ブラコンで有名なアレクシア・オブライエンは一人っ子である

四片紫

全てはお兄様のために

 華美に飾られた王城のダンスホール。煌めくシャンデリアの下、歓談する人々の中心で、それは起こった。


「アレクシア・オブライエン! 貴様の度重なる悪行には愛想が尽きた! 王太子クラウスの名において、貴様との婚約は破棄する!!」


 突然に響き渡った口上にさざ波のように騒めきが広がっていく。耳朶を引かれるように集まった視線の先には寄り添う男女と、対峙するように凛と立つ一人の少女の姿があった。

 口火を切った男にべったりと貼りつくように縋る少女はその大きな目を潤ませて相対する少女を見下している。見下ろしているのではなく、見下しているのだ。よくよく見れば、口元にうっすらと笑みを浮かべてすらいる。


 対して糾弾するように名を呼ばれた少女は上品に頬に手を当て、たおやかな笑みを浮かべている。彼女は表情を崩さぬまま、果実のように鮮やかな赤い唇を開いた。


「悪事、とは? わたくしには身に覚えがありませんわ、ご説明いただけまして?」


 にっこりと美しく笑む彼女に事態を遠巻きに見守っていた人々がほぅ、と溜息を吐いた。無理もないことだ。アレクシア・オブライエンは奇跡のように美しい少女として有名な公爵令嬢なのである。

 月の光を束ねたような銀色の髪は一切の乱れなくとろりとした輝きを湛えて背中に流れ、同じ色をした睫毛に縁取られた瞳は夜明けの空のような深い紫。夜空を染め抜いた濃紺のドレスに包まれた背筋をぴんと伸ばして目の前の男女を三日月に欠けた空に映している。


 あまりにも堂々とした所作に気圧されたのか、クラウスははく、と何度か声を発さぬままに唇を動かす。が、直ぐに何かを振り払うようにぶるんと頭を振った。


「い、いいだろう! こちらには証人もいる――エリー、大丈夫かい?」


 クラウスは甘く囁くように傍らの少女に声をかけた。はい、と気丈に返事をした少女、エリーは潤んだ瞳のままに震える声を上げる。


「わ、私はずっとアレクシア様に嫌がらせをされておりました……足を引っかけられたり、噴水に向かって突き飛ばされたり……っ」


 これ以上は耐えられないとばかりに声を詰めたエリーをクラウスは包み込むように抱き締めた。そうして顔を上げ、アレクシアを睨み付ける。


「次期王妃の地位を笠に来ての暴挙! 貴様は国母となるにふさわしくない! 気丈にも貴様の嫌がらせに耐え抜いたエリーにこそふさわしい! よって――」

「あらまぁ、そうですの」


 は、と疑問符にもなれなかった息が漏れた。驚愕に見開かれた目に、にこにこと変わらぬ笑顔が映り込んだ。


「別にどうでもいいことですわ」


 先ほどまでとは質の異なる騒めきが広がった。王太子がアレクシアとの婚約を破棄するつもりだと言うことは皆が予想していたことだった。王太子がお忍びで城下に出かけた際に出会った庶民に夢中と言うのは周知の事実だったのだ。

 だからこそ、集まっていた人々はアレクシアの反応を窺っていた。王太子に失望するか、彼をたぶらかした庶民に憤るか。


 しかし現実はそのどちらでもなく、彼女はどうでもいいとすら言い放って見せた。クラウスに大いに失望しているのだろうか、あるいは全てを諦めてしまったのだろうか。一切崩れない笑みからは何も読み取れない。


「は、はは! やはり貴様は狂っているのか!」


 父上! とクラウスは国王の方を仰ぎ見る。ホールから一段高い位置にある王座に座していた王は黙って顛末を見守っていたが、クラウスの呼びかけにわずかに眉を動かした。


「だから言ったでしょう? この女は国母にはふさわしくないと。幼少の頃より訳の分からぬ妄想に浸り、俺の寵愛を受けるエリーに嫉妬して嫌がらせをするなど……その性根は生まれ変わったとて直らぬのだろうよ!」


