第14話 さらば勝海舟! また会う日まで
「え……」
伏見寺田屋にて女将・お登勢を手伝っていたお
龍馬は、お
これに言葉を発したのは、その場に一緒にいた、お登勢のほうだった。
「ええ話やないの! お
「へぇ……」
お
たしかに、
龍馬も追われる身であり、夢のために奔走し続けている。
お
「わしには、おまんが必要じゃき。もちろん、無理強いするつもりはないがよ。こがな男やき、気に入らんと思われても仕方ないき」
これにまたもお登勢が、お
「お
「お登勢、わしはそがなに女癖は悪くないぜよ……」
宿を女手一つで切り盛りし続けた彼女だけに勇ましいが、どうも龍馬は現在も強い女の言葉には敵わないのであった。
かくしてそれから八月始め――、金蔵寺で祝言を行った。
晴れて二人は、
金蔵寺は
だが――、
秋になると、とんだ災難が、龍馬たち海軍塾生の身に降り掛かってきた。
◆
「勝センセが、江戸に
摂津・兵庫津――、港にいた龍馬は、知らせに来た近藤長次郎を振り返った。
「幕府の命令じゃそうです」
「どうひて、センセが還されるがじゃ!? 長次郎!!」
思わず長次郎の胸ぐらをつかんだ龍馬に、長次郎は青ざめた。
「お、落ち着いてつかぁさいっ! く、首……、締まりゆうがですっ」
揺さぶられた上に首が絞まりかけたらしい長次郎に詫びて、龍馬は勝海舟の元に走った。
当の勝は、落ち着いていた。
まるで、わかっていたかのように――。
やはり幕府は、龍馬たち下士や浪人が、幕府直轄・神戸海軍操練所にいることが容認できなかったらしい。
しかも池田屋事件で海軍塾生が関与していたこと、蛤御門の変で長州軍とともに浪士たちも蜂起していたらしい。
これらの件に塾生たち全員は関わっていなかったが、幕府としてはこの際、一掃したいらしい。
しかし、その責任を勝が取らされることに、龍馬は納得できない。
「そんぢゃけんど、センセに罪はないがやき」
「
勝はそういって、苦笑した。
「センセ……」
「そう落胆するんじゃねぇ。日の本の海軍を造る夢は諦めちゃいねぇ。だから龍馬、お
龍馬は、悔しかった。。
この年の夏――、龍馬はもうひとりの師を失っている。
江戸に剣術修行に来ていた頃、ある砲術家の門下になった。
龍馬に、どうしたらこの国は強くなれるかを説いた、佐久間象山である。
その佐久間象山が、京・三条木屋町にて殺害されたという。
首謀者は、尊攘派だったらしい。
公武合体派であり、開国論者だったことが狙われるきっかけとなったようだ。
そして現在、龍馬はまたも師と別れようとしている。
龍馬の目を、広い海に向けさせた二人の師、佐久間象山と勝海舟。
龍馬の日の本を強くしたいという夢の前に、幕府が思わぬ形で立ち塞がってきた。
この日の空は昨日の雨が嘘のようにやみ、鱗雲を撒き散らしたまま、からりと晴れていた。
海は波一つ立たず、錫の板を張り詰めたように鎮まっている。
龍馬の脳裏に、桂浜のはぐれ松が浮かぶ。
一本だけ海にせりだした松の枝――、二度の台風にも折れることなく耐え抜いたかの枝も、折れてなるものかと思っていたのだろうか。
◆◆◆
神戸海軍塾の解散が決まった数日後――、龍馬は大阪・薩摩藩蔵屋敷を訪ねた。
勝が龍馬たちの身を、薩摩藩に託したというのだ。
問題はその薩摩が、なにゆえ自藩の者ではない龍馬たちを預かるか、である。
「久しぶりでごわす。坂本さぁ」
龍馬を出迎えたのは、西郷吉之助である。
実は二人は、初対面ではなかった。
長州征伐の噂を聞いた時、これ以上長州を追い詰めるべきではないと、勝と龍馬の考えは一致していた。
