第134話 鮮血

ファヌス大森林の西、拓けた街道で、二組のスキルホルダー同士による激しい戦いが繰り広げられていた。


レイヴンが『アウル』の秘密諜報員エージェントであるウォルトとパメラの挑戦を受け、『水の宝石アクアサファイア』と彼らの本拠地に関する情報を賭けた勝負に挑むのには、確固たる理由がある。


それは、今、ともに戦場に立つ森の民の少女、アンナのためだ。

そもそも、彼女が森の民の集落を飛び出したのは、眼前の『アウル』に所属する二人を追ってのことだった。


最初に出会った豪華客船での顛末は、今でもレイヴンの脳裏に鮮明に焼き付いている。

その因縁に決着がつかないまま、森の民とは直接関係のない他の精霊の秘宝を守るという、レイヴンの都合に付き合わせてしまっていたのだ。


戦いのきっかけはウォルトの気概に応えるものだったが、この機会に彼女自身の因縁を清算させるのが最善だと、レイヴンは考えていた。

そして、この戦闘中、アンナは己の想いを遂げようと、これまでになく果敢に動いている。


狼男ウェアウルフ』と化したウォルトに反撃の間を与えることなく、『風の鉄笛ゼファー・フルート』を使用した音による攻撃『苦痛の旋律アゴニー・リズム』を間断なく浴びせ続けた。


その瞳には、かつての因縁に終止符を打つ強い決意が宿っている。

ただ、少々、勝負を急いているきらいがあり、レイヴンは優しく注意を促した。


「アンナ、少しペースを落としても大丈夫だ」

「はい。・・・ですが・・・」


森の民の少女の頭の中には、正直、苦戦の二文字がくっきりと浮かんでいた。自身のスキルが躱され続けていることに焦りを感じているのである。


確かに音速の攻撃を避けるなど、想像を超える事態だった。

しかし、相手のウォルトも今回ばかりは並々ならぬ気迫がこもっている。

彼もまた、何かを賭けているのだろう。相手が必死である以上、苦戦するのは当然のことなのだ。


ウォルトは『獣人化アンスロ』で強化した五感をフル活動させ、驚異的な反応速度と目にも止まらぬ動きを実現している。

その野生的な身のこなしは、敵ながら天晴としか言いようがなかった。


「私を忘れないでと言っているでしょ」


しかも絶妙のタイミングで、彼の相棒であるパメラの『旋風ワールウィンド』が迫って来る。

正直なところ、この眼鏡をかけた知的美女の攻撃の方が、レイヴンにとっては厄介だった。


というのも、空気に振動を与えるアンナの『旋律メロディー』と、凝縮した空気を送りつける風の攻撃『旋風ワールウィンド』は性質が被っているのである。


パメラの攻撃を防ごうと障壁を作った時、同時に森の民の少女の攻撃手段まで奪ってしまうことになるのだ。

攻守の切り替えが非常に難しい。


しかも、敵の二人は巧みなコンビネーションを披露してくる。どう攻略すべきか、レイヴンは本当に頭を悩ませた。


「戦っている最中に考え事とは、余裕だな」


気を取られた一瞬の隙をついて、ウォルトが標的を黒髪緋眼くろかみひのめの青年へと変え、猛然と迫る。


その手からは『勇猛な爪フィアスクロー』が伸び、空間ごと削り取るような凶悪な剛腕の一撃が繰り出された。紙一重でそれを躱すと、『炎の剣フレイムソード』を水平に薙いだ。

だが、斬り裂いたのは残像のみで、『狼男ウェアウルフ』の実体を捉えることはできない。


アウル』の二人、ウォルトとパメラの動きはまさに以心伝心というべき洗練されたものだ。

長い間、タッグを組んでいた成果をまざまざと思い知らされる。その点、急造コンビであるレイヴンとアンナは、どうしても不利であった。


敵が接近戦と遠距離戦、それぞれが得意な者同士のペアである以上、同じ陣形を組むならば、必然的にレイヴンが接近戦を担当することになる。


これまで、何度か同じ立ち位置で戦闘をこなしているため、ついつい忘れがちとなるが、黒髪緋眼くろかみひのめの青年の戦い方の基本は、防御してからのカウンター攻撃なのだ。