 高らかに声を上げるクラウスに、国王は眉間を揉んだ。そうして手のひらに視線を隠すようにしてアレクシアを見下ろす。誰が見ても美しい少女だ――まるで奇跡のように。

 ごくり、と喉が音を立てた。冷や汗が背筋を撫でていく。


「皆も知っているだろう? アレクシアの噂は有名だからな!」


 舞台俳優のように片手を広げ、クラウスは同意を得ようと人々に語り掛ける。それに応えるように方々でひそひそ声が上がった。


「噂って言うと、か?」

「えぇ。アレクシア様の噂と言えばあれしかありませんわ」


――アレクシア・オブライエンは存在しない兄を心から慕っている。


 アレクシア・オブライエンはオブライエン公爵家の長女である。オブライエン家に彼女以外の子はいない。妾の子一人とて、確かに存在しないのである。

 しかし、彼女は口を開けばお兄様お兄様と普段は真っ白な頬を高揚させるほどに語り出すのだ。無論、そのお兄様を実際に見た者はいない。


「コイツは生まれつき頭がおかしいんだ! 王太子として、国を護るためにもコイツを王妃にするわけにはいかない!」

「そうですの。わたくしもこの国の王族にはなりたくありませんでしたから、丁度いいですわね」


 再び空気が固まった。ふふ、と美麗の唇がとびきり綺麗な笑みの形を象った。


「それにわたくしが狂ったのは生まれつきではありませんわ」


――ねぇ、国王陛下?


 視線が一斉に王座へと向けられた。当人は紙のような顔色をして、額に汗を滲ませている。痛みを感じているのか、心臓の辺りを握り締めてアレクシアを見下ろしていた。


「お前、お前は……やはり、」

「父上?」


 クラウスが怪訝そうに王を見上げる。しかし直ぐにアレクシアの方を睨み付けた。


「貴様、父上に何を――」

「やめよ!」


 雷のような声が飛んだ。クラウスは目を丸くして口をつぐんだが、納得したわけではないのだろう。唇をへの字に曲げて尚もアレクシアに視線を刺していた。

 にこ、とアレクシアが微笑む。


「クラウス様はご存知? 精霊の結界石を」


 それは、家庭教師の授業のような口ぶりだった。しかし、尋ねられていることは、この国では生まれたての赤子以外は皆知っていることだ。

 精霊の結界石はその名の通り精霊の力を借りて外敵を阻む結界を張る道具である。この石のお陰で国はモンスターや近隣諸国の侵攻を防いでいるのだ。


「何を当たり前のことを……当然だ。父上に連れられて見たこともある。人々の信仰心を糧としてこの国を護る秘宝だ」

「ふふ、実はわたくしも見たことがあるのですよ」


 会場を驚愕が駆け抜けた。クラウスはわなわなと震えている。国王の顔色は紙を通り過ぎて土気色をしていた。


「嘘をつくな! 結界石がある場所は代々国王とその後継者のみが知る秘密の場所だ! それとも何か? 貴様はその機密を暴いたとでも言うのか!?」


 クラウスが片手を掲げる。それを合図に会場中に散らばっていた警備兵がアレクシアを取り囲んだ。ぎらりと光る槍の切っ先が彼女に向けられる。


「だとしたら、このまま生かしてはおけんぞ!」


 刃に囲まれたアレクシアはあらあらと眉を寄せた。物々しい雰囲気にクラウスに侍っていたエリーがそっと距離を取る。


「落ち着いて下さいまし。わたくしは何も侵入したとは言っておりませんわ」

「ならどうやって……いや、やはりでまかせか? こんな場に置いても妄想を並べ立てるなど」


 クラウスは吐き捨てるようにそう言って腕を下ろした。が、兵士たちは武器を構えたままだ。

 突きつけられた切っ先に自ら近づくように、アレクシアが一歩、前に出る。王座に、近づく。


「わたくしは国王陛下に招かれたのですよ?」


 小首を傾げた頬を銀の髪がするりと撫でた。ねぇ? とアレクシアが水を向ける先には、今にも倒れるのではないかと思うほどに顔色を悪くした国王がいる。

 クラウスは訳が分からぬままに父王とアレクシアに交互に視線を向けていた。国王が重く口を開く。


「君は……いや、貴方様はこの国を怨んでいるのか……?」

「父上?」


 不可解な問いにクラウスが疑問を投げ掛ける。が、王は既に応える余裕がないのか、アレクシアの挙動を見逃さぬようにと瞬きすら忘れて見入っていた。アレクシアは上品に口元に手を当ててころころと鈴の音を転がす。


「それが、不思議なことに怨んでいないのです。とても優しくて素敵な方でしたわ。こんな国のことを、最期まで憂いて下さっていましたの」

「そ、うか……」


 アレクシアは感じ入るように胸の上に両手を重ねて目を閉じる。しかし直ぐにその目を開いた。


「でも、わたくしは許せませんの」

「は――」


 王は、間抜けに開いてしまった口の端から何かが伝うのを感じていた。思わず拭おうと考えたところで、腹に熱と衝撃が走る。何が、起きたのかと視線を動かした。


――穴が、開いている。ぽっかりと、その縁を赤く染めて。それを視界に収めたのが、王の最期の記憶となった。


 遅れて爆発するように悲鳴が上がった。人々が押し合い圧し合いしながら王座から距離を取ろうとする。隣に座っていた王妃は己が伴侶の血飛沫と肉片を浴びながら呆然としていた。

