第55話 庭園での誘拐
ポートマス家の庭園に残った女性四人。
その中でカーリィは、レイヴンの背中を見送って、しばらくした後、得も言われぬ不安に囚われる。
イグナシア王国でビルメスに捕まる前、諸国を旅していたころ、この辺一帯で幅を利かせている海賊の噂を聞いたことがあったのだ。
確か、名はバルジャックという家名の兄弟で、二人とも珍しいスキルを操っていたはず。
レイヴンの事、間違いはないとは思うが、カーリィの『
思わず立ち上がってしまった彼女は、残りの三人を見つめる。
「私、やっぱり気になるから、マークス卿にお話を聞いてくるわ」
カーリィが行くとなれば、従者のメラも付き従わなければならない。
そう察したアンナは、二人に問題ないことを告げた。
「分かりました。私とモアナさんで、ここに残っています。お二人は本館に向かって下さい」
アンナに礼を言うと、カーリィとメラが急ぎ足で本館へと向かう。その姿をモアナが、心配そうに見送るのだった。
「大丈夫ですよ。そもそも、レイヴンさんが先に向かっているので、何が起こっていても絶対に安心ですから」
レイヴンとは、マークスが友人と紹介してくれた男性のことのはず。モアナは何となく、彼には捉えどころのない印象を受けていたのだが、このアンナという女性のここまでの信頼感は、何であろうか・・・
『これが、仲間の絆というものなのかしら?』
自分にも、そんな心底、信用できる相手がいたような気がするのだが、なぜか思い出せない。
ただ、心の中にぽっかりと大きな穴が開いてしまっている。そんな気がしてならないのだ。
「ここのお花の手入れは、モアナさんがされているのですか?」
「・・・あ、たまにね。体を動かしていないと、どうしても不安なんです。何かに
考え事をしていたモアナだが、アンナの質問に現実に戻される。だが、煩わしい感じは、まったくしなかった。
記憶をなくしたと自覚してから、人と対話することに怯えていたのだが、不思議とアンナには恐怖心が湧かない。
「そこ気をつけてね。ちょっと見えづらいけど、
「えっ」
庭園の中、二人で歩いていると、突然、モアナが足場が悪い所を指摘した。気づくのに一足遅れたアンナは、その窪みとやらに足を取られてバランスを崩してしまう。
アンナ自身、転んだと思い受け身の体勢を取ろうとした瞬間、刹那の動きでモアナが支えてくれたのだ。
深緑のフードが外れ、普段あまり見せない緑色の髪が露わになる。アンナはモアナのおかげで、事なきを得ることができた。
「ありがとうございます。完全に転んだと思いました」
フードを直した森の民の少女が礼を言うと、モアナは照れながら笑う。
ただ、自分自身、どういう動きをしたのかは理解していなかった。
体が勝手に動いたという表現しかできないのである。
「さすがは、『
女性二人で和んでいると、どこからか、突然、男の人の声が聞こえた。アンナは左右を見渡すが見つけられず、一足先にモアナの方が気づいたようである。
彼女の見つめる方向をアンナは凝視した。
すると、そこからシルクハットを被り、ステッキを持った紳士然とした男が現れる。
「たとえ、記憶を失くしても体の方は覚えている。大したものですねぇ」
近づく謎の男からモアナを庇うように、アンナは間に立つ。
背中越しにモアナの緊張感が伝わってきた。相手がただ者ではないことは間違いなく、冷や汗が止まらない。
「あなたは誰ですか?ポートマス家の方・・・という事はないですよね?」
「くっくっく。何を呑気なことを仰っているのですか。分かり易く言うと、私は『
その名を聞いた途端、森の民の少女は戦闘態勢に入ろうとした。深緑のフードの背中に手を入れて、鉄笛を取り出そうとしたのである。
ところが・・・
「えっ?」
そのポーズのまま、体が固まってしまう。一体、自分の体に何が起きたのか、理解できなかった。
「私の名はエルフィー、どうぞ、お見知りおきを・・・」
体を動かすことができないアンナは振り返ることもできない。かろうじて、目と口を動かせるのだが、モアナの様子を確認することができなかった。
「モアナさん。私は動くことができませんが、あなたはどうですか?」
「・・・私も・・同じです」
エルフィーと名乗った男は、アンナとモアナ、二人の自由を奪ったようである。
でも、どうやって?
「首を傾げているようですが、私のスキルは『
その説明で理由は分かった。異常な匂いは感じなかったが、もしかしたら、花の香りに紛らせたのかもしれない。
ここがポートマス家の敷地の中ということもあり、完全に油断していたのだ。
「私たちを、どうしようって言うのですか?」
「えーと、とりあえず、お二人ともバルジャック兄弟のアジトに来てもらいますよ。特にモアナさんは、海の民に対する貴重なカードですから」
「こんな私たちを、どうやって連れて行くというのですか?」
見たところ、エルフィーに力があるようには思えない。アンナが小柄とはいえ、痺れた状態の二人を運ぶのは、簡単なことではないはずだ。
どこかで、この痺れを解くならば、その機会にとアンナは考える。
「私は肉体労働が好きではありません。ですから、自らの足で歩いてもらうことにします」
その台詞を待っていたとばかりに、アンナは鉄笛を取り出そうとしている右手に力を込めた。
すぐに『
しかし、そんなアンナの心情を見透かしたようにエルフィーは、懐から小瓶を取り出して、別の呪文を唱えた。
『
新たな香りが二人の鼻腔を捉える。次第に、アンナとモアナの意識が遠のいていくのだった。思考する力を完全に奪われてしまったのである。
二人は虚ろな目をしたまま、脱力している感じで棒立ちとなった。
「それでは、出発しますよ・・・ああ、そうそう。アンナさんは、そんな危険な笛は、ここに置いて行って下さいね」
指示されるまま、アンナは愛用の鉄笛を花畑の中に投げ捨てる。
その様子にエルフィーは満足するのだった。
三人は、庭園を出る直前で、一度立ち止まる。
それはエルフィーが、ポートマス家の屋敷に忍びこんだ時と同じ呪文を使うためだった。
『
これで、人と出会っても認識されることはない。
エルフィーたちは、悠然と屋敷を後にするのだ。
それから、やや遅れて、庭園にやって来たのは執事のレイモンドである。レイヴンを送り出した後、女性陣にお茶を振舞おうとしたのだ。
「みなさん、
ところが、いつもいるはずのモアナの姿が見えないことに嫌な予感が走った。
庭園の中をうろつくと、ある物が落ちているのに驚く。
「・・・これは?」
レイモンドが拾ったのは、アンナの鉄笛だった。この時点で、誰の持ち物か分からなかったが、少なくとも捨てておいていい代物ではないことだけは分かる。
レイモンドは念のため、普段、生活している離れにも行ってみたが、やはりそこにもモアナの姿はなかった。
「もしや、バルジャック兄弟の手の者が・・・」
今、港では海賊たちの襲撃を受けていたため、否が応でも頭の中で関連付けされる。
門番に確認するも不審者はいなかったという報告だが・・・
いずれにせよ、これは至急、マークスに知らせなければならない。
レイモンドは、港に向かった主人を追うため、慌てて屋敷を飛び出すのだった。
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