とはいえ、これほど素早く、強力な一撃を持つ相手の攻撃を正面から受けるのは、リスクが大きすぎる。


買うパーチャス』での回復も、自分の意識があってこそだ。

相手に近づけば被弾のリスクは高まり、受けきれない可能性も高まる。ウォルトの得意な距離で戦うのは、窮地に陥る危険性を秘めていた。


しかし、それを承知で、レイヴンは敢えて前に出る。防御に徹しきることが難しいのであれば、攻めに出るしかないと腹をくくったのだ。


「これでも、喰らいな」


まずは、牽制のためにいつもは垂直に立てる障壁を地面すれすれ、水平に伸ばす。幅広い石の塊がウォルトめがけて勢いよく飛んでいった。


「危ねぇ!」


一瞬、驚きに目を見開くが、『狼男ウェアウルフ』は直撃する寸前で、空中へと逃れて、何とか躱す。

まさに間一髪といったところであった。だが、その動きまでレイヴンは予測し、次の一手を考えていたのだ。


「それを待っていた」


いかに超人的に素早い動きをするウォルトといえど、空中では動きが制限されるはず。

うまく危険地帯に誘い込んだレイヴンは、瞬時に足場を組み立てて『狼男ウェアウルフ』めがけて、一気に跳躍した。


刀身が朱色に染まり『聖なる火セイクリッドファイア』を纏った『炎の剣フレイムソード』を煌めかせる。


『捕らえた!』


しかし、そう思った瞬間、またしても炎を纏った剣先は空を切った。

再び残像を斬る羽目になっただけでなく、その後の『狼男ウェアウルフ』の動きを目で追うことすらできないのだ。


『この空中で、どうやって、あんなに早く動けるんだよ?』


その疑問は、地上にいるパメラの姿を見た瞬間に氷解する。

彼女が、『旋風ワールウィンド』のスキルを応用して、ウォルトを風に乗せて移動させたのだった。


少々離れてはいたが、彼女がドヤ顔をしているのがはっきりと分かる。

そして、笑いながら口元が動くのをレイヴンは視認した。


『私がいるのを忘れないでね』


まったく、その通りだと苦々しく思いながら、次はレイヴンの方が窮地に陥る番となった。

先ほどのウォルトと同じ論理である。宙に浮いた状態は、黒髪緋眼くろかみひのめの青年も格好の的になるのだった。


突風サドンガスト


容赦なくパメラが作り出した暴風が、レイヴンへと襲いかかる。先ほど作り上げた足場への着地の瞬間を狙われたのだ。


「ちっ」


咄嗟に直撃を避けるべく別の障壁を『金庫セーフ』から取り出すが、衝撃を全て逸らすことはできなかった。

風に煽られてバランスを崩すと、組んでいた足場から地上へと真っ逆さまに落ちていく。


「レイヴンさん!」


アンナが心配そうな声を上げたのだが、黒髪緋眼くろかみひのめの青年の方に気を取られ過ぎた。

そこを見逃す甘い男ではない。

ウォルトは、その隙をついて、一気に森の民の少女に大接近するのだ。


「ここまで、パメラに助けられてばかりだ。俺もそろそろ、いい所をみせないとな」


すると、『狼男ウェアウルフ』は大きく息を吸い込んだ後、全身の力を込めて咆哮を上げた。


「うぉおおおおおおっ」


この雄叫びは、ウォルトのスキル『恐怖の咆哮テラーロア』。

聞いた者におぞましいほどの恐怖心を与える。特に聴覚が鋭敏なアンナには効果てきめんだった。


普段、音を操るスキルを使う者が、聴覚を刺激する攻撃を受けるとは、何とも皮肉な話だが、結果、アンナは一種の行動不能スタン状態となり身動きが取れなくなる。

やっと舞い降りた決定的な機会。ウォルトは一気にたたみ掛けた。


獰猛な爪フィアスクロー


黒く太い腕から繰り出す肉裂きの掌がアンナの前で交差した。激しい鮮血が宙を舞う。

何とか受け身をとって、地表への落下の衝撃を逃がしたレイヴンだが、それどころではなかった。


黒髪緋眼くろかみひのめの青年が見たのは、血飛沫とともに宙を舞ういたいけなアンナの姿。そして、森の民の少女はゆっくりと地に倒れるのだった。


「アンナ!」


その叫びは虚しく、パメラが作った暴風の中に消えていく。

レイヴンは、自らの不覚と、目の前で倒れたアンナの姿に、激しい怒りと後悔を覚えるのだった。

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