 近くにいたクラウスとエリーも縫い付けられたように固まっている。真っ白なドレスとスーツが赤くまばらに染まっていく。


 地獄絵図の中心で、アレクシアだけが晴れやかに笑っていた。くすくすと妖精のように愛らしく。それはそれは嬉しそうに。


「あぁ……お兄様、仇は取りましてよ――優しい貴方は望まなかったでしょうが、わたくしが我慢ならなかったのです」


 己に言い聞かせるようにアレクシアが呟く。クラウスは凍りついたまま、視線だけをそちらに動かした。それを受け取ったアレクシアが、赤く染まった夜空を薄く細める。


「えぇ、わたくしがやりましたのよ。攻撃用の魔法で、マナボルトと言いますの。仕組みとしてはとっても単純ですのよ。魔力を圧縮して飛ばし、衝突と同時に一気に解放するのです。そうすると、爆ぜるように広がってあれほどの威力になるのですよ」

「ま、ほう? まりょく? お前は何を言っているんだ……? 一体何が起こっている!?」


 クラウスの叫びにアレクシアはまぁ、と呆れたように声を溢して見せた。


「クラウス様はまだ聞いておりませんでしたの? 精霊の結界石の本当の使い方を」

「本当の、使い方?」

「あらあら、本当に知りませんのね。でも、その恩恵を享受している時点で同罪ですわ」


 ひ、とひきつった悲鳴が上がる。がちがちと合わない歯の根が音を立てる。こつり、とヒールが床を鳴らしながらクラウスに近づいてくる。


「ヒッ、く、来るな! おい、お前たち俺を護れ!!」


 主君の死に呆然としていた兵士たちが我に返る。国王の忘れ形見となったクラウスの前に壁を作るように立ちはだかった。

 アレクシアはそれを一瞥して足を止めた。立ち並ぶ鎧の隙間を通すように、声をかける。


「精霊の結界石は、定期的に魔力を供給しなければ効果を発揮しませんの。魔力が切れてしまえば、結界は消えてしまう……」

「馬鹿を言うな! 魔法だの魔力だのはおとぎ話だろう! 結界石は民の信仰を糧として――」

そんな力はないのよ」


 切り捨てるようにそう言ったアレクシアが真っ直ぐと手を伸ばし、掌をかざす。途端に白魚のような手が赤熱し、熱風が駆け抜ける。


「創生の炎よ、集い来たれ――フラルゴ」


 静かな声とは裏腹に、蜃気楼のような揺らぎが立ち上る。肌を切りつけるような熱波をまとった炎が、兵士たちの真ん中で爆ぜた。

 人形のように鎧をまとった身体が宙を舞う。一拍遅れて上がったのは轟音だけだ。悲鳴は聞こえない。


「あ、あ…………」


 聞こえてきたか細い声にアレクシアは視線を向けた。駆け抜ける風に揺れる銀の髪は光輝いて、場違いにも一層美しく見える。


「あら、運のいいこと」


 クレーターのように抉れた床の傍で、クラウスとエリーはきつく抱き合っていた。婚約破棄を申し出たときとはうって変わってがたがたと震え、煤けた全身をぐっしょりと濡らしている。


「わたくしはね、貴女方のことなどどうでもよかったのよ。まぁ、少し……ほんの少しは不愉快だったけれど、お兄様が貴方のお父様にされたことに比べれば何てことないもの」


 もはや誰も音を発しないダンスホールで、アレクシアは一人言葉を続ける。


「この国はね、魔力を持つ人間を他の世界から拐ってきて精霊の結界石にし続けてきたのよ……わたくしのお兄様もその一人だった」


 身動き一つ取れぬままに震える二人に不必要なほどにゆっくりと近づいていく。


「正確には、前世と言うものなのでしょうね。でもわたくしはお兄様からその人格を受け継がなかった。わたくしはわたくしのまま、その記憶だけを受け取ったの」


――この国の闇、非道の記録。平和のためにと大義名分を掲げて行われた、おぞましい実験の数々。

 幼少期にその記憶を思い出したアレクシアは酷く苦悩し、ある種の逃避手段を取った。


 その体験をしたのは己ではなく己の兄である、と。


「お兄様はこの国を護れるのならと、その身を投じられたわ。立派な、最期だった……」


 故に彼女はこの国を許せなくなった。あんなにも優しく素晴らしい人を、彼女から奪ったこの国を。違う世界で平穏に生きていた心優しい青年を搾取し、惨たらしく殺したこの国を。


