妖怪島の管理人~忙しさに追われる社会人生活が嫌になってので、スローライフを始めることにしました~
るい
プロローグ「都会から島へ」
満員電車で、人に押しつぶされている中、窓から夕陽が沈むのが見えた。
「今日も疲れた」
社会人になって、三年目。前日に二十歳を迎えた俺だが、誕生日は朝から出社して、取引先の手違いで残業が発生、家に帰ったのは日付が変わる二時間前だった。
まぁ、家に帰っても誰もいないし、祝ってくれたのは、母からのメッセージだけだ。
「仕事して帰るだけの生活で、人生が終わるのかな」
カエデは、夕日を見ながら呟く。
周りは、イヤホンして音楽を聞いているサラリーマンや、学生の話し声で騒がしい。これぐらいの小言、誰も聞いていないだろう。
自分の中にあった自我が、年々消えて行くのを感じる。
最初は、取引先にクレームの電話がきて、ショックから立ち直れず、部屋の中で独り泣いていた。しかし、三年経つと、クレームの電話が来ても、上辺だけ謝って、内心は「へぇ」としか思わなくなってしまった。
『これが、社会人なんだ』
自分の中で、そう言い聞かせている内に、俺の心は死んで逝った。気づけば、ただ与えられた仕事をこなす機械に、成り果てた気がする。
「次の駅で、降りないとだ」
カエデは、満員電車の人混みをかき分けて、電車の出入り口に立つ。
電車のドアが開くと、押し出されるような形で、電車から出た。
「ただいまー」
カエデは、アパートの扉を開いて中に入る。
部屋の中は、静まり返っていた。
「とか言ってみたけど、誰もいないから、意味ないか」
カエデは、クローゼットの前に立ち、スーツをハンガーにかける。
「今日の夕飯は……カップラーメンでいいか」
確か、冷蔵庫の上にあったはず。
カエデは、冷蔵庫の上に置いてあったカップラーメンを手に取った。ケトルに水を入れて、スイッチを入れる。
「最近、野菜を食べてないな」
子供の時は、野菜を食べなくて、母に怒られたな。大人になると、野菜を摂取しないといけないなって思うけど、切るのが面倒くさく感じるんだよな。
カエデは、ケトルの水が沸騰するまで、無心でケトルを眺めていた。
「お湯が出来た。カップラーメンにお湯を入れて……ん?」
ポケットに入っていた携帯から、着信音が聞こえる。
「こんな時間に電話? 一体誰からだ?」
カエデは、携帯を取り出して、画面を見る。
「お母さん?」
母から、電話をかけてくるなんて珍しい。いつも、アプリのメッセージだけで、電話は、かけてこない。
「お母さん?」
「あ、カエデ? 突然電話をかけて、ごめんね」
「大丈夫だよ。どうしたの?」
「カエデって、ミサトおばさんのこと覚えている?」
ミサトおばさん。確か、母のおばさんだった気がする。お盆に、母の実家に行くと、何回か会った記憶がある。
「覚えているよ。お盆の時に何回か会ったよね」
「そうそう。そのミサトおばさんなんだけど、先日病気で亡くなっちゃったみたいなの」
「病気で……おばあちゃんは大丈夫?」
俺のおばあちゃんは、ミサトおばさんの姉妹だ。確か、ミサトおばさんが長女で、おばあちゃんは次女だったはず。
「うん、大丈夫みたい。元々長くないって聞かされていたから、覚悟はしていたらしいのよ」
「大変だったね。電話がかかって来た時、緊急事態が起きたかと思ったよ」
父が倒れたとかだったら、大変だった。両親は、健康そうだ。
「緊急事態なのは、ここからなの」
「え?」
「実はね、ミサトおばさんから遺言があってね」
「遺言?」
「『カエデに、管理人の仕事を受け継いで欲しい』って、遺言があったらしいの」
カエデは、お母さんが言った言葉が一瞬理解できなかった。
管理人の仕事を受け継いで欲しいって言ったのか?
「なんで、俺に?」
「私もわからないのよ。カエデが、何か知っていると思ったのだけど、知らないの?」
「うん」
「どうしよう? 断わる?」
カエデは、「お願い」と言おうとしたが、言葉が詰まった。
ここで断ったら、仕事して寝るだけの生活が待っている。管理人の仕事が何かは、わからないけど、新しい景色が見えるかもしれない。
「カエデ?」
母の声が、電話越しに聞こえる。
「お母さん。管理人の仕事を、やってみようと思う」
カエデは、母に伝えた。
仕事を辞める時は、意外とあっさりだった。
上司に仕事を辞めるのを伝えて、引き継ぎ書類の作成、退職届けなど、書類関係を書いて、一ヶ月後には何もない日が訪れた。
「取引先のクレームを対応して、上司に頭下げて、満員電車に揉まれる毎日送っていたのに」
カエデは、引越し業者が荷物を持ち去った後の、何もない部屋を見渡す。
「得られた物は、何だったのだろう」
カエデは、前にテレビ番組の特集で、「社会人になったら、忍耐強さを得られました」って言っていた人がいたのを思い出した。
確かに、忍耐強さは得られたかもしれない。
「俺は、我慢強くなりたいから、社会人になったのではない」
じゃあ、俺は何に成りたかったんだ?
カエデは、三年間の社会人生活に疑問を抱きながら、三年間過ごしたアパートを後にした。
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