ海軍塾生の知識を必要としていた。

 海に面した国としては、海防の備えを必要に迫られていたらしい。

 それを痛感したのが、鹿児島湾にやってきた英国軍艦との戦いだったという。

 艦載砲かんさいほうは薩摩砲台を殲滅し、鹿児島城下を焼いたという。

 元々、相模・生麦村での事件に事を発するこの戦いで、薩摩藩は攘夷の不可を知るとともに、最新鋭の武器と軍艦を備えねばならぬという考えに至ったらしい。

 龍馬としても、己の船を持つという夢を叶える絶好の機会だった。

 だがその前に、解決しなければならないことがある。

 

 龍馬が立ち上がると、お龍が首を傾げた。

「こないな刻限に、おでかけどすか?」

「ちくっとばぁ、風に当たってくるぜよ」

 龍馬は愛刀・陸奥守吉行を袴の帯紐にじ込んで、外に出た。

 天には下弦かげんの月が浮かび、高瀬川沿いの柳が風に吹かれていた。 

 

 このとき寺田屋近くの旅籠はたごには、石川清之助いしかわせいのすけという土佐浪人が逗留とうりゅうしていた。

 龍馬はその男の部屋を訪ねると、腰を下ろした。

「――まさかおまんと、こがな場所で会うとは思わんかったぜよ」

 男は石川清之助と名乗っているが、龍馬にとっては顔馴染みである。

 男の本当の名は、中岡慎太郎という。龍馬と同じ、土佐郷士である。

 彼も、土佐勤王党の一人であった。


「藩は、勤王党の人間を根絶やしにするつもりじゃ」

「よく、捕まらんかったのう?」

 中岡いわく――、土佐にて前藩主・山内容堂が勤王党を弾圧し始めたころ、藩を脱藩し、長門・長州へ逃れていたという。

 だがその長州藩は、八月十八日の政変以降、蛤御門の変、馬関海峡での惨敗と追い詰められ、崖っぷちの状態となっている。

「あの戦いで、わしの目は覚めたがじゃ」

 中岡のいう“あの戦い”とは、米国メリケン仏蘭西フランス阿蘭陀オランダ英国エゲレスの四カ国艦隊との戦いらしい。彼も長州藩兵とともに、戦っていたという。


 文久三年、長州藩の軍事態勢を強化するため、高杉晋作は身分を問わない奇兵隊を結成したらしい。これに触発されて農民、町人、漁師、猟師、神官、力士、僧侶など藩士以外の様々な身分の者からなる義勇軍的な部隊・長州忠義隊ちょうしゅうちゅうぎたいが結成されたという。

 中岡慎太郎は、この忠義隊に加わっていたらしい。

 だが馬関海峡での戦いで、異国との軍事格差を思い知った中岡は、攘夷の無謀を悟り、開国による富国強兵論へ転じたという。

 

「それで、おまんはどうするがじゃ?」

呉越同舟ごえつどうしゅう――、っちゅう言葉を知っちょるかえ?」

 中岡の言葉に、龍馬はぴたりと盃を止めた。

 龍馬に劣等感があるとすれば、学のなさだ。

 子供時代――、寺子屋などに通ってはいたものの、塾生と口論になった挙げ句に泣いて帰り、それ以来まともな学問所に通うことはなかった。

 幸い読み書きは姉・乙女に叩き込まれ、あとは独学だ。

「慎太郎、わしゃ、難しい言葉はわからんがよ」

「――仲の悪い者同士でも同じ災難や利害が一致すれば、協力したり助け合ったりするっちゅう例えじゃ」

 龍馬は、瞠目した。

 まさに、龍馬が考えていたことと同じだった。

「そんじゃけんど、一筋縄ではいかんぜよ」

「わかっちゅう。ほんぢゃち、長州を救うがは、こん方法しかないがよ。龍馬」

 龍馬は両腕を組み、渋面で畳を睨んだ。

 大阪・薩摩藩邸で、龍馬は中岡慎太郎と似たようなことを西郷吉之助に言った。

 


「西郷さん、わしはこん国を強くしたいと思っちゅう。けんど、それは一人ではできん。他藩も協力するがじゃ。こん国を憂いちょるのは、長州も同じじゃき」

「坂本さぁ、オイには、薩摩が長州の味方ばしろと聞こえもうす。そいでは、こん薩摩も朝敵になりもうす。それはできもはん」

 西郷はきっぱりと、この案を跳ね除けた。



 長州を救いたいと思う気持ちは中岡同様、龍馬にもある。

 ここから、龍馬の新たな戦いが始まるのである。

 

 

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