「でもわたくしはお兄様ではないから。この国を護らない――滅ぼすのよ」


 アレクシアがくるりと手のひらを返す。その手の上に光が集まり、目映く弾けた。きらきらと光が零れる手のひらには、薄青い光を湛えた石が乗っている。

 クラウスはしぱしぱと目を瞬く。元々潤んでいた視界でもはっきりと分かるほどに、その手のひらの上に見覚えがあった。


「結界石……!」


 流石王太子殿下、と。アレクシアが幾分かの悪意を込めて応じた。

 クラウスは咄嗟にエリーを突き飛ばした。小さく悲鳴を上げる彼女に目もくれず、その場に膝と両手をついて平伏する。


「頼む、それを返してくれ……! この国は結界がなければ立ち行かない! 何でもする……っ、償いになるのなら、何でも……っ!」


 アレクシアは空いた手の人差し指で迷うように唇を触った。そうして結界石を持った手を伸ばす。


「そうですわね……では、見届けていただきましょうか?」


 手を、とアレクシアが短く告げる。クラウスは慌てて手を皿のようにして掲げた。その手のひらに、精霊の結界石が落とされる。

 クラウスがほっと息を吐いたのもつかの間、地響きがうなり始めた。疑問符を浮かべる頭に、アレクシアが手を置く。


「結界を失った、この国の行く末を」


 途端、クラウスの脳裏に鮮やかな映像が過る。


――燃え盛る炎。崩れ落ちた建物。逃げ惑う国民たち。それらを更に蹂躙するように進む、モンスターの群れ。

 彼らは津波のように総てを呑み込み、食い散らかしながら国を殺していく。


「あ、あぁ……どうして、結界石はここに……」

「先ほどお教えしたでしょう? それは魔力がなければ、ただの石ころですわ」


 アレクシアが手を引く。が、クラウスはその手にすがり付いた。服従を示すようにその手を額に当て、懇願する。


「頼む、君――いや、貴女様だけが頼りなのです! どうか、再びこの国に結界を――」


 恥も外聞もかなぐり捨てた叫びに、たおやかな笑みが応えた。クラウスも必死にひきつった笑いを返す。


「イヤですわ」


 この世のものとは思えないほど美しい笑顔が、視界の中でひび割れる。アレクシアは手を振りほどくと、クラウスに背を向けた。


「この国は滅びるのよ。貴方はそれを見届けなくてはならないの――だって、約束したでしょう?」


 アレクシアが指切りげんまんの片割れを揺らす。その小指からきらきらと糸のような光が零れていた。それを視線で辿れば、クラウスの小指に繋がっている。


「これは……?」

「契約の魔法の一種ですの。貴方は約束から逃れられない」


 わたくしはもう、約束を果たしましたので。そう言って空の手のひらをひらりと振った。


「あのモンスターたちは国を食い潰しながらこの城へと向かってきますわ。貴方はこの国が滅びるまで――貴方が、最期の一人になるまで、死ぬことは許されない」

「あぁあああああああッ!!」


 クラウスは己を奮い立たせるように雄叫びを上げ、アレクシアに飛びかかった。予想外だったのか、夜色のドレスを掴まれた身体がよろけて倒れる。クラウスはそのまま彼女に馬乗りになった。


「どうして、どうしてそこまで……! 俺は何も知らなかったんだ! なのにどうして……ッ!」


 激情のままに拳を振り上げる。その美しいかんばせに向けて振り下ろしたそれは、空を切った。そのままがつんと床を叩き、クラウスの拳にだけ鈍い痛みを伝える。


「わたくしはもうここに用はないのですよ」


 自分の足の下にいたはずのアレクシアの声が、真正面から聞こえてきた。反射的に顔を上げれば、アレクシアは髪すら乱さないままに凛と立っている。


「そうですわね。これで浮気とわたくしに対する嫌がらせについては気にしないで差し上げますわ」


 ヒィッ! とエリーが悲鳴を上げた。くすくすと笑い声が飛んで来る。


「それではお二人ともご機嫌よう」


 アレクシアは完璧なカーテシーで最後の挨拶をした。途端に彼女の足元が複雑な文様を描いて光る。

 次の瞬間、光が目を焼かんばかりに輝いた。クラウスとエリーは咄嗟に腕で顔を覆い、固く目をつむる。


 再び目蓋を上げたその時には、アレクシアの姿は掻き消えていた。


――それから、約一週間後。アレクシアの祖国は滅びた。


 そうしてそれから更に長い長い年月が経ち――とある国の青年の元に、新しい家族が生まれた。珠のように美しい、女の子である。

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