勝はまず先に、龍馬に薩摩を説得に向かわせたのである。
「京で、会っちょって以来じゃの」
二人の対面は、そのときほど張り詰めたものではなかった。
お互いの意見をぶつけ合い、その人となりを掴んでいるからこそ、この再会がある。
「こげんしてまた会うとは、おまさぁとは縁がありもうそ」
「西郷さん、今日は別の話で来たがじゃ。わしらのことじゃ。この件、ただの縁だけじゃあるまい? 薩摩藩といえば西国雄藩じゃ。そがな大藩が、わしらのようなもんを匿うには、理由があるじゃろ?」
龍馬の疑問に、西郷はふっと笑った。
「――安房守どのの言ってた通りの人じゃ」
「勝センセが?」
「あんお人は言ってもうした。坂本龍馬という男は、この国を変えるかも知れんと。坂本さぁの言う通り、おまさぁたちを引き受けたのはオイだけの判断じゃなか。薩摩藩家老・小松さまの判断でごわんど。おまさぁが知っている通り、薩摩も海に囲まれている国じゃ。じゃっどん、その海のこつば、薩摩のもんは知らん。先の英国との戦いで、異国との力の差を薩摩は知りもうした。坂本さぁー、薩摩に何が足りないかもうわかりもうそ」
「つまり――、わしらの手を使うっちゅうが?」
薩摩に足りないもの――、船や武器を買う資金はあるが、その船を動かす人間がいない。
西郷は、そういうのだ。
「嫌でごいすか?」
「薩摩側の人間になるのは、の」
「力を、貸すだけでよか」
龍馬に、これ以上ためらう理由はなかった。
薩摩の資金力を頼れば、船を持てるかも知れないと思ったからだ。
だがその前に、解決しておきたいことが龍馬にはあった。
海に面し、存亡の危機に瀕している国がある。
長門、長州藩である。
今回の長州征伐にも、蛤御門の変と同様、薩摩は先頭に立つという。
戦となるかならないかの鍵は、薩摩が握っている。
勝海舟は、この西郷に会いに行けという前に、龍馬にそういった。
その鍵は何かと聞けば、西郷吉之助だという。
龍馬が薩摩藩邸を出ると、外は暮れ始めていた。
晩秋の風が、龍馬の袴の裾を揺らす。
龍馬が描いた夢という船は、現在も先の見えぬ中を進んでいる。
その海は決して優しくはなく、何度も厳しい試練を強いてくる。挫けてしまえば難破し、あるいは転覆し、深く暗い海の底で眠り続けることになるだろう。
――この国はこれからも荒れるぜ? 内側から腐っていくのか、それとも外側から壊れていくのか、このまま何もしねぇと、この国は滅ぶ。
勝は、龍馬にそういった。
そうこのままなにもしなければ、日の本は崩壊する。
朝廷も幕府も、各大名もひとつとならなければ、この国は強くはならない。
この日から数日後――。
元治元年十月二十四日――、勝海舟は江戸へ発った。
その背を見送る海軍塾生は、唇を噛み締めていた。
「勝センセ……」
「これで最後じゃないがよ」
「龍馬さん……」
「いつかまた、センセに逢えるとわしは思うちょる」
そう――いつかきっと、また逢える。
龍馬はそう思った。
「けんど、わしらはこれからどうすればええがじゃ」
「一部の塾生は、そそくさと出ていきよったがぞ」
「彼らにも事情があるがぜよ」
海軍塾に残ったのは、陸奥宗光を除いて、土佐出身者だけとなった。
――勝センセ、見ていてつかぁさい。わしは、諦めんがよ。こん国を、必ず立て直すがやき。
龍馬は、勝の背にそう誓った。
--------------------------------【第三部 完】----------